第1章 点字・点訳の基礎知識
その5 点字の書き方
1.p7 1.パソコン点訳
点字編集システムの「見出し指定」は、目次を自動作成するための機能ですが、検索に便利なこともあり、目次のない本でも見出し指定をすることがあります。サピエにアップの際には目次がない本でも見出し指定をしたままでもいいのでしょうか。目次がない場合は必ず解除してアップしなければならないでしょうか。
【A】
そのような目的で付けた見出し指定の場合は、「サピエ」にアップする場合は必ず削除されるようにお勧めします。
見出し指定されていると、ピンディスプレイでは、その箇所でブリンク(点が振動する)したり、⑦⑧の点が表示されたりしますし、音声では「見出し指定始まり」「見出し指定終わり」と読みます。
見出しでないところでそのようなことがあると、読む人が迷うことになります。
本来の目的ではなく、あくまで点訳上便利なために使用したものですので、削除するのがよいと思います。
2.p7 1.パソコン点訳
ホームページやメールアドレスの情報処理点字記号を行移しした場合の行末の改行マークについてお尋ねします。
「Q&A」では「作成中はつけておいて、完成したら削除するように」となっています。
しかし、「行末処理は、本来そのままくっつくものに対して行うものであって、行継続符が残っている場合は、そのままくっつけることはできません。なので、改行マークは残しておくこと。」という意見もあるようです。
どのようにしたらいいでしょうか。
【A】
「Q&A」Q122の記載は、パソコン点訳の改行マークの定義に準じたものです。
「てびき」「BESを使用した点字入力にあたっての注意点」(1)(2)にもあるように、《改行マークは意識的に改行するところにいれ》、《本来続けるべき箇所で行移しした場合は行末に不要な改行マークやスペースが残らないように削除しておく。》という定義に則して行う処理として記しています。
行継続符は本来続けて書くところを次行に移した結果の処理ですので、改行マークがあってもなくてもその後の処理は同じです。
見出しが複数行になる場合の改行マークの前のスペースも同じようなことがよく言われますが、どちらの場合も、データ上の改行マークの定義にしたがった処理ということになります。
点字印刷した場合には表れないことですが、データとしてのルールにも留意して「サピエ図書館」に登録することを心がけたいと思います。
3.p7 1.パソコン点訳
パソコン点訳の画面について、私たちの団体では凹面で入力をしている人と凸面で入力をしている人がいて、お互い最近になって気がつきました。
実際には共用パソコンで少し混乱するくらいで、個人個人がそれぞれのパソコンで点訳するので問題はないのですが。
凹面は点字板から入った人は、すっと移行しやすい一方で点字が読みにくい。凸面入力は点字板入力は難しいが、点字が読みやすい。
どちらも良い悪いということは言えないように思いますが、この件で、コメントをいただければ嬉しいです。世の中の状況はどうなのでしょうか。
【A】
画面の表示についてのご質問でしょうか?
画面表示は凸面にされることを強くお勧めします。
点字盤で講習会などを受講されても、点字は凸面から読むものですので、初めから凸面で読むように練習してください。点字盤で書いても、見直しは凸面から行うようにすれば、凸面から読むことは苦になりません。街中の点字表示も、酒類やドレッシング・ケチャップなどの商品、洗濯機などの電化製品もすべて凸面から読むようになっていますので、ぜひとも画面表示は凸面で行ってください。
長年、点字タイプライター(ライトブレーラー)で点訳し、凹面で書くことから脱却できない方は、入力はライトブレーラー方式でも行うことができますので、入力だけ、その方式に設定し、読む場合の画面表示は凸面でするようにしてください。
ぜひ、皆さんで統一されるようにお勧めします。
その6 点訳・校正の位置づけ
1.p12 2.校正
点訳者として点訳フォーラムを参考にして点訳をしています。その反面校正者としてどこまで校正してよいか悩みます。点訳フォーラムに書かれていることに添って指摘してよいかです。本の読み方によって受け方が違います。
それを点訳としてはこちらを優先してくださいと指摘してよいでしょうか。
今は2点のことで悩んでいます。
