第1章 点字・点訳の基礎知識

その5 点字の書き方

1.p7 1.パソコン点訳

点字編集システムの「見出し指定」は、目次を自動作成するための機能ですが、検索に便利なこともあり、目次のない本でも見出し指定をすることがあります。サピエにアップの際には目次がない本でも見出し指定をしたままでもいいのでしょうか。目次がない場合は必ず解除してアップしなければならないでしょうか。

【A】

そのような目的で付けた見出し指定の場合は、「サピエ」にアップする場合は必ず削除されるようにお勧めします。
見出し指定されていると、ピンディスプレイでは、その箇所でブリンク(点が振動する)したり、⑦⑧の点が表示されたりしますし、音声では「見出し指定始まり」「見出し指定終わり」と読みます。
見出しでないところでそのようなことがあると、読む人が迷うことになります。
本来の目的ではなく、あくまで点訳上便利なために使用したものですので、削除するのがよいと思います。

2.p7 1.パソコン点訳

ホームページやメールアドレスの情報処理点字記号を行移しした場合の行末の改行マークについてお尋ねします。
「Q&A」では「作成中はつけておいて、完成したら削除するように」となっています。
しかし、「行末処理は、本来そのままくっつくものに対して行うものであって、行継続符が残っている場合は、そのままくっつけることはできません。なので、改行マークは残しておくこと。」という意見もあるようです。
どのようにしたらいいでしょうか。

【A】

「Q&A」Q122の記載は、パソコン点訳の改行マークの定義に準じたものです。
「てびき」「BESを使用した点字入力にあたっての注意点」(1)(2)にもあるように、《改行マークは意識的に改行するところにいれ》、《本来続けるべき箇所で行移しした場合は行末に不要な改行マークやスペースが残らないように削除しておく。》という定義に則して行う処理として記しています。
行継続符は本来続けて書くところを次行に移した結果の処理ですので、改行マークがあってもなくてもその後の処理は同じです。
見出しが複数行になる場合の改行マークの前のスペースも同じようなことがよく言われますが、どちらの場合も、データ上の改行マークの定義にしたがった処理ということになります。
点字印刷した場合には表れないことですが、データとしてのルールにも留意して「サピエ図書館」に登録することを心がけたいと思います。

その6 点訳・校正の位置づけ

1.p14 3.調査

p15に「一語として熟しているかどうかの判断には、(中略)7~8万語所収の基本的な国語辞典を判断のよりどころにすることが望ましい」とありますが、読みの調査についても同様で7~8万語の小辞典が基準となるのでしょうか。

【A】

漢字の読みについては、語によっては、小型の辞書には掲載されていない場合もありますので、小型・大型については言及していません。
この項の3段落目を参考に、文脈に適した読みを採用するようにしてください。

2.p14 3.調査

①「着替える」について
名詞の場合は「きがえ」ですが、動詞なら「きかえる」と教えられてきました。
NHKの「ことばのハンドブック」では初版で「きかえる」、2版では「きがえる」と変わってきているようです。「きがえる」と点訳してよいのでしょうか?
②「20歳」について
漢字で「二十歳」でなくて数字で「20歳」でも「はたち」と読んでよいのでしょうか?

【A】

① 「着替える」の本来の読みは「キカエル」ですので、点訳者の姿勢としては、「てびき」p14「3.調査」に書かれているように、「キカエル」と点訳した方がよいと思います。
「着替え」《きがえ》は連濁となり、「着替える」《きかえる》は連濁とはならないことは、「動詞+動詞」の複合動詞は連濁しないという原則にもあっています。分かりやすい例として、「手放す」《てばなす》、「切り放す」《きりはなす》などがあります。
現状でも、ほぼすべての「国語辞典」が「きかえる」になっていますので、文字である点字としては、「きかえる」でよいと思います。
なお、話し言葉では「きがえる」の方が多くなっているので、「NHKことばのハンドブック第2版」では、1番目と2番目を逆転させて、「きがえる」が、1番目の読みになっているようです。
② 「二十歳」「20歳」を「はたち」と読むのは「ニジッサイ」の和語読み(慣用読み)ですので、「20歳」と書いてあっても、文脈によって、「はたち」と読むか「ニジッサイ(数20サイ)」と読むかを判断してよいと思います。

3.p14 3.調査

酒店・酒類は正式にはシュテン・シュルイと読むと思いますが、サケテン・サケルイと読んでもよいでしょうか。辞書の見出し語にはありませんが、「種類」と混同してしまいそうですし、サケテン・サケルイの方がわかりやすい気がします。
点訳では辞書にない読み方をしてはいけないのでしょうか。

【A】

「酒店」(さけてん)は国語辞典の見出し語としてありますので、「さけてん」と読んで構いません。そのほか「さかだな」「さかみせ」「しゅてん」の読み方もあります。
「酒類」は、酒税法などとの関係で、正式には、「しゅるい」と読みますが、辞書の中には、語義説明の中に「さけるい」と読みが記してあるものもあります。
「おじは、酒類を扱うお店を営んでいた」のような場合は、「さけるい」と読んでもよいと思います。
ただし、「醸造酒類、蒸留酒類、混成酒類、酒類卸業 酒類販売免許」などは「しゅるい」と読みます。
辞書にない読み方をしてはいけないということはありませんし、辞書にすべての語の読み方が書いてあるわけでもありません。
ただ、見出し語として載っている読み方に限定される場合もありますし、点訳者はわかりやすさに配慮して書いたつもりでも、文の流れや文の雰囲気を損なう場合もありますので、十分注意して、何人かで相談して決定することが大切だと思います。

4.p14 3.調査

広辞苑・大辞林などでは、「兄姉」、「弟妹」、「姉弟」の読み方は「けいし」「ていまい」「してい」とあります。
点訳では、訓読みをしたほうが、分かり易い語句があると聞いたことがありますが、辞書の読みとは関係なく、訓読みで点訳するのはどんな場合でしょうか?
また、以下の場合はどのようにしたらよいでしょうか?

1.妻が穏やかに笑い、小学生の姉弟がじゃれあう。
2.兄姉が仕切っている。
3.兄姉は、弟妹をこんなにみてあげている。

【A】

兄弟姉妹の言い方や読み方は、原本の内容、種類、また文脈や会話か地の文かなどによってさまざまで、一つの読み方に定められないと思います。
兄弟(きょうだい、けいてい)、姉妹(しまい)、弟妹(ていまい)は、ほとんどの国語辞典に掲載されてもいますし、一般的に使われていますので、点訳でもその読みを用いても、分かりにくいと言うことはないと思います。
兄姉(けいし)、兄妹(けいまい)、姉弟(してい)は、あまり使われない読み方ですし、この読みが掲載されていない国語辞典もあります。
このような場合、原文の種類や文脈などによって、次のような点訳の方法が考えられると思います。
(1) 日本語では、兄・弟・姉・妹をすべて「きょうだい」と言う場合が多いので、「キョーダイ」と書いて、後ろに第1カッコで(アニ■イモート)などと書く。会話文や一般的な読み物などでは、この方が、流れが自然な場合があります。前後の文脈から(アニ■イモート)などと断る必要が無い場合もあります。
ご質問の1.の文は、この方法がよいのではないでしょうか。
(2) 学術的な本や「きょうだい」と読むと不自然な場合は、「ケイシ(アニ■アネ)」など、音読みの後に訓読みを第1カッコで入れてもよいと思います。ご質問の2.3.は、この方法が良いと思います。「弟妹」の方は「テイマイ」だけで分かると思います。
(3) 訓読みだけを書く方法もあるかもしれません。しかし、文の流れが不自然になる場合もありますし、一語としてのまとまった意味が薄れてしまう感じもしますので、この方法が適している場合は少ないように思います。
なお、(1)(2)で、「キョーダイ(アニ■イモート)」「ケイシ(アニ■アネ)」などと書く場合、漢字の読み替えであって、点訳に際して改めて付けた説明などではありませんので、点訳挿入符ではなく、読みやすい第1カッコをお勧めします。

