文字を楽しむ点字
(2021年6月1日)
点訳とは、言葉や文脈の奥深くに踏み込む作業 ― 日々、フォーラムに寄せられる様々なご質問に接していると、このことを実感します。
私たちは質問に添えられた情報から、ベストと思われる回答を作成すべく知恵を持ち寄るのですが、ピンポイントで導き出した答えが、そのままどんな状況にも当てはまるわけではありません。
とくに漢字の説明を補うことが必要かどうか、どんな説明をしたらよいかや、レイアウトの組み立て方など、適切な判断には前後の文脈や資料全体の把握が求められる場合が多くあります。
全体を視野に入れた検討と、個々の部分についての詳細な吟味は、どちらも大切なことだと思います。
フォーラムの回答が必ずしもすべてを解決できるわけではありませんが、これまで曖昧だった点を「てびき」や「点字表記の語例」で確認したり、新たな視点をお持ちいただいたり、処理の選択肢を広げることに役立てていただけたら、とてもうれしいことです。
かくも点訳は難しいものと感じる毎日ですが、文字としての点字に視点を移してみると、また違う面が見えてきます。
点字を学び始め、初めて点字を読んだときには、誰しも暗号を解読するようなわくわく感があったのではないでしょうか。
自分の名前を点字で書いたときには、その形を新鮮に感じたり、「カヤ、スネ、タコ、トシ、ヌクヌク」などの鏡文字が面白かったり。
鏡文字は左右対称の形ですが、上下対称の文字もあります。
「モテモテ」「ハヤク ハヤク」は、紙を逆さまにしても同じ形。二人が向かい合って机に置いた点字を見たとき、双方から同じ形として認識できる文字です。
もちろんこれはレアケースで、点字で書いたほとんどの言葉は上下逆さになれば全く違う文字や、読めない文字を含んだ意味不明の語になります。
エレベーターの「閉ボタン」に「メシ」という表示がついていて、あら、と思ったことがありました。上下逆に貼られていることを関係者に伝えましたが、たまたま墨字の文字を逆に読んだものと点字の上下逆転とが一致するという、その意味ではこれも珍しいケースなのでした。
子供のころ、さんずい、ごんべん、にんべん…などの漢字を時間内に多く書いた人が勝ちという遊びに熱中したことがあります。多数あるはずなのに、いざ書こうとすると意外に出てこないものです。この頃ではパソコンの漢字変換に頼ることが多くなりましたので、今やったらさらに難しいでしょう。
点字で似たような感覚で取り組むのなら、3マスか4マスで鏡文字を含む単語(タイコ、チッソ、ヤカタ、ライオン、ツッカケ、トシコシなど)とか、マス数を指定して、①の点とか⑤の点とか、特定の点を一切含まない単語をあげる、などはどうでしょうか。
点字・墨字に関わらず、忙しい毎日に追われていると、このように文字を楽しむ機会も少ないのですが、点の組み合わせからなる点字は、頭の柔軟体操の素材としても多くの魅力があると常々感じています。
点字を学び始めた人も、パソコン点訳に進みもっぱらパソコン画面の仮名表示を見ることが多くなると、点字そのものと接する場面が減ってしまいます。
点字の習得においては、文字の形を覚えることよりも、仮名遣い・分かち書きといった表記のルールを理解することの方がはるかに大変なのですから、文字そのものへの関心が薄れてゆくのも無理からぬところですが、表記ルールを正しく身につけることとともに、凸面の点字がスムーズに読めることは、よい点訳者の必須条件だと思います。
点字データを入力することだけが点訳ではなく、前段階として下調べなどが必要なように、入力後の見直しもまた、点訳作業の大切な部分です。
仮名表示画面だけで見直していると、大変見逃しやすい誤りがあります。
例えば点訳で多い文字の入れ替わりの誤りは、画面上の仮名表示を目で追う確認だけでは見落とすことが多いようです。
タイポグリセミア現象という言葉を耳にしたことはおありでしょうか。
単語の最初と最後以外の文字を入れ替えてあっても、正しい語として認識してしまう現象のことだそうです。たとえば
「こんちには おんげきですか?」「オースラトリア」「パコソン点訳」
多くの人はこの文や語を見たとき、「こんにちは おげんきですか?」「オーストラリア」「パソコン点訳」と認識してしまいます。
人の脳には、このように高度な機能が備わっていることを知って、なるほどと思いました。
ふだんこういった機能は私たちを助けてくれているのでしょうが、点訳の見直しや校正では、これに逆らう作業をしなければならないわけです。
脳内で瞬時に間違いを修正して読んでしまうような働きは、見慣れた文字だからこそ起こるわけですから、画面表示を切り替えて、点字表示でも確認するようにすると、この種の単純な誤りに気付く確率は高くなります。
6点入力ではなくフルキー入力方式で点訳されたデータには、点字の基本的な仮名遣いによって長音にすべきところをウと書く誤りが多くなる傾向がありますが、これも慣れが災いしているのかもしれません。フルキーではキー操作がふだんの文書作成や検索と同じ方式であるために、墨字を入力するときの癖を指が覚えているのでしょう。
自分で入力すれば正しく書くことができても、校正で画面に表示された誤った表記や誤字を確実に拾うことは、なかなか難しいのを実感します。
触読校正者が最後に素読みを行うのが効果的ですが、無理な場合は、紙にプリントした点字や墨点字を目で読むだけでも、単純なミスを確実に減らすことができるのではないでしょうか。
文字を楽しみながら読むことを心にとめていると、点字は多くのことを語りかけてくるような気がします。
そして、凸面から点字を読むことができる人が増えれば、街中の点字サインや製品の点字表示も、もっと多くの人に関心を持たれることでしょう。(K)
【点訳フォーラムからのお知らせ】
「点字表記の語例」には、毎月1日に新たな語例を追加しています。
最近、1日以外にも更新されていることにお気づきの方もいらっしゃると思います。
これは、皆様からの質問にお答えしていて、より理解していただくために必要な注記を補ったり、あるいは、誤字の修正を行っているものです。
たとえば、「しょうもない」に《「しょうがない」のくだけた言い方》の注記を加えました。これは、「しょうもない」と「どうしようもない」の違いが分かりにくいとの質問があったためです。
分かりやすい語例を示すため、注記の字句の変更・追加や、誤字の修正は、今後も随時行っていきます。
ただ、新規の語例の追加は、毎月1日に限って行います。