1.「世論」の読み方。
「セロン」か「ヨロン」か。点訳者が「セロン」と点訳していればそのままでよいですか。辞書の凡例を読むと「ヨロン」かと思いますが、「セロン」は間違いではありません。
2.「~?なんて~ 」の時のマス開け。明らかな文中とは言えませんよね。
でも、点訳者が読むには文中と判断で一マスあけ。この時、「?」は基本的には文末に付く記号と判断して「二マスあけ」と校正してよいでしょうか。
点訳者としてのフォーラムは大変勉強になりますが、校正者としては悩みます。
【A】
点訳フォーラムによって混乱されているとのこと、私たちとしては、望ましい点訳・校正について立場を明らかにしているつもりですので、残念に思いました。
点訳は、点訳フォーラムをよりどころに行うが、校正は点訳フォーラムをよりどころにしないというのは、それぞれの施設・団体の方針ですので、私たちとしては何とも申し上げられません。私たちとしては、点訳も校正も点訳フォーラムをよりどころとしていただければと思って、活動しています。
「世論」についても、Q&Aで《これらのことから、一般的には「よろん」の読みが定着していると言えそうですので、現状では、「よろん」と読む方が、自然ではないかと思います。》と述べています。
また校正の対象ではないような場合は、校正の対象とはしない方がいいでしょうということも書いているつもりです。
校正については、施設・団体として方針を決めていただくことが重要で、その方針までは、私たちとしては何とも申し上げられません。
《「?」は基本的には文末に付く記号です》というのは、「点訳のてびき」で述べていることです。
点訳フォーラムは「点訳のてびき」の内容を、より詳しく、よりわかりやすく説明しているつもりです。あくまでもその姿勢で活動しておりますので、そのことをご理解いただければと思います。
なお、今回ご質問の「~?なんて~ 」については、具体的な文がわかりませんので、校正箇所かどうかははっきりはお答えできませんが、点訳フォーラムQ&A第4章その1「p99 2.疑問符・感嘆符」の記述も参考にしていただきたいと思います。(4章その1のページで、「ctrl+F」で「なんて」と検索するとヒットします)
【新規】p12 2.校正
校正者について、点訳者がAとB、1次校正がCとA(AはBの校正)、2次校正がAというのは、2次校正の体をなしていないと考えます。A・B・Cいずれも晴眼者です。
校正表示基準では、2校は「1校終了後、別の人が再度原本照合した資料」とあり、校正基準でも「点訳資料では、誤りの見落としや、校正者の主観・思いこみによる校正ミスを少なくするために、また、校正方法の短所による校正もれを防ぐために、校正者と校正方法を変えて2回以上校正を行うことが、良質の点訳資料の提供につながります。」とあります。
以上を踏まえると、点訳者Aが2次校正をするのではなく、BかC、あるいは別人が2次校正を行うべきかと考えますが、いかがでしょうか。
【A】
校正の定義から言えば、点訳者とは別の人が校正することが望まれると思います。
施設・グループによってご事情はおありになると思いますが、
AとBが点訳、1次校正は、交換してBとAが校正、2次校正はCが行うということもできます。3人で点訳・校正を行うのでしたら、この方法が効率的だと思われます。
2.p14 3.調査
p15に「一語として熟しているかどうかの判断には、(中略)7~8万語所収の基本的な国語辞典を判断のよりどころにすることが望ましい」とありますが、読みの調査についても同様で7~8万語の小辞典が基準となるのでしょうか。
【A】
漢字の読みについては、語によっては、小型の辞書には掲載されていない場合もありますので、小型・大型については言及していません。
この項の3段落目を参考に、文脈に適した読みを採用するようにしてください。
3.p14 3.調査
①「着替える」について
名詞の場合は「きがえ」ですが、動詞なら「きかえる」と教えられてきました。
NHKの「ことばのハンドブック」では初版で「きかえる」、2版では「きがえる」と変わってきているようです。「きがえる」と点訳してよいのでしょうか?
②「20歳」について
漢字で「二十歳」でなくて数字で「20歳」でも「はたち」と読んでよいのでしょうか?