5.p14 3.調査

「母子」、「父子」の点訳についての質問です。
母子家庭、父子家庭などの熟語では「ボシ」「フシ」ですが、下記のような文章では「ボシ」「フシ」は感覚的には不自然なように思えます。
①すぐ後ろに並んでいた母子は帰っていった。
②19歳のメスのキリンと8歳のオスのキリンがいる。母子だ。
③「ねえ、お父さん。どうして・・・なの?」と息子は聞いた。父はこう答えた。・・・・・あの父子はその後、どうしたのだろう。

①:前文で母親と子供のことは書かれていないので、「ハハコ」の方が理解しやすいのでは?
②:前文で母親と子供のことが書かれているので、「オヤコ」がよいのでは?
③:前文で父親と子供のことが書かれているので、「オヤコ」がよいのでは?
黙読しているときには、「ボシ」「フシ」とは読んでいないと思うのですが・・・「ボシ」「フシ」でよいという人が多いのですが、どうなのでしょうか?

【A】

「親子」のことを「父子・母子・父娘・母娘」などと書かれているのは、「おやこ」の組み合わせを具体的に示そうとする書き手の選択によると思います。
ですから、これらは、いずれも「おやこ」と読むのが自然だと思います。
もちろん、「母子手帳、母子家庭、父子家庭」などは「ボシ・フシ」と読みますし、「母子」は「母子草」など、「ハハコ」とも読みます。
ご質問の、①②③はいずれも「オヤコ」と読んでいいと思いますし、①は「ハハコ」と読んでもよいと思います。
「父子・母子・父娘・母娘」などを「オヤコ」と書いただけでは、その関係が分からず、説明を必要とする場合は「オヤコ(チチ■ムスメ)」などと、第1カッコで補います。
これは、「きょうだい」を「兄妹、姉弟」などと書かれている場合も同じになります。

6.p14 3.調査

「私」の読み、「わたし」と「わたくし」の使い分けはどの様に判断したらよいでしょうか。

【A】

「私」は、以前は、常用漢字の読みとしては「わたくし」だけでしたが、平成22年の常用漢字表の改定により「わたし」も常用漢字の読みとなりましたので、どちらで読んでも間違いではありません。
点訳でも、以前は「私」の読みは、「ワタクシ」と厳密に規定していたこともありましたが、常用漢字表の改定や実際の使われ方などから、現在ではどちらの書き方も同じくらいにあると思います。
一般に、「わたし」の方が「わたくし」よりはくだけた、打ち解けた用い方になると思います。現在の会話文では、ほとんどが「わたし」になっていると思いますし、1タイトル内で使い方を決めて、不自然でない読み方がしてあれば、あまり神経質にならなくてもよいと思います。
ただ、「私小説」「私立」「私商い」など慣用的な言い回しや複合語になっている場合は、使い分けが必要ですし、本や種々の作品のタイトルなどは、調査して書くことが必要になります。

7.p14 3.調査

「他愛ない」は、「たわいない」と読むのが一般的と言われておりますが、「他愛のない雑談」の場合は、どう読めばいいですか?

【A】

「タワイノ■ナイ■ザツダン」となります。
「他愛」と書くのは当て字で、「~が(も)ない」の形で、「正体がない」「思慮分別がない」「とりとめがない」「てごたえがない」などの意味の時には、「他愛」と書いてあっても、すべて「たわい」と読みます。
「他愛」を「たあい」と読むのは、「他愛主義」のように用いて、「自分の利益よりまず他人の幸福を願う」という意味のときだけになります。

8.p14 3.調査

「他」の読み方で、いつも悩みます。
点訳する上で、「た」と読むか、「ほか」と読むか、何か決定的な決まりはありますか。

【A】

決定的な決まりといえるものはないと思います。文脈や後ろに続く「てにをは」や前後の言葉遣いで自然かどうかを判断することになります。
ただ、「タ」では点字では意味が取りにくいのではないかと心配される方もいますが、以下のような理由から、「タ」と読む方が自然な場合が多いと思われます。
1.現在では「他」は音読みが「タ」、訓読みが「ほか」となっていますが、常用漢字表が改定されるまでは、「他」の読みは「タ」だけで、「ほか」は仮名で書くか、「外」の漢字を当てていました。戦後、長くこの状態が続いていたので、現在でもこのような文字遣いになっている読み物が多いと思います。
2.「そのた」には、「その他」の漢字だけが当てられます。「そのほか」は仮名か、「その外」となります。
特徴的な使われ方としては
「ほか」 ほかでもない、~ほかない(驚くほかない)、ほかに~ない
~のほか(思いのほか、思案のほか、このほか)
~ほか何名
「た」 たを~(他を圧する、他を顧みない、他を犠牲にする・・・)
たに~(他に先駆ける、他に抜きんでる)
たと~(他と区別する、他と異なる)
たの~(他の追随を許さない、他の業者の手に渡る)
などがあります。
このように、「他」は、まず「た」と読み、文脈上「ほか」と読んだ方がふさわしい場合に「ほか」と読むようにするのがよいと思います。

9.p14 3.調査

「描く」は「えがく」「かく」をどのように読み分ければよいですか。

【A】

「描く」も「私」「他」と同様、常用漢字の改定のときに、「えがく」に「かく」の読みも加わった漢字です。
本来は「えがく」で、
①絵や図をかく
②様子を写し出す。表現する。描写する。「若い教師の生活を描いた作品」
③心に思い描く、創造する。「理想を描く」「勝利を胸に描く」「夢に描く」
④ものが動いた跡をある形に表す。「孤を描く」「トンビが輪を描いて飛ぶ」
などのような意味があります。(「大辞林」などから)
この中で、「かく」とも読めるのは、①と④の意味で文の流れから「えがく」と読むと不自然な場合や、「絵描き」(えかき)のような例になると思います。
「孫が幼稚園で絵を描いてきた」「出勤前にさっと眉を描く」のような場合は、「かいてきた、かく」のほうが自然に読めると思います。
しかし、「描写する、創造する」のような内容の場合は、「えがく」の方が自然に読めます。
「かく」には本来「書く」という漢字を当てていますので、「描く」は基本的には「えがく」と読み、上記のように、絵や図、線などを(芸術的にではなく)書いているような場合で、「えがく」と読むと流れが不自然な場合にのみ「かく」と読むのがよいと思います。

10.p14 3.調査

「ちくまプリマー新書」を点訳中です。読者対象は中高生くらいだと思うのですが、「陽子の数」「原子の数」の「数」の読み方で迷っています。「スー」がいいのか、「カズ」がいいのか、どちらがいいでしょうか。

【A】

数学・理科の分野では、「すう」と読んだ方がよいと思います。
一般書や日常生活の場面では「かず」で構わないと思いますし、厳密な使い分けは困難ですので、読み分けに神経質にならなくてよいと思いますが、自然数を超える数字を扱う場面や数学・理科に関する本の場合は、「スー」と点訳することをお勧めします。
『点訳のてびき』の点字版でも「スーノ■カキカタ」「数4ケタマデノ■スー」「オオキイ■スー」「オヨソノ■スー」と書いています。
「ちくまプリマー新書」は、中高生向けの数学・理科、社会・政治などの分野の入門書的役割を果たしていますので、学校で学ぶように「スー」と書くことをお勧めします。

