辞書を楽しむ

                         (2022年1月1日)

皆さま、新年あけましておめでとうございます。
点訳フォーラムは今年3年目を迎えました。今年も点訳に関する疑問に一つずつお答えして、より多くの方とつながりを持って行きたいと思います。「点訳に関する質問にお答えします」「点字表記の語例」も着実に積み上げていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、点訳や校正をしながら国語辞典を引いていて、思いがけない発見をすることがあります。
あるとき、漢数字の「一」の項目を読んでいて、「一」に「あるいは」という意味を見つけました。それまで、「一朝一夕」「一挙一動」と「一進一退」「一長一短」の違いがあやふやで、「一進一退」が「一つ進んで一つ後退する」のであれば、数字でもよいのではないかなどと感じていたのですが、「進んだりあるいは後退したり」「長かったりあるいは短かかったり」と解釈すると、「一朝一夕」「一挙一動」との違いがはっきり分かり、数字と仮名の区別がすっと納得できたのでした。この語義が書いてある辞書は限られているので、もしかしたら辞書の編集者は「一進一退」の意味を考えて、「一」の語義に「あるいは」を加えたのかもしれないなどと推察して、これを機に、辞書がぐんと身近に感じられたのでした。
もう一例、「~人」を「じん」と読むか「にん」と読むかにもずいぶん迷っていた時期がありました。「人」の接尾語的な意味の項に、「じん」と「にん」の読み分けを解説してある辞書はなかなかありません。そんななか、《「じん」は、「~出身の人」「~(の分野)に属する人」「~をもつ人」などの意を表し、「にん」は「~する人」の意を表す》と説明してある辞書を見つけ、胸のつかえがおりたようでした。このような視点で読んでみると、そのほかの辞書にも「じん」は、「その分野で活躍する人、その国・場所・時代の人、そういう性質を持つ人」などの説明も載っていました。「東北人・映画人・常識人・風流人・知識人・普通人・器量人・市井人・経済人・暇人」などは「じん」、「苦労人・保証人・受取人・介錯人・看護人・鑑定人・使用人・料理人・参考人・世話人・遊び人」などは「にん」となるわけです。これによって、「専門人」などが出てきた場合は、「せんもんじん」と判断できます。
このようなことが重なるたびに、辞書を読む楽しみは、一層増しました。

点訳フォーラムにも、漢字の読みに関する質問が多く寄せられます。漢文の白文の読み下しなど難問もありますが、「牛」は「うし」か「ぎゅう」か、「音」は「おん」か「おと」か「ね」か、「注ぐ」は「そそぐ」か「つぐ」かなど、読みによるニュアンスの違いや、この文脈ではどちらの読みが適切かなど、迷ってしまうと出口が見つからなくなりそうです。このようなことは、点訳に携わらなければ、おそらく迷いも引っかかりもなかったと思います。
質問を受けて、それまで何となく考えていたイメージを裏付けするために、見当を付けた資料を再調査したり、思いもしなかった質問の場合は、できる限りの資料を読み比べ、辞書を引き比べ、担当者間で相談をして、私たちで得た結論をお示ししています。これらの確認や調査には、インターネットはもちろんのこと、「日本国語大辞典」(小学館)、「大辞典」(平凡社)や「広辞苑」「大辞林」「三省堂国語辞典」「岩波国語辞典」「新明解国語辞典」などの基本的な国語辞典、「大漢和辞典」(大修館書店)、「新漢和大辞典」(学習研究社)や「古語林」(大修館)などの漢和・古語辞典のほか、「てにをは辞典」(三省堂)、「古典基礎語辞典」(角川学芸出版)、文化庁の日本語に関する資料や各新聞社の用語辞典、「NHKことばのハンドブック」などを用いています。
このQ&Aの内容は「点訳に関する質問にお答えします」の第1章「調査」の項に掲載していますので、点訳の際の参考にしていただければと思います。この項が予想以上に増え続け、漢字を適切に読むことが、点訳においていかに重要なポイントであるかをつくづく感じています。