【A】
① 「着替える」の本来の読みは「キカエル」ですので、点訳者の姿勢としては、「てびき」p14「3.調査」に書かれているように、「キカエル」と点訳した方がよいと思います。
「着替え」《きがえ》は連濁となり、「着替える」《きかえる》は連濁とはならないことは、「動詞+動詞」の複合動詞は連濁しないという原則にもあっています。分かりやすい例として、「手放す」《てばなす》、「切り放す」《きりはなす》などがあります。
現状でも、ほぼすべての「国語辞典」が「きかえる」になっていますので、文字である点字としては、「きかえる」でよいと思います。
なお、話し言葉では「きがえる」の方が多くなっているので、「NHKことばのハンドブック第2版」では、1番目と2番目を逆転させて、「きがえる」が、1番目の読みになっているようです。
② 「二十歳」「20歳」を「はたち」と読むのは「ニジッサイ」の和語読み(慣用読み)ですので、「20歳」と書いてあっても、文脈によって、「はたち」と読むか「ニジッサイ(数20サイ)」と読むかを判断してよいと思います。
4.p14 3.調査
酒店・酒類は正式にはシュテン・シュルイと読むと思いますが、サケテン・サケルイと読んでもよいでしょうか。辞書の見出し語にはありませんが、「種類」と混同してしまいそうですし、サケテン・サケルイの方がわかりやすい気がします。
点訳では辞書にない読み方をしてはいけないのでしょうか。
【A】
「酒店」(さけてん)は国語辞典の見出し語としてありますので、「さけてん」と読んで構いません。そのほか「さかだな」「さかみせ」「しゅてん」の読み方もあります。
「酒類」は、酒税法などとの関係で、正式には、「しゅるい」と読みますが、辞書の中には、語義説明の中に「さけるい」と読みが記してあるものもあります。
「おじは、酒類を扱うお店を営んでいた」のような場合は、「さけるい」と読んでもよいと思います。
ただし、「醸造酒類、蒸留酒類、混成酒類、酒類卸業 酒類販売免許」などは「しゅるい」と読みます。
辞書にない読み方をしてはいけないということはありませんし、辞書にすべての語の読み方が書いてあるわけでもありません。
ただ、見出し語として載っている読み方に限定される場合もありますし、点訳者はわかりやすさに配慮して書いたつもりでも、文の流れや文の雰囲気を損なう場合もありますので、十分注意して、何人かで相談して決定することが大切だと思います。
5.p14 3.調査
広辞苑・大辞林などでは、「兄姉」、「弟妹」、「姉弟」の読み方は「けいし」「ていまい」「してい」とあります。
点訳では、訓読みをしたほうが、分かり易い語句があると聞いたことがありますが、辞書の読みとは関係なく、訓読みで点訳するのはどんな場合でしょうか?
また、以下の場合はどのようにしたらよいでしょうか?
1.妻が穏やかに笑い、小学生の姉弟がじゃれあう。
2.兄姉が仕切っている。
3.兄姉は、弟妹をこんなにみてあげている。
【A】
兄弟姉妹の言い方や読み方は、原本の内容、種類、また文脈や会話か地の文かなどによってさまざまで、一つの読み方に定められないと思います。
兄弟(きょうだい、けいてい)、姉妹(しまい)、弟妹(ていまい)は、ほとんどの国語辞典に掲載されてもいますし、一般的に使われていますので、点訳でもその読みを用いても、分かりにくいと言うことはないと思います。
兄姉(けいし)、兄妹(けいまい)、姉弟(してい)は、あまり使われない読み方ですし、この読みが掲載されていない国語辞典もあります。
このような場合、原文の種類や文脈などによって、次のような点訳の方法が考えられると思います。
(1) 日本語では、兄・弟・姉・妹をすべて「きょうだい」と言う場合が多いので、「キョーダイ」と書いて、後ろに第1カッコで(アニ■イモート)などと書く。会話文や一般的な読み物などでは、この方が、流れが自然な場合があります。前後の文脈から(アニ■イモート)などと断る必要が無い場合もあります。
ご質問の1.の文は、この方法がよいのではないでしょうか。
(2) 学術的な本や「きょうだい」と読むと不自然な場合は、「ケイシ(アニ■アネ)」など、音読みの後に訓読みを第1カッコで入れてもよいと思います。ご質問の2.3.は、この方法が良いと思います。「弟妹」の方は「テイマイ」だけで分かると思います。
(3) 訓読みだけを書く方法もあるかもしれません。しかし、文の流れが不自然になる場合もありますし、一語としてのまとまった意味が薄れてしまう感じもしますので、この方法が適している場合は少ないように思います。
なお、(1)(2)で、「キョーダイ(アニ■イモート)」「ケイシ(アニ■アネ)」などと書く場合、漢字の読み替えであって、点訳に際して改めて付けた説明などではありませんので、点訳挿入符ではなく、読みやすい第1カッコをお勧めします。
6.p14 3.調査
「母子」、「父子」の点訳についての質問です。
母子家庭、父子家庭などの熟語では「ボシ」「フシ」ですが、下記のような文章では「ボシ」「フシ」は感覚的には不自然なように思えます。
①すぐ後ろに並んでいた母子は帰っていった。
②19歳のメスのキリンと8歳のオスのキリンがいる。母子だ。
③「ねえ、お父さん。どうして・・・なの?」と息子は聞いた。父はこう答えた。・・・・・あの父子はその後、どうしたのだろう。
①:前文で母親と子供のことは書かれていないので、「ハハコ」の方が理解しやすいのでは?