11.p14 3.調査

「あり得る」の読み方なのですが、「ありうる」と「ありえる」のどちらが点訳として正しいでしょうか。

【A】

「ありうる」と読みます。
「ありえる」という人も多くなりましたが、点訳では、本来の読みの「ありうる」を用います。
「得る」は、現代語では、「える」と読み、「え え える える えれ えよ(えろ)」と活用しますが、「ありうる」「かんがえうる」などのように動詞の連用形に続いて「~ことができる」の場合は、「うる」と読み、文語の形で活用します。
「え え うる うる うれ えよ」となります。
「ありうる、ありえない、考えうる限り、言いえて妙だ」のように用います。

12.p14 3.調査

「開く」で「あく」と「ひらく」の使い分け、読み分けはどうなりますか。

【A】

国語辞典で「開く(ひらく)」を引くと、辞典によっては15以上も語義が載っています。自動詞も他動詞もあり、どんな場合に読み分けるのか迷います。
そこで、「開く」(あく)の方を引いてみると、「明く」「空く」の漢字もあり、書き分けなども加味すると、どの辞書もおよそ次のような例が挙げられています。

自動詞
1.ぴったりとさえぎっていたものが、ずらされたり除かれたりする
「戸が開く、幕が開く、瓶の口が開く、蓋が固くて開かない」
2.合わさっていたものの間に隙間ができて中が見えるようになる
「口が開く、目が開く」
3.肌が広く出る 「背の開いた服」
4.穴ができる  「胃に穴が開く」
5.錠がはずれる 「かぎが開く」
6.営業が始まる 「店が開く、初日が開く」
7.開票になる  「票が開く」
他動詞
1.自然にあける 「口を開く、目を開く」
慣用句 「開いた口がふさがらない」

「あく」は、自動詞なので、目的語がある場合は「あける」になります。
ドアを開ける、カーテンを開ける、ジュースの栓を開ける、口を開ける、
目を開ける 本を開ける、かべに穴を開ける、カギを開ける、店を開ける、
票を開ける

ですから、目的語がある場合は、他動詞の「ひらく」と読みます。
ドアを開く、窓を開く、店を開く、心を開く、口を開く…いずれも「ひらく」になります。

辞書の説明によると、他動詞(目的語がある)で「開く」を「あく」と読むのは、意識的でなく、ぽかんとした状態の時だけという説明です。

これは、辞書による、およその使い分けで、特に1.や7.の意味の時には、「ひらく」とも読みます。ただ、「花のつぼみが開く、足が開く、実力の差が開く」などは「ひらく」としか読みません。

以上のことは、すべて、小型の国語辞典に書いてありますので、「開く」という簡単な語でも、国語辞典を引くと興味深く、いろいろな情報が得られます。

13.p14 3.調査

点訳している本の中に、意味合いが同じなのに「かつて」と「かって」が使われています。辞書で調べると、話し言葉では「かって」と言うこともあるとあります。しかし会話中の言葉でもありません。この様な時はどう点訳したらよいでしょうか。

【A】

数種の国語辞典や、文化庁「言葉に関する問答集」などを見てみると、「嘗て・曾て」は「カツテ」、「勝手」が「カッテ」の読みとなりますので、「てびき」p23(7)にあるように、この場合は「カツテ」と書いてよいと思います。
ただ、「かって」と発音する人もいることから、会話の中に出てきたときなどは、そのままでもよいと思います。

14.p14 3.調査

「かっこいい」を国語辞典で引くと、カナ書きで表記されます。「カッコウ」と引くと「格好」が表記されます。墨字で「格好良い」と書かれていると「カッコウヨイ」としか読めないと思います。
「格好良い」と墨字で書いてあり、ルビが「カッコヨイ」と書かれている場合のみ「カッコヨイ」と読むと思っていますが、この理解でいいでしょうか。

【A】

墨字で「格好・恰好」と書かれていれば、「かっこう」としか読めないとは言い切れません。もちろん「かっこう」が本来の読みですが、国語辞典でも「三省堂国語辞典(第7版)」では「かっこ」に「格好」の漢字があててありますし、「かっこいい」にも「格好いい」の漢字が、「かっこ悪い」に「格好悪い」の漢字があててあります。
「新明解国語辞典(第7版)」では、「格好良い」に〔口語では「かっこいい」とも〕と書かれています。「日本国語大辞典」は「かっこ」の見出しに「恰好」と書いてあります。
もちろん、地の文で「格好良い」と書かれていれば、「かっこうよい」または「かっこういい」と読むのが自然な読み方ですし、決して、「かっこいい」と読むことをお勧めしているわけではありません。
しかし、若者のくだけた会話文で、若者言葉が多用されているような場面などでは「かっこいい」と読む方が自然な場合もあると思います。
「格好・恰好」は「かっこ」と読むこともあることを念頭において、文脈にあった読み方をするのがよいと思います。

15.p14 3.調査

「中」を「ちゅう」と読むか「じゅう」と読むかの使い分けのルールはあるでしょうか。
「今週中に片付けます」
「締め切りが今週中で…」
「確かGW中にプロットをお作り頂くと…」

【A】

「中」についての国語辞典の説明から判断すると、「じゅう」は「中」のなかで、ある範囲の全体を表す時に用いる接尾語です。「一年中(じゅう)」「世界中(じゅう)」などになります。それに対して、ある時期の間、その範囲に含まれる場合は、「ちゅう」ということになります。
「今週中に片付けます」「締め切りが今週中で・・・」は、ともに、「今週のうちに片付ける」「今週のうちに応募する」のような意味だと思いますので、「コンシューチュー」がよいと思います。
「確かGW中にプロットをお作り頂くと…」、これも「ゴールデンウィークのうちに作っていただく」ですので、「外大大GW=チュー」がよいと思います。
「今週中ずっと忙しい」「GW中、観光地は人でいっぱいだった」なら、「じゅう」と読んでいいと思います。
ただ、語によっては、「ちゅう」とは発音しにくい語などもありますので、「ちゅう」か「じゅう」かは、迷ったときの参考にしてください。
参考までに国語辞典(『大辞林』)の「中(じゅう)」の項目を記します。
名詞についてその語の示す範囲全体にわたるという意を表す。
1.期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。一年中、一日中
2.空間や範囲を表す語に付いて、その区域全体、その範囲に含まれるものすべてなどの意を表す。世界中、町中
3 .集合体・集団を表す語に付いて、その成員のすべてという意を表す。学校中、親戚中

16.p14 3.調査

以下のような場合、「表面」「裏面」はどう読みますか。
民生委員が訪問時に持参するPRカード(表面)
カードやはがき等の表裏の面について、「おもてめん」「うらめん」と読んでいましたが、「裏面」を「うらめん」 と読むのは間違いで正しくは「リメン」だと指摘を受けました。上記のように、カードとかはがきの「表面」「裏面」の読み方は、正しくは「ひょうめん」「りめん」で、点訳でも「ヒョーメン」「リメン」とし、「オメテメン」「ウラメン」とは読まないのでしょうか。

【A】

確かに多くの辞書には、「おもてめん」「うらめん」という見出し語はありませんが、中には、「もののおもてがわ」の意味の所に「おもてめん」と書いてあったり、「うらめん」の見出しがある辞典もあります。
実際には、硬貨のおもて・うらを指す場合には、財務省の発表でも
《2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会記念五百円貨幣の図柄(表面)について(報道発表 令和元年7月29日 財務省)》
この「表面」にわざわざ(おもてめん)とルビがふってあります。
また、『点訳のてびき第4版』第1章p9下から5行目の「裏面」を点字版では「ウラメン」と点訳しています。
葉書のおもて・うら、硬貨のおもて・うら、点字用紙のおもて・うらなどは、表面(ひょうめん)ではなく「おもての面」「うらの面」ですので、「おもてめん」「うらめん」と読んでよいと思います。

