視覚障害者と辞典

      2023年5月1日

 辞典は、何も晴眼者だけが使っているものではありません。視覚障害者にとっても、いくつかの場面では欠かせない道具となっています。
ここでは、自らの経験を含め、視覚障害者の辞典活用について書いてみたいと思います。

まず、視覚障害者が利用できる辞典について整理しておきます。
(1) 点字の辞典
現在利用可能な基本的な点字の辞典には以下のようなものがあります。
『岩波国語辞典 第5版』(全63巻)
『新コンサイス英和辞典』(全100巻)
『デイリーコンサイス独和辞典』(全56巻)
『フランス基本語5000辞典』(全14巻)
しかし、いずれも大部であり、個人で所有している人はまず皆無でしょう。利用するには所蔵している点字図書館まで足を運ぶ必要があります(必要な巻だけを借りる方法もあるかもしれませんが)。点字の辞典でありながら、実用的にはあまり使い勝手がよいとは言えません。
なお、過去に『新明解国語辞典』(全50巻)の点字版も販売されていましたが、既に絶版となっているようです。所蔵している点字図書館があれば、利用できるかもしれません。
(2) インターネットの辞典検索サイト
goo辞書やコトバンクなどがよく知られていますが、国語辞典で利用できるのは「デジタル大辞泉」です。
辞典検索サイトで注意が必要なのは、読み上げソフトで使いやすいかどうかがポイントになります。コトバンクは、シンプルで問題なく使えますが、特定の辞典から検索することができません。goo辞書は、広告もあって決して使いやすいとは言えません。
なお、点訳でよく名前が出てくる「三省堂国語辞典」もインターネット上で利用はできるようですが、こちらは有料会員になる必要があるようです。
(3) 視覚障害者用辞典検索ソフト
専用のソフトだけあって、ホームページを開かなくても簡単な操作でインターネット上の辞典を検索できます。利用できる国語辞典は「デジタル大辞泉」です。利用にあたっては安心感がメリットのソフトといえるでしょう。なお、CD辞書(EPWING規格)をお持ちの場合は、これを取り込んで検索することもできるようになっています。
(4) 墨字の辞典
晴眼者の助けがあれば、豊富な冊子体の辞典で調べることができます。これは大きいです。

では、具体的な活用の場面をご紹介します。
一つは、「点訳」に関わる場面です。
視覚障害者の中にも、施設やボランティアグループで指導や校正に携わっている方も数多くいらっしゃるのではないでしょうか。促音化の問題、数字か仮名か、分かち書き、そして語の読みなど、辞典をよりどころに判断する場面はたくさんあります。もちろん、視覚障害者にも同様に辞典を用いた確認が求められます。施設に在籍していれば、点字の辞典を利用できるかもしれませんが、しかし、それは「岩波国語辞典」1種類に限られます。 「てびき」を開いてみると、しばしば「複数の辞典を比較・調査することも必要」「促音化しているかどうかは辞書で確認するが、辞書によって表記が異なるなど…」「7~8万語程度所収の基本的な国語辞典の多くに…」などの表現が見られます。
たとえば、「鉄製」は多くの辞典では「てっせい」ですが、「三省堂国語辞典 第8版」では「てつせい」で、辞典によって表記が異なる例の一つです。点字の辞典だけでは判断に迷ってしまいます。晴眼者の助けがあれば、三省堂の辞典を調べることで判断がつきます。
また、漢語・和語を確認するのに『新潮現代国語辞典 第2版』も活用しています。音だけでは漢語・和語を見極めるのが難しい場合もあるからです。「文字、県、発」(漢語)、「野良、海苔、初」(和語)。
「指導者ハンドブック 第2章編」では、p24に「歴史的仮名遣いと点字の仮名遣い」のコラムがありますが、ここで取り上げている現代仮名遣いと歴史的仮名遣いの対照表が、点字版『岩波国語辞典 第5版』巻末(第63巻 別巻)に掲載されているのでとても助かっています。
このように、特に点訳に関しては、複数の辞典での確認が必要な場合もあります。そのためには、点字の辞典、インターネット上の辞典、そして晴眼者の協力など、利用できる資源を大いに活用し、指導や校正に生かすことが大事と思います。

もう一つは、パソコンを使って墨字(漢字仮名交じり文)を書く場面です。
視覚障害者にとって墨字を書くことは長年の夢でした。それが1980年代に実現し、点字を知らない晴眼者とのコミュニケーションが可能となりました。今や、パソコンやスマホさえあれば、誰でもメールなどを通じて墨字でのやりとりが当たり前となりました。点訳などの各種研修会や講習会でも、墨字の資料を作成することも珍しくなくなったのではないでしょうか。
当初、視覚障害者が書く墨字は「漢字を使いすぎる」「ほとんど使うことがない漢字を使っている」などといった指摘をときおり耳にすることがありましたが、今はどうでしょうか。
墨字を書く上で迷うことが二つあります。
一つは、どの漢字を使うか。もう一つは、漢字で書くかひらがなで書くかです。
いずれの場合も欠かせないのが、ここでも辞典です。
最も使い方に迷う漢字の一つに「ほしょう」があります。これには「保障」「保証」「補償」の字を当てますが、どの場合にどの字を当てはめればいいのか、辞典で意味を調べても、未だに使い分けができていません。「保証金として1000円をお預かりします」は「保証」と教えてもらいました。「社会保障」は辞典にありましたのですぐわかりました。では「補償」はどんなときに使うのか。
このほか、「こうせい」は「校正」「厚生」「構成」、「あつい」は「暑い」「熱い」「厚い」と、最初それぞれ使い分けに迷っていました。
「冊子体」という言葉がありますが、「冊子」はすぐわかっても「たい」にはどの漢字を使うのかが、やはりわからなかった時期がありました。
固有名詞はその都度覚えていくしかありません。人名の「斉藤」「斎藤」「齋藤」「齊藤」など。
次に、漢字かひらがなか。
「てびき」を見るだけでも、研修資料などを作る際に迷う場合がありました。今でも漢字かひらがなにするかは神経を使うことが多いです。
たとえば、「一つの“まとまり”」「意味の理解を妨げる“おそれ”のある」「同じ位置に“そろえて”書く」「行末が“あきすぎる”」「2行に“またがらせず”」…。
いずれもひらがなで書きますが、漢字にして資料を作成した失敗もありました。
ほかに、「よりどころ」「たとえば」「ひとつ」…など。「たとえば」は漢字で書いてきたのですが、最近ひらがなを見ることが多く、これからはひらがなで書いた方がいいのか迷っているところです。「ひとつ」も、ひらがなを見かけることがありますが、「一つ」との使い分けがまだわかっていません。「よりどころ」は漢字で書いていいのか、ひらがなで書くのが一般的なのか。辞典を引くと当然漢字表記が出ています。
ある人から、どの漢字を使うか迷った場合はひらがなにしておくのが無難です、と言われたことがありました。
以上のような漢字の問題は、中途で視覚障害になった方にとっては、元々漢字の読み書きの経験がありますので、むしろ迷うことは少ないのかもしれません。

視覚障害者が、今後、より多種類の辞典にアクセスできるようになるためには、①インターネットによる辞典検索サイトの更なる充実、②電話やメールなどによる辞典検索サービス、が望まれるところです。②については、ずいぶん昔にボランティア活動としてサービスを行っていたと記憶しています。それだけニーズがあったのだと思います。
誰もが、必要なときに必要な辞典を気軽に利用できるそんな時代がくることを願っています。 (I)