「座右の銘」について

                         2022年4月1日

 最近、「座右の銘」とか「人生訓」という語に出会わなくなったように思います。世の中のスピードが速くなり、改めて自分を見つめ直す余裕がなくなったり、若い人たちからは「何それ」と言われてしまうほど、死語に近い言葉になってしまったのかも知れません。
私が「座右の銘」という言葉に初めて出会ったのは、中学卒業を控えた時期でした。
担任の先生が、「このクラスは2種類の卒業記念文集を作ります。一つはクラスとしての文集、もう一つは皆さんそれぞれの文集です。」と説明したあとで、「クラスとしての文集は、改めて編集委員会を作って企画を練るので、皆さんは企画にあった原稿を提出してほしい。それぞれの文集については、座右の銘をはじめ、皆さんが考えていることや、日頃書きためた原稿などで文集をつくるように」とのことでした。
早速、「座右の銘」を辞書で調べました。そして私の座右の銘は当時気に入っていた「成就」とし、個人の文集のタイトルをこれに決めました。
一方、「帰途に着く」という表現に憧れていたので、ぜひともこの表現をどこかに使えないかと、考えていました。そして、クラスの文集に寄せる「修学旅行の思い出」と題した原稿の最後に、「こうして2泊3日の関西旅行の数々の思い出を胸に、僕たちは横浜に向かって帰途に着きました。」と書くことにしました。なんだか自分がすごく大人になったような気がしました。
しばらくは、「座右の銘は?」と聞かれれば「成就」と答えていましたが、高校生の夏休みに読んだ本の中に、以下の文章を見つけました。

種があっても、花が咲き実がなるとは限らない。しかし、種がなければ、
花が咲き実がなることは決してない。

この文章を読んだとき、心に響くものがありました。
当時の私は、青少年赤十字団に所属していて、大した活動をしていたわけではありませんが、仲間と「ボランティア活動はどうあるべきか」などと盛んに議論をしていました。
活動を行う際は、6Ws(あるいは5W1H)、つまり、1.何を、2.いつ、3.どこで、4.誰が、5.どのように、6.なぜ、行うかをきちんと決める必要があります。このうちどの要素が抜けても、うまくいきません。「誰が」をきっちり決めなかったために、「総論賛成、各論不参加」でしぼんでしまったり、「なぜ」をしっかり引き継がなかったために後輩に活動の意義が伝わらなかったりの失敗を重ねました。そして、これらの要素がすべて揃っても、「じゃ、やろう。」というゴーサインをリーダーやメンバーのコンセンサスによって決断する手続きが必要です。
その際、メンバーからは必ずといってよいほど、消極的な意見が出されます。
「うまくいかなかったらどうする?」
「はたして効果があるだろうか?」
「僕たちがやらなければならないことかな?」

これまでの私だったら、一部の消極的意見に影響され、「もう少し考えてみよう」という態度をとったと思いますが、「種があっても…」を読んでからは、考えが変わりました。
「いいと思うのなら、まずやってみようよ。うまくいかなかったら、そこで考えればいいと思う。」

何というタイトルの本だったかは忘れてしまいましたが、これ以降、私の「座右の銘」は、これに変わりました。

種があっても、花が咲き実がなるとは限らない。しかし、種がなければ、
花が咲き実がなることは決してない。

もちろん、そのことがよいことであることが前提ですが、やってみなければ決して実現しないわけですから、初めから諦めたり後ろ向きになるより、まずはやってみることが大切ではないかと考えるようになったのです。

社会に出て、点字や視覚障害に関わる仕事に就きましたが、中途で視力を失い点字を習得することを希望している方がおられることを知ったときも、やってみなければの思いで、仲間に呼びかけました。「点字を教えるなんて・・・」と尻込みする仲間には「一緒に点字を学ぶつもりでやってみたら」と、今思うと無謀とも思えることを言っていました。50年以上前のことですが、試行錯誤しながら活動が少しずつ広がりました。

活動をするうちに、点字学習を希望する中途視覚障害者の中には、努力してもなかなか点字の触読が進まない人がおられることに気付きました。
その大きな理由が、日本の点字の規格(B5判の用紙に1行32マス・18行)が小さすぎること、凸面の点字の触読ができて凹面からの点字の書き方に移ったときに混乱してしまうことの2点が共通していると思いました。そして、Lサイズ点字(A4判の用紙に1行32マス・18行)と凸面点字器の開発を思い立ちました。その思いを持ちながらも、日常の業務に追われなかなか実現はしませんでしたが、少しずつ、賛同してくれる仲間が集まり、多くの方の協力をいただくことができるようになり、次第に具体的に開発に取り組むことができるようになりました。
Lサイズ点字は、点字器・点字プリンターが市販されましたが、凸面点字器はイメージはあるものの、きれいな点がなかなか出ずに、希望され、待ち望んでおられる方々を長い間お待たせしてようやく完成にこぎつけることができました。

現在、Lサイズ点字プリンター、Lサイズ点字器が市販され、凸面点字器も完成して徐々に広がりをみせています。特に凸面点字器は、小学生の点字体験にその効果を発揮するようになりました。
ただ、Lサイズ点字も凸面点字器も、以前から点字を使っている人には、あまり評判がよくありません。マスの間隔が広すぎて読みにくい、左右が逆になるので書きにくいし速く書けない・・・・・。これらは、選択肢の幅を広げ、使う人が自分に合ったものを選ぶことができる環境を作ることが大切だと思っています。
これからも花が咲き、実が結ぶように種をまき続けなければと思っています。なかなか「成就」とはいきません。

こうして、この言葉に出会った高校時代から何十年かを過ごしてきたのですが、この考え方と真逆のものをつい最近読みました。
家で取っている新聞の朝刊に川柳の投稿欄があり、毎朝楽しみに読んでいるのですが、このような川柳を見つけました。
買わなけりゃ当たらないけどハズレない
川柳としては面白いし、思わず笑ってしまうほど的を射ているのですが、私の座右の銘とは真逆の考え方です。
少なくとも、ボランティア活動については、「買わなけりゃ・・・・・」ではなく、「種があっても・・・・・」の姿勢を持ち続けたいと思います。グループ全体のコンセンサスを得て新たな活動に取り組むには困難が伴いますが、活動を長続きさせるという面からも、「種をまいて」いきたいと思います。

日頃ボランティア活動をなさっておられる皆さんは、どうお考えでしょうか?
そして、この言葉の出典を思い出せずに、ずっと気になっていますので、ご存知の方がおられたらぜひ教えていただきたいと思います。 (F)