17.p14 3.調査

時代小説の「店」について、「たな」「みせ」どちらで読むか悩んでいます。
・大店の屋根屋根に降り積もった雪は今にも店を潰してしまいそうだった。
・「その店は、小間物屋の中ではかなりの大店です。・・・」
角川古語大辞典では、《大きなみせや問屋を「店」、それ以外を「見世」と使い分けることもあったという。「みせ」は、商家で道路に面して商品を並べて見世、客に応接する間》。岩波古語辞典では、《「たな」は小売店、「みせ」見せ棚》とあり、どのような種類のみせのことを、「店(たな)」と読むのでしょうか。

【A】

調査なさったとおりで、複数の辞典の語義を並べると
「たな」は、商品を並べる棚。そこから転じて商店、小売店、奉公人の奉公先の商家、職人の得意先の店、借家・貸家、日頃出入りしていて世話になっている店、主人として仕える人の店、職人の得意先
「みせ」は、商店、下級の遊女が客を招き寄せるための道路に面して格子を巡らせた座敷、遊女がそこで客を待つこと、客を呼ぶ下級の遊女、商家の商品などを積んで陳列してある場所
などとなります。
ただ、時代小説は、あくまで現代に書かれた読み物で、江戸時代の言葉を全てそのまま使用して表現しているわけではなく、その当時にはなかった言葉や言い回しを取入れながら、江戸時代の雰囲気を表現しているわけです。ですので、当時の言葉をそのまま使い分けするのには無理があったり、文章自体が不自然な表現になったりすることも考えられます。あまり使い分けを厳密に考えなくてよいと思います。
「たな」の読みで一語となっている「大店」(おおだな)、「店子」(たなこ)「店卸し」(たなおろし)、「お店」(おたな)などは、「たな」と読むことにし、それ以外は、不自然でなければどちらも可としてはどうでしょうか。
ご質問の文にある
・大店の屋根屋根に降り積もった雪は今にも店を潰してしまいそうだった。
・「その店は、小間物屋の中ではかなりの大店です。・・・」
も、
「おおだなのやねやね~、いまにもみせをつぶして~」
「そのみせは~おおだなです」
と読んでも不自然ではないと思います。

ただ、原本によって、地の文も会話文も、江戸時代の言葉遣いや表現にこだわって書かれている読み物の場合は、辞典の区別を採用した方がいい場合もあると思います。

18.p14 3.調査

この頃よく耳にする言葉に「盛り土」「手指」があります。
「盛り土」は「点字表記の語例」でも「モリツチ」とされており、「モリド」は建築用語と考えていましたが、毎日のようにテレビで「モリド」と言われていると「モリツチ」にと校正しても「なぜ?」ということもあります。今後は「モリド」が一般的になるのでしょうか?
また「手指の消毒」を「テユビ」ということも多くなっていますが、個人差があるようです。「手指消毒」とあればやはり「シュシ■ショードク」だと思うのですが、新しい言葉の読みには迷います。

【A】

日本語としての自然な読みは、「もりつち」であり、「しゅし」だと思います。しかし、言葉は使われ方や時代によって変わったり、一部の業界の言葉が事件や事故によって急に多く使われ出したりすることは、よくあります。
それが、一過性のものか、定着するのかは、長い期間が経ってみないと分からないと言うこともあります。
「盛り土」も建築用語としては、「もりど」だという説と、建築関係でも「もりつち」であるという説もあるようです。
「てゆび」の言い方は、コロナの消毒の関係で、《「手」だけでなく「指」も》を強調したいためによく使われるようになったようです。
一般の図書を点訳する場合は、本来の自然な読みを採用するのがよいと思います。ただ、広報誌や時事性のあるものなどは、ニュースなどの読み方を用いて、「モリド」「テユビ」で読んでもよいと思います。

19.p14 3.調査

「牛」の読み方についてお尋ねします。松阪牛「まつさかうし」、米沢牛「よねざわぎゅう」などは、統一されているようですが、近江牛は「おうみうし」「おうみぎゅう」両方書かれています。神戸牛は「神戸ビーフ」と書かれています。点訳ではどちらにすればいいでしょうか。他の銘柄についてはどうでしょうか。

【A】

ブランド牛の呼び方について調べてみたところ、以下のような記載がありました。
松阪牛(三重)=まつさかうし(松阪牛協議会)
米沢牛(山形)=よねざわぎゅう(米沢牛銘柄推進協議会)
飛騨牛(岐阜)=ひだぎゅう(飛騨牛銘柄推進協議会)
近江牛(滋賀)=おうみうし(「近江牛」生産・流通推進協議会)
前沢牛(岩手)=まえさわぎゅう(前沢牛協会)
但馬牛(兵庫)=たじまぎゅう(神戸肉流通推進協議会)
佐賀牛(佐賀)=さがぎゅう(JAさが)
しかし、ブランド牛はこれだけではありませんし、三田牛、山形牛などもあり、また、調べると前沢牛(まえさわうし)の呼び名も出てきます。
ただ、食べ物としては「ぎゅう」のほうがより一般的のようです。
「生きもの」としてとらえるときと「食べもの」として扱うときで、単語を区別する場合があり、「鶏」は、動物としては「にわとり」ですが、食べるときには「とり」や「かしわ」、「鮭」は、生き物としては「さけ」ですが、食べるときは「しゃけ」のように呼び分けられます。「豚」も、東日本では、食べ物としては「トン」が多かったのですが、今はあまり区別されていないようです。
「牛」は、生き物としては「うし」、食べるときは「ぎゅう」が多いようです。
ブランド牛も、飼育している間は「うし」、食べ物としては「ぎゅう」のイメージがあるのだと思います。ステーキになったものを「うし」と呼ぶのには違和感があるのが一般的な感覚だと思います。
ブランド牛(ぎゅう)を食べ物として呼ぶときには、「ぎゅう」がよいのかもしれません。
一例として、《但馬牛(うし)を素牛(もとうし)として、三田近郊の農家が作り出した牛肉を三田牛(さんだぎゅう)という》という記述もネット上にありました。

20.p14 3.調査

「蝉の音」の「音」の読みについて教えてください。「セミノ■ネ」とするのか「セミノ■オト」とするのか。
辞書では、《「おと」が大きな音響を指したのに対し、「ね」は比較的小さな、人の感情に訴えかけるような音声をいう。》とあります。
人によって感じ方が違うと思うので、どちらでも正解ともいえそうですが、やかましい音だとすると「おと」、静かに聞こえるのは「ね」となりそうな気がします。
ミンミンゼミの集団の、蝉の音だと「セミノ■オト」
秋の訪れを知らせる、蝉の音だと「セミノ■ネ」
と考えましたが、どのような判断がよいでしょうか。
ほかに「鐘の音」は、
競輪場の最終周回を知らせる、鐘の音だと「カネノ■オト」
京都のお寺の鐘の音だと「カネノ■ネ」
京都という言葉があるだけで、すべてが「カネノ■ネ」となりそうなのは、私の思い込みかもしれませんが・・・
「琴の音」については、
名奏者のすばらしい琴の音は「コトノ■ネ」
初心者の下手くそな琴の音は「コトノ■オト」
となるでしょうか。
本文の状況等を勘案して判断してよい。と、思っていますが、点訳フォーラムの考えを教えてください。