「この語は辞書にはないから、区切って書くことはできないですか」という質問を受けることもあります。(点訳ですから、もちろん、3拍以上の意味のまとまり、または2字2拍以上の漢語についてです)
世の中には数え切れないほどの語句があるのに、辞書に載っているのは世の中にある基本的な語のなかのわずか6~7万語程度です。以前、辞書編集者の方のお話を聴いたことがありますが、「広辞苑」「大辞林」のような25万語以上収載の辞書でも、固有名詞や百科事典的要素を除けば、基本的な日本語はやはり6~7万語程度になるそうです。

辞書には、「黒猫」や「黒鼠」は載っていますが、「黒犬」は載っていません。文字で書かれた以上の派生的な意味がない言葉は辞書には採用されないことが多いそうです。「黒猫」はエドガー・アラン・ポーの短編小説にありますし、「黒鼠」は「主人の家のものをかすめ取る番頭・雇い人」という語義が載っています。でも「黒犬」には「黒い犬」以外の意味はないので見出し語として採用されないとのことです。辞書にはなくても「黒犬」は4拍の自立した意味のまとまりですから、「親黒犬」は一続きに書き、「おじいさん黒犬」は区切って書きます。

市域はあるが県域はない、部長はあるが課長はない、婦長はあるが師長はない・・・などと書くとクイズのようですが、国語辞典には、同じような語でも掲載されている語と載っていない語があります。これも、辞書の見出し語にないから区切って書くことはできないでしょうかという質問もあります。接尾語的な造語要素(1字漢語)も、言葉は無数にありますから、すべてが見出し語になるわけではありません。しかし、「部長・次長・課長・係長・婦長・師長・班長・総長」など、「長」が付いてその組織・集団のトップの人を表す場合は、点訳では、ほとんど(断定はできませんが)、自立した意味のまとまりと考えてよいと思います。「誌」や「史」も「会誌・句誌・歌誌・郡誌」「村史・町史・市史・郡史・国史・州史・社史」などなど、枚挙に暇がありません。これらもすべてが辞書に載っているわけではありませんが、「誌」は「書き記したもの、記録、文書」の意味で、「史」は「出来事を書き記した書」という意味で用いられ、それぞれ「郡のことを書き記した記録、文書」「会社のできごとを書き記した書」などと、これも自立する意味のまとまりと考えてよいと思います。

「遊歴算家」の「算家」は辞書の見出し語にはないので区切ってはいけないのかという質問をいただいたこともあります。「遊歴」は「諸国を巡り歩くこと」で、「算家」は「和算の専門家」を指すと思います。「算家」は見出し語としては辞書にはありませんが、「~家」でその道に通じた人、専門家を表し、「書家、画家、作家、医家、漢家、漁家」など多くの言葉がありますので、「算家」も自立した意味のまとまりと見なしてよいと判断しました。「遊歴算家」は、「経済学者」(2+1+1)などとは異なり、「栄養満点」「時代錯誤」と同様、あきらかに「2+2」に分かれる言葉ですので、その意味でも区切って書くのが妥当だと思います。

「存」が「ソン」か「ゾン」かも悩むところです。いくつかの辞書を引いて較べることになっていますが、「岩波国語辞典」の第7版で「残存」が「ざんぞん」になっていることを発見したときは、グループの中で大事件になりました。「岩波」は第6版まで「ざんそん」の見出しでした。私が所属するグループでは、「存」に関しては、言葉ごとに読みを決めていましたので、「どうする?」と一大事です。ほかの辞書も調べて、話し合った結果、わがグループでは「ザンソン」のままとすることにして落ち着いたのですが、第8版が出版されて引いてみると「ザンソン」に戻っていました。編集部の中でどのような経緯があったのか興味のあるところです。
国語辞典も人間の手によるものですから、誤字や誤植はもちろんのこと、編集者の交代やそのときの社会の有り様などにより変化していくものと思います。
施設や図書館の辞書を活用して、数種類の辞書を引いて較べるようにしたいものです。

漢字の読みや辞書に関するあれこれをまとまりなく書き連ねましたが、辞書に振り回されることなく、しかし、いろいろな辞書を、いろいろな方法で引き比べて点訳することを心がけたいものです。
さらに、それだけではなく、たまには気分転換にパラパラと拾い読みして、辞書を読むことを楽しんでみませんか。思わぬお年玉があるかもしれません。 (M)