校正雑感 その3

                          2022年8月1日

今回も、校正作業の中で出会ったことをいくつか書かせていただきます。

最初は、原文の誤りかどうかの判断についてです。
市の広報の校正をしているときのことでした。たばこの害に関する記事の中に「コチニン検査」という言葉が出てきたのですが、どうしたことか、とっさに「ニコチン」の誤りだと思い込んでしまったのです。校正記録を記入して更に読み進むと、再度同じ語が出てきました。そこでさすがに立ち止まって調べてみました。すると、コチニンは、タバコの煙に含有されているニコチンが、体内で代謝され生成する物質で、「ニコチン」のアナグラムであることがわかりました。校正記録を削除したのは言うまでもありませんが、1度しか出てこなかったら調べなかったのではないかと、ひやりとした瞬間でした。

また、古代史関係の点訳書の校正をしていたときのことです。原文には「前方後方墳」と書かれていたのですが、原文の誤りとして「前方後円墳」と点訳されていました。歴史に明るいわけではないので、心配になってネット検索をしてみました。すると、「前方後方墳は、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。また、中国・四国地方にも多く存在し、中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていた。」と書かれていました。そこで備考欄に根拠を書き入れたうえで、原本通りに点訳していただくよう校正指摘をしました。

自分自身の知識が十分でないことを棚に上げて、原本を悪者にしてはいけないと戒められた事例でした。 原本の誤りではないかと感じることが少なくない昨今ですが、間違いだと簡単に決めつけてはいけないことを改めて学びました。

次は、漢字の読みについてです。
既に故人となった作家の詩集を校正していたときのことです。「いつも羞むような表情に」の「羞む」が「ハジム」、「一生を費いきって、」の「費いきって」が「ツイキッテ」、「言葉を喪うことではない。」の「喪う」が「モウ」と点訳されていましたが、いずれの読みにも納得がいきませんでした。それぞれ「ハニカム、ツカイキッテ、ウシナウ」と読みたいと感じて小型の辞書から『広辞苑』と『大辞林』まで調べたのですが、見出し語にはどの漢字も当てられていませんでした。そのときに思いついたのが、以前度々助けられた『辞書にない「あて字」の辞典(講談社+α文庫)』です。絶版になって久しく今では入手できるかどうかわかりませんが、私の施設では何年も前に1冊購入していました。調べたところ3語とも漢字が当てられた用例と出典の作品名が示されていました。早速備考欄にこの辞書を参考にしたことを書き、校正指摘を記入しました。漢字の読みには悩まされますが、これは適切な読みにたどり着けたと感じた事例でした。

最後はルビの扱いについてです。
幕末から明治初期、遣米・遣欧使節団に参加し、後に教育に尽力した実在の人物を描いた小説の校正をしていたときのことです。東京に1か所だけ「トウケイ」のルビがありました。「トウケイ」という言い方は時代劇の中で聞いた記憶がありましたが、ルビをどう扱うかに迷いました。ルビがあるところだけを「トーケイ」とし、他は「トーキョー」とするのは不自然に感じたのですが、それならばどこまでを「トーケイ」とすればよいのかで悩みました。

ちょうどこの時期にある施設の点訳研修会に招かれ、参加してくださった方々との懇談の時間をいただきました。お知恵をお借りできる良い機会と考えてこのルビの件をお話ししたところ、後日ベテランの方から調査に基づく以下のような情報をいただきました。

東京都公文書館ホームページの「江戸東京を知る」 → 目次「明治東京異聞~トウケイかトウキョウか~東京の読み方」
明治元年から明治20年頃まで「トウケイ」と読まれていた。旧幕府への追慕の情から「きょう」という上方風を嫌い、「ケイ」とよむ頑強な人々が存在した。明治30年代、教科書が国定となった際に「とうきょう」と振り仮名表記されている。

主人公が没したのは明治10年ですので、凡例で断ったうえですべてを「トーケイ」とすることに決めました。作者の意図がどうだったかはわかりませんし、私自身は調査が足りなかったことを反省しなければなりませんでしたが、ある程度安心できる結果になりました。

点訳と同様に校正は奥が深く悩みは尽きないのですが、調査の結果手応えが掴めたときには何とも言えない喜びを感じます。これからも日々の積み重ねを大切にしながら歩んでいきたいと思います。 (T)