【A】

現代では、厳密な使い分けはされておらず、現代の国語辞典では、聴覚的に引き起こされる響きを「おと」、情緒的な音声や快い響きを「ね」という程度の説明しかありません。

「古典基礎語辞典」を引いてみると
おと: 聞こえるものの響きや動物の発する音声。聴覚に届くことが意味の中心なので音量的には大きな音声であることが多い。おとはそれを発する本体の存在に関心を置く語で「波のおと」「風のおと」など音源となる波や風の激しさや強さを間接的に示したり、季節の到来を暗示する。
①ひびき 雨・風・波・滝・楫・鐘等の発する響き
秋きぬと目にはさやかにみえねども風のおとにぞおどろかれぬる
②遠くから聞こえる声。鳥や動物、特に鶯・ほととぎす・雁・鹿など

ね: 「鳴く・泣く」の語幹の「な」が転じた語。音声を情緒的に扱うときの語。人・鳥・獣・虫など生物が発し、聞く側に情意を感じさせる音声。無生物の発する音声でも聞く側の心に訴えるものとして耳に入る音を「ね」と扱う。
① 鳥獣虫などの情趣を感じさせる鳴き声
② 人の泣く声、すすり泣くような哀切な泣き声
③ 情感的に聞こえる物の音、楽器の音
※「おと」は音声としてはっきり聞こえる物の響きや生物の発する声、鳴き声をいい、音声をより物理的に扱う語である。「おと」というときには良く聞こえる音量的に大きな音声であるのに対し「ね」は小さな音、かすかな音声を扱うことが多い。

となっていますので、物や動物が発する大きな音声を「おと」、情緒的な心地よい、より小さな音声を「ね」として、考えてよいようです。
そうすると
例示してくださった
ミンミンゼミの集団の、蝉の音は、セミノ■オト
秋の訪れを知らせる、蝉の音は、セミノ■ネ

競輪場の最終周回を知らせる、鐘の音は、カネノ■オト
京都のお寺の、鐘の音は、 カネノ■ネ
という判断は、「京都」に「情緒的な、心地よい」という形容詞が当てはまるとすると、あっていると思います。
ただ、「ピアノの音」「ヴァイオリンの音」等になると、いくら心地よくても「ネ」とは言わないようです。「ピアノノ■オト」「ヴァイオリンノ■オト」のようになるようです。
日本の古典的な使い分けが、現代にぴったりとあてはまる訳ではないようです。

念のために申し添えますが、「点字表記の語例」では、「琴のね、鈴のね、虫のね、風のおと、水のおと」の語例がありますが、これは「音」を必ずこのように読まなければならないと言っているのではなく、「ね」「おと」を漢字で表すと「音」であることを示しています。

21.p14 3.調査

「後」の読みかたについて、文章によって読み方を変えるべきでしょうか。
追及をやめたわけじゃあない。後に回しただけよ。
私は聞いたことがある。というか後にその女性と、
後に父に対する隔意を持っても、
洗うのは後にするにしても
彼が後に続く気配を、
この後の彼は、母の故郷に戻ってのんびり畑でも
佐藤氏は後に証言する

【A】

「あと」と「のち」は、語源は異なるようですが、時間的なことを示す場合は、現代では、その使い分けが曖昧になってきていると思います。
「あと」は「あ(足)」と「と(所)」からできていて、足の踏んだところから、「跡」とも同じ意味で使われ、時間的・時期的な「あと」も、空間的、場所的な「あと」も示すのに対し、「のち」は線状に続く時間の末、先の方を示し、現在では、ほぼ時間的な意味で用いられます。しかも、文語的でかしこまった文章に用いられることが多いと思います。
慣用的な言い方でも「あとがない」「あとからあとから」「あとにも先にも」「あとのまつり」「あとは野となれ山となれ」「あとへはひかない」「あとをたたない」「あとをひく」など「あと」と読むことが多く、「のち」は「のちのよ」「のちのちまで」のように、かなり時間が経過した時点を差すときに用いられることが多いといえます。ただし「はれのちくもり」は「のち」です。
参考までに、「てにをは辞典」(三省堂)によると、後ろに続く助詞は、「あと」は「が、を、も、から、で、へも、まで、に、は、の」と表現の幅が広いのに対し、「のち」は「に、の、ほど」が挙げられているだけです。

ご質問の例は
追及をやめたわけじゃあない。後に回しただけよ。 ⇒  あと
私は聞いたことがある。というか後にその女性と、 ⇒ のち
後に父に対する隔意を持っても、 ⇒ のち、あと
洗うのは後にするにしても  ⇒ あと
彼が後に続く気配を、⇒ あと
この後の彼は、母の故郷に戻ってのんびり畑でも ⇒ のち、あと
佐藤氏は後に証言する ⇒ のち、あと
以上のように考えられますが、どちらとも判断がつかないもの(原本全体の雰囲気や作者の表現の特徴など)が多いので、明らかな違和感がない限り、点訳者の判断に任せることは多いと思います。校正では、上に挙げたような慣用的な表現の誤りなどを指摘するに止めるか、あくまでも校正者の意見として参考的に付け加える程度にすることがよいと思います。

22.p14 3.調査

「息を吐く」で、「ツク」か「ハク」かで悩みます。
小さく息を吐いた
大きく息を吐いた
長い息を吐いた
で、「ため息をつく」「ちょっと一息つく」のように、少なめな息の場合は「つく」のイメージでしたが、広辞苑では
(慣)息をつく:ためていた息を吐いて大きく呼吸する。
とあります。どう考えたらよいでしょうか。

【A】

「つく」と「はく」は厳密な使い分けは難しいと思います。「吐く」は「はく」が本来の読みで、「つく」は「突く」から転じて、「細長いところをとおして強く出す」ところから、口・鼻からだすものに使うようになったようです。
「つく」には「悪たれ口をつく、悪口をつく、嘘をつく、陰口をつく、ため息をつく、嘆息をつく、吐息をつく、寝息をつく、一息つく、ひと呼吸つく、(肩で、はあはあ、ふうっと)息をつく」などの例がありました。
小さく息を吐いた
大きく息を吐いた
長い息を吐いた
は、「はいた、ついた」どちらも誤りとは言えないと思いますが、ニュアンスとしては、ただ体内のものを外へ出すだけでなく、「つく」方がよいような感じがします。

23.p14 3.調査

「良い」について、「よい」と「いい」の読みわけはどうなりますか。会話や対談では、くだけた雰囲気の「いい」、地の文では改まった感じの「よい」とはっきり区別が付けられればいいのですが。

【A】

数種の国語辞典を引いてみると一様に、「よい」は文語の「よし」からでた形容詞であり、望ましい状態を広くいう語で、口語、話し言葉の終止形・連体形では「いい」が用いられると、書いてあります。
「いい」は、「よい」のくだけた言い方で普通の会話や文章で使うという書き方もあります。
いくつかの資料を調べた結果をまとめてみると、
・動詞の連用形につくときは「よい」が使われる。
これには「住みよい」「書きよい」などが該当します。小説などでも「踊りよい」(谷崎潤一郎)「書きよい」(志賀直哉)などと使われているようです。
・終止形の場合は、両方使われるが、「いい」の方が話し言葉的である。
~するのがよい、~するのがいい
~した方がよい、~した方がいい
~すればよい、~すればいい
~してよい、~していい
~してもよい、~してもいい
今日は天気がよい、今日は天気がいい
・連体形の場合は、現在はあまり「よい」は使われない
いい男、いい女、いい顔、いい感じ、いい加減、いい気なもの、いい仲、いい迷惑だ、いい気味だ、いい薬になる、いい子になる、いいようになる、いい面の皮、いい年をして、いい恥さらし、いいざまだ、いい目が出る
ただ、「良い子」は「良い子の皆さん」もよく使われている。
・公用文では、ひらがなで書くときも「よい」と書く。
平成22年11月30日付け内閣訓令第1号「公用文における漢字使用について」には、「よい」の漢字表記は「良」「善」であり、平仮名表記は「よい」であるということです。そして「良」にも「善」にも「いい」という読みは認められていない。

以上のようなことが分かりましたが、点訳では、原文で漢字の「良い・善い・好い」が用いられていて、読み方に確信が持てない場合は、「よい」と点訳すればよいと思います。

24.p14 3.調査

「注ぐ」という漢字のルビについてお尋ねします。
その本の中では
・ワインを注ぐ
・カップに注いだ
・コーヒーを注ぎ始めた
・コーヒーを注ぐ これだけ「そそぐ」とルビがあります。
「てびき」では文脈から判断してとありますが 「注ぐ」のような簡単な言葉の方が難しいと思います。私はルビのある「コーヒーを注ぐ(そそぐ)」だけ「ソソグ」として、あとは「つぐ」と点訳しました。同じコーヒーという文なので 「コーヒーを注ぎ始めた」も 「ソソギハジメタ」とした方がよいでしょうか。

【A】

「注ぐ」は本来の読みは「そそぐ」で、「流れ込む、流し込む、ふりかける、流す、落とす、集中する」などの意味がありますが、「つぐ」との使い分けに悩むのは、「液体を容器などに流し込む、上からふりかける」の意味のときになります。
「つぐ」は、「継ぐ」と同じ語源とのことです。「注ぐ(つぐ)」の語義を種々の辞典から抜き出してみると、「補充する、欠けたところを補って本来の状態にする」「水、酒、油などを加え添える、だんだんとさし加えていく」「あとからあとから加える、不足などを補う、液体を注ぎ入れる」「器にものを満たす」などとなります。
「そそぐ」も液体を容器に流し込むことですが、どちらかと言えば、お酒や飲み物をつぎ足すような意味合いの時は「つぐ」、コーヒーを煎れて器に注ぐときには「そそぐ」のようなニュアンスの違いはあるかもしれません。「宴席で酒をついでまわった」「コーヒーのおかわりをついだ」のような場合は、「つぐ」があっていると思います。
しかし、文脈や描写からそれを読み取ることが難しい場面も多いですし、個々人が感じるニュアンスの違いや、地域による違いも大きいようですので、はっきりと区別することは難しいと思われます。
ご質問の本で、「コーヒーを注ぐ」にだけ「そそぐ」とルビがあるのは、そこにこだわりがあるのかどうか分かりませんが、そこは「そそぐ」と読み、あとはお考えの通りでよいと思いますが、迷った場合は、「そそぐ」の方を選択してはいかがでしょうか。

25.p14 3.調査

『萬川集海』のマスあけについて、「細い川もたくさん集めれば海になる」という意味なので、「バンセン■シューカイ」と書いてよいという回答をいただきました。
私は、今までこういう語句を切る時、切る前後の語が辞書の見出しにあれば切り、なければ続けると判断してきました。
「萬川」も「集海」も辞書にはなく、ネットの検索ではどちらかの語を入れるだけで、「萬川集海」と出てきますので、一続きの語句と考えてしまいました。
「細い川もたくさん集めれば海になる」という意味だから区切るというように語句の意味を調査し、深く理解して処理するという事でしょうし、確かに拍数や発音の切れ目ということも考慮に入れて判断するとは聞いています。また、Q&Aにも「機械的に処理するだけでなく」という言葉は何度も出てきますが、とても難しいです。辞書に「ある」「なし」で判断するのは間違いでしょうか。

【A】

一般の国語辞典には、世の中の全ての語が掲載されている訳ではありませんので、辞書に載っているかどうかで切れ続きは決定できません。
もちろん辞典を引いて、読みや意味のまとまりの判断の助けとすることは必須のことですが、それを元に、点字のルールに当てはめたり、読みやすさを考慮したりして判断することになります。
一般的なことばでも「地産地消」は、ひとまとまりの語としては多くの辞書に載っていますが、「地産」だけ、「地消」だけが載っている国語辞典は殆ど無いのではないでしょうか。それでも点字では、意味のまとまりを考えて「チサン■チショー」と区切って書きます。「臥薪嘗胆」や、「冠婚葬祭」の「冠婚」なども同じような例といえます。
辞書で調べることは必須ですが、辞書を引いて分かったことを元に切れ続きを判断することになると思います。

26.p14 3.調査

観音堂巡りの本の校正を担当しています。原文中に十一面観世音菩薩立像や日光菩薩立像などの語が出てきます。
この場合の「立像」についてですが、「りゅうぞう」と読むと思っていましたが点訳書では「りつぞう」となっています。
改めて辞書で調べたところ、広辞苑も大辞林も「りつぞう」の読みだけでした。岩波国語辞典では「りつぞう」の説明の中に「仏像などでは“りゅうぞう”と言う。」とありました。これをもとに「リューゾー」と校正してもよいでしょうか。「りつぞう」も完全な誤りとは言えないので、点訳者の読みを尊重した方がよいでしょうか。

【A】

国語辞典では、「座像」に対して、立った像が「りつぞう」という読みがあり、読みとしては、「りつぞう」を掲げている辞書が多いようです。ですから国語辞典の範囲では、校正として指摘することは難しいと思います。
ただ、「日光菩薩立像」や「月光菩薩立像」「十一面観世音菩薩立像」は、その仏像がある寺院のホームページでは、「りゅうぞう」のルビのある寺院が多いようです。文化庁・宮内庁・読売新聞社が官民連携で取り組んでいる「紡ぐプロジェクト」のホームページでも「りゅうぞう」と読んでいます。
「NHKのことばのハンドブック」では《固有名称では「りゅうぞう」が多い》とも書かれていますので、「固有名称なので」と断って、校正で指摘するのがよいと思います。

27.p14 3.調査

「夜」について、どのような時に「よ」や「よる」になるのか、迷います。
「あの夜」、「事件の夜」、「悪夢の夜」、「寒い夜」、「昨日の夜」は、「よ」でよいのでしょうか。
「夜はたいてい」等、複合語にならない場合は「よる」となるのでしょうか。

【A】

「夜」は、「国語辞典」を引いても、同じ意味が書いてありますので、現在は、「よる」「よ」のどちらで読んでも間違いとはいえないと思います。
ただ、「日本国語大辞典」によると
1.「よ」が複合語を作るのに対し、「よる」は複合語を作らない。(並立的な「よるひる」は例外)
2.(上代の用い方の説明なので省略)
3.元来「よる」は、「ひる」に対して暗い時間帯全体をさすが、「よ」はその特定の一部分だけを取り出していう。従って、古くは連体修飾語が付くのは「よ」であり、「よる」には付かなかったとする考えが出されている。
とあります。

以上のことからすると、連体詞「ある」「その」「あの」などの後ろは、「よ」と読むのが自然ということになります。なお、「どの」の場合は、「よる」と読んだ方が自然かもしれません。

現在では、「あの夜」「その夜」などは「よ」と読む方がよいと思いますが、
「事件の夜」「悪夢の夜」「昨日の夜」「寒い夜」などは、「よ」「よる」どちらで読んでもよいと思います。

28.p14 3.調査

戦国時代の忍びのことが書かれた本です。
「印代の判官なれば、何か知っているやもしれぬ」
この場合の「判官」は「ハンガン」「ホーガン」どちらでしょうか。

【A】

一般には、ハンガン、ホーガンどちらでもよいと思いますが、判官は、「ジョー」とも読みますし、特定の人物を表す場合は、読みが決まっている場合もあるようです。
以下、「NHK放送文化研究所」の解説によると

「判官」は、武士の役職・官名のほか裁判官の古い言い方ともされ、「はんがん」「ほうがん」両方の読みがあります。歌舞伎や浄瑠璃に登場する「~判官」の読みは以下のとおりです。
[ハンカ゚ン]・・ 『仮名手本忠臣蔵』の「塩谷判官<えんやはんがん>」、『小栗判官車街道』、『オグリ』「小栗判官<おぐりはんがん>」
[ホーカ゚ン]・・ 『勧進帳』などの源「九郎判官<くろうほうがん>」義経
源義経を「判官<ほうがん>」というのは、義経が検非違使の「尉<じょう>」という職位にあり、「尉」の別称が「判官」だったためとされています。
「判官贔屓(ほうがんびいき)」ということばも、兄頼朝に冷たく扱われる悲運・薄命の武将義経への愛惜や同情・肩入れの気持ちを表し、転じて「弱者に対する第三者の同情や贔屓<ひいき>」(広辞苑)を意味するようになりました。また、浄瑠璃や歌舞伎で、義経に関する物語や伝説をもとにした作品を「判官物(ほうがんもの)」と言います。

と書いてありましたので、参考になさってください。(なお、[ハンカ゚ン][ホーカ゚ン]の「カ」に半濁点は鼻濁音を表します。)

29.p14 3.調査

広報誌の原稿に以下のようにあります。
『※各種手帳割引‥山麓駅窓口に手帳を提示大人890円・小人460円』
『大人』『小人』は辞書では、入場料・乗車賃などを示す場合に『だいにん』『しょうにん』とありましたが、『おとな』『こども』と点訳してよいでしょうか。

【A】

「大人・中人・小人」は「ダイニン・チューニン・ショーニン」となります。遊園地や展示館などの施設の料金は、単に「おとな」「こども」ではなく、都道府県などによって年齢区分も異なるようですので、「おとな」「こども」とすると分類上誤解をまねく恐れもあります。文脈にもよりますが、ご質問のような場合は、「ダイニン、ショーニン」と書いた方がよいと思います。

30. p14 3.調査

1タイトルの中に「目を真赤にして」「真黒になった紙を」「真白いご飯が」と「っ」のない漢字のことばがでてきます。1か所「まっ白な紙の上に」のところは「っ」があります。辞書で調べると「真赤」「真黒」「真白」もあるので、「マアカ」「マクロ」「マシロ」と点訳するべきでしょうか。「真中(道路の真中を歩く)(髪を真中から分けて)」も「マナカ」でしょうか。「マッカ マックロ マッシロ マンナカ」と点訳してもいいでしょうか。

【A】

「常用漢字表」や「送り仮名の付け方」のルールを厳密に用いると、「まあか」「まくろ」「ましろ」「まなか」と読むことになります。
一方、小型の国語辞典の中には、「まっか」「まっくろ」「まっしろ」「まんなか」を引くと、見出しの表記に「真(っ)赤」「真(っ)黒」「真(っ)白」「真(ん)中」と書いてある辞書があります。この(っ)(ん)は、送らないことが古い習慣である場合や送っても送らなくてもよい送り仮名であることを示します。いくつかの国語辞典で、このような表記を示しています。
また、文化庁の「言葉に関する問答集」では、「生粋」を例に挙げ、公用文や教科書では「生っ粋」と書くことになるが一般の人が書く場合には、どちらを選んでもどちらかに統一して用いればよいと書かれています。
このようなことから判断して、点訳にあたっては文脈上不自然でない読みを採用するのがよいと思います。現代の一般書でしたら「まっか、まっくろ、まっしろ、まんなか」と読むのが自然だと思います。

31. p14 3.調査

『国家と記録』2019年刊集英社新書、宮内庁の書陵部についての記述です。
(原文)
①宮内庁書陵部は1949年に、図書寮(ズショリョウ)を引き継いで発足した組織です。皇室に伝わる「図書」、「文書」などの管理や、実録(天皇や皇族の伝記)などの編纂、歴代天皇などの陵墓の管理や調和を担当しています。
②ただ、閲覧できる資料の内容の豊富さには圧倒されました。これほどまでに整然と「文書」が残っているものなのかと感心することが多かったのです。宮内庁は先例を重視するため、あとから編纂を行って資料をまとめなおしており、職員が参照しやすい形で「文書」が保存されていました。

「文書」2か所の読みです。
「ズショ」「モンジョ」とも国語辞典には規定はありません。ネット上ではズショは平安期の読み、モンジョは江戸期以前の慣例的な読みとあります。古文書、文書袋など特定の読みや、東大寺文書など固有名称、古文中の読み、のみをモンジョとし、ほかはブンショと読むことはできますか。

【A】

「文書」を「ブンショ」と読むか「モンジョ」と読むか、きちんと読み分けることはできませんので、お考えの点訳方法に賛成です。
古文書、文書袋など特定の読みや、東大寺文書など固有名称、古文中の読みを「モンジョ」とし、ほかは「ブンショ」と読むのがよいと思います。

32.  p14 3.調査

「家」を「いえ」と読むか、「うち」と読むかの読みわけについてです。
「いえ」は「ハウス」、「うち」は「ホーム」の意味で使い分け、改まった言い方ではない会話文の時は「うち」と読んだ方がしっくりする事が多いように思っています。

よく店に来る廃品回収業の男性に、壊れた自転車を回収してもらえるかどうかを聞く会話文です。
「できるけど、どこにあります?」
「家なんですけど」
「家、どこです?」

という文で、私は単純に会話だからと考えて「うち」と点訳してしまいましたが、よく考えてみたら住所を訪ねている訳で、やはり「いえ」と読んだ方がいいのではと思い始めました。
また、家出をした人のことをいう時、

「息子は家にいないんです…」
「家を出たんです」

という文ですが、やはりこちらも「いえ」と読んだ方がいいでしょうか。

【A】

確かに、お考えの通り、「いえ」は「ハウス」、「うち」は「ホーム」の意味で使い分け、改まった言い方ではない会話文の時は「うち」と読んだ方がしっくりする事が多いと思います。
『NHKことばのハンドブック』にも《原則として「いえ」は建物を指す場合、家庭を指す場合は「うち」》と書かれています。
ただ、常用漢字表を見ると「家」は「カ・ケ・いえ・や」と読み、「うち」の読みは入っていません。国語辞典の中には、「内」の見出しに《自分の家・家庭を指す場合は「家」とも書く》とある辞典もありますし、ほとんどの辞典で「いえ」の項では、1番目は「人が住むための建物」の意味ですが、次に「我が家、家庭」の意味も入っています。
このようなことから、会話文かどうかや文脈によって、「家」を「うち」と読むこともありますが、明確な使い分けはできず、迷った場合は「家」本来の読みである「いえ」を選択するのがよいと思います。

33.p14 3.調査

「市場」の読み方についてお尋ねします。
「築地市場」は「つきじしじょう」と読むと思いますが、そのあと 市場に出入りする人たちが・・・。午前6時だったら市場ではちっとも早い時間ではない。といった文があります。この場合、「つきじしじょう」に合わせて「しじょう」と読んだ方がよいのでしょうか。それとも「いちば」でよいのでしょうか。

【A】

「いちば」は、毎日または定期的に多数の商人が集まって、商品売買を行うところ、「場所」を言い表す場合で、
「しじょう」は「経済的な機能」を言い表す場合に使うようです。
いちば・・・ 魚~ 青物~
しじょう・・・ 売手~ 買手~ 卸売~ 青果物~ ~価格 ~経済 ~調査
ただ、「場所」を表す場合にも固有名詞では「しじょう」と言うところもありますので、その読みに合わせることになります。
東京都のホームページでは、中央卸売市場にはすべて「しじょう」とルビがありますし、アルファベットで「sijou」と書いてありますので、築地市場や豊洲市場は、「ツキジ■シジョー」「トヨス■シジョー」のようです。
ただ、ネット販売のトヨスドットコムは、トヨス■イチバ、ツキジ■イチバとなっています。
ご質問の原文の場合、「市場に出入りする人たちが・・・。午前6時だったら市場ではちっとも早い時間ではない」は「シジョー」と点訳してよいと思います。

34.p14 3.調査

「乳母」は、一般的には「うば」と読みますが、時代物は「めのと」と読んでもいます。今、点訳中の本では「乳母夫」にルビが「めのと」と出ていて女性の乳母にはルビはありません。女性の乳母に「めのと」、夫の乳母夫に「めのとぶ」と読んでよろしいでしょうか。「乳母夫」のルビを「めのと」と読むなら女性の乳母は「うば」ですか。迷っています。

【A】

「乳母」も「乳母夫」も「めのと」と読みます。
殆どの場合、それでよいと思いますが、前後の文脈で判断できなくて、しかも、判断しなければならない場合には、(オット)(オトコ)などと補足するのがよいと思います。
「父子」「母娘」「父娘」などを、すべて「オヤコ」と読むのと同様の処理になります。

35.p14 3.調査

「方」の読みで「カタ」か「ガタ」で迷っています。「役目は公用方」はコーヨーガタでしょうか。

【A】

「方」は「かた」とも「がた」とも読みますが、接尾語的に用いる場合で連濁しても用いられることもあるのは
(1) 数量や時を表す名詞について、それくらい・そのころを示す。「暮れ方」「朝方」「5割方増し」
(2) 動詞の連用形や名詞に付いて、必ず相手方があると予想される場合の一方の側を表す。「母方」「敵方」
のようです。
組織内の係や担当を表す場合は連濁しないようです。「囃子方」「道具方」「公用方」は「ハヤシカタ」「ドーグカタ」「コーヨーカタ」と読んでよいと思います。

【新規】 p14 3.調査

「瞬く」の読み方について
・堀田は眼を、瞬かせて俯いてしまう。
・人の数倍は瞬きをした。
「瞬く」は辞書をみると「マバタク・シバタタク・マタタク」と色々な読み方が載っています。例文の時、私は「マバタク」と読みました。
しかし、この本はシリーズもので次の本には「眼を瞬(しばたた)かせてから~」とルビ付きの文が出ています。合わせた方がいいでしょうか。
読み方のルールがあるのかも知りたいです。

【A】

「瞬く」の読みのうち「またたく・まばたく」と「しばたたく」は自動詞と他動詞の違いがありますので、用法も異なってきます。
「しばたたく」は他動詞ですので、目的語を必要とします。
シリーズものにルビがあったのは、「眼を瞬かせてから~」が、目的語(眼を)があるので、ここは「しばたたかせる」と読んでほしいということでルビがあったのだと思います。目的語がない場合、「星がしばたたく」「まぶしそうにしばたたく」は不自然な読み方になります。
また、「しばたたく」は、「しきりにまばたきする」「何度もまばたきする」という意味ですので、単に「まばたく」より激しい様子を示します。
「またたく」と「まばたく」については、古語では「またたく」だけだったのですが、発音の変化から「まだたく」「まばたく」などの言葉がうまれたようです。
どちらも同じ意味ですが、「まばたく」は「人間や動物だけ」と限定する立場をとる辞書も多くあり、「星がまばたく」とは、あまり言わないと思います。
これらから、
人間や動物には、「またたく・まばたく」どちらも用いる。
星や町の灯などは、「またたく」としたほうが自然である。
「しばたたく」は、「またたく・まばたく」より頻度が高い様子を表し、目的語があるときにのみ用いる。
とすれば、自然な読み方になると思います。
なお、目的語があっても「目をまばたかせる」などの言い方はあります。

36.p14 3.調査

例文に書かれている名前の点訳について伺います。原本に財産目録や遺言書について、書き方の書式と例文が記載されています。その例文の氏名は、「山田一郎」や「吉田次郎」など一般的なものが書かれているのが多い状況です。しかし、「田中幸子」や「佐藤正太郎」の記載があります。
名前の読み方のネット検索を行い、「さちこ」か「ゆきこ」か、「せいたろう」か「まさたろう」にするか、と悩んでいます。
このような場合、どうしたらよいでしょうか、点訳書凡例は必要でしょうか。

【A】

あくまでも例文でしたら、一般的と思われる読み方でよいと思いますし、例文と理解して読むものでしたら、点訳書凡例は必要ないと思います。
任意の名前であることが分からない恐れがある場合は、点訳書凡例で「例文の中の名前の漢字は、一般的と思われる読みとした」のように断ってもよいと思います。
「田中幸子」は「たなか さちこ」、「佐藤正太郎」は「さとう しょうたろう」が最も多い読み方のようです。

37.p14 3.調査

「全視情協点字情報便 第17号」(2020.3.28発行)にて、点訳ナビゲーターの変更点についてお知らせがありましたが、「菊花賞(キッカショー)、三方良し(数3ポーヨシ)、国公立」は、点訳フォーラムでも変更しますか?
特に、点訳ナビゲーターで削除となった「国公立」の点字表記について、掲示板747(2017.3.18)で納得しているので今まで通り「コクコーリツ」で統一するか、1タイトル中で統一していれば「コッコーリツ」も指摘しないことにするか、など自施設の方針を決めかねております。

【A】

「菊花賞、三方良し、国公立」は、点訳フォーラムでは変更しません。
いずれも「てびき」第1章 その6「3.調査」(p14~p15)、第2章 その1 1 4.(2)(p20)に従った読みですので、「キクカショー」「数3ボーヨシ」「コクコーリツ」の変更はありません。
「き・く・つ」については、点字では促音化しない方が意味を理解しやすいとして、これまで長く踏襲されてきたルールです。
また、「三方」もいずれの国語辞典でも「さんぼう」に語義がありますし、「三方良し」もその慣用句として掲載されています。すでに広く使われている語ですので「方言」の読みを採るのは、根拠として弱いと思います。
ルール・原則に従っている読みを、「これは特別」という形で崩していくと、しだいに全体としての判断が曖昧になってきます。これまで通りの方針で行かれることをお勧めします。

38.p14 3.調査

点訳中の本に「エルムノンヴィル」と「アルム=ノンヴィル」という地名が出てきます。両方とも同じ場所の地名で、土地に住む人はエルムノンヴィルを「アルム=ノンヴィル」と呼ぶ…ということなのですが、エルム■ノンヴィル、アルム■ノンヴィル・・・と区切って書いてよいでしょうか。調べてみましたが分かりませんでしたので、調べ方についても教えてください。

【A】

「エルムノンヴィル」をネットで見ますと、フランス語で、綴りは「Ermenonville」のようです。
仏和辞典で確認したところ、「ville」は、「村、村より小さい区域」、「on」は接尾辞らしいことがわかりました。
またWikipediaの原語版で、村の歴史、名前の由来の所を読みましたところ、村の由来はエルミンまたはイエルミノンという農場の所有者の名前であることが書いてありました。「エルミン(ゲルマン系の男の子の名前)の村(コミューン)」だそうで、区切りは「Ermenon ville」ということになります。
歴史あるコミューンで、900年代に作られたエルムノンヴィル城やエルムノンヴィル子爵がいたという記述もありますので、一続きに書いた方がよい地名だと思います。
その「エルム」の部分を地元の人は「アルム」と発音するとのことで「=」が使われているのだと思いますが、「=」があっても、第1つなぎ符は用いず、一続きでよいのではないかと思います。