②:前文で母親と子供のことが書かれているので、「オヤコ」がよいのでは?
③:前文で父親と子供のことが書かれているので、「オヤコ」がよいのでは?
黙読しているときには、「ボシ」「フシ」とは読んでいないと思うのですが・・・「ボシ」「フシ」でよいという人が多いのですが、どうなのでしょうか?
【A】
「親子」のことを「父子・母子・父娘・母娘」などと書かれているのは、「おやこ」の組み合わせを具体的に示そうとする書き手の選択によると思います。
ですから、これらは、いずれも「おやこ」と読むのが自然だと思います。
もちろん、「母子手帳、母子家庭、父子家庭」などは「ボシ・フシ」と読みますし、「母子」は「母子草」など、「ハハコ」とも読みます。
ご質問の、①②③はいずれも「オヤコ」と読んでいいと思いますし、①は「ハハコ」と読んでもよいと思います。
「父子・母子・父娘・母娘」などを「オヤコ」と書いただけでは、その関係が分からず、説明を必要とする場合は「オヤコ(チチ■ムスメ)」などと、第1カッコで補います。
これは、「きょうだい」を「兄妹、姉弟」などと書かれている場合も同じになります。
7.p14 3.調査
「私」の読み、「わたし」と「わたくし」の使い分けはどの様に判断したらよいでしょうか。
【A】
「私」は、以前は、常用漢字の読みとしては「わたくし」だけでしたが、平成22年の常用漢字表の改定により「わたし」も常用漢字の読みとなりましたので、どちらで読んでも間違いではありません。
点訳でも、以前は「私」の読みは、「ワタクシ」と厳密に規定していたこともありましたが、常用漢字表の改定や実際の使われ方などから、現在ではどちらの書き方も同じくらいにあると思います。
一般に、「わたし」の方が「わたくし」よりはくだけた、打ち解けた用い方になると思います。現在の会話文では、ほとんどが「わたし」になっていると思いますし、1タイトル内で使い方を決めて、不自然でない読み方がしてあれば、あまり神経質にならなくてもよいと思います。
ただ、「私小説」「私立」「私商い」など慣用的な言い回しや複合語になっている場合は、使い分けが必要ですし、本や種々の作品のタイトルなどは、調査して書くことが必要になります。
8.p14 3.調査
「他愛ない」は、「たわいない」と読むのが一般的と言われておりますが、「他愛のない雑談」の場合は、どう読めばいいですか?
【A】
「タワイノ■ナイ■ザツダン」となります。
「他愛」と書くのは当て字で、「~が(も)ない」の形で、「正体がない」「思慮分別がない」「とりとめがない」「てごたえがない」などの意味の時には、「他愛」と書いてあっても、すべて「たわい」と読みます。
「他愛」を「たあい」と読むのは、「他愛主義」のように用いて、「自分の利益よりまず他人の幸福を願う」という意味のときだけになります。
9.p14 3.調査
「他」の読み方で、いつも悩みます。
点訳する上で、「た」と読むか、「ほか」と読むか、何か決定的な決まりはありますか。
【A】
決定的な決まりといえるものはないと思います。文脈や後ろに続く「てにをは」や前後の言葉遣いで自然かどうかを判断することになります。
ただ、「タ」では点字では意味が取りにくいのではないかと心配される方もいますが、以下のような理由から、「タ」と読む方が自然な場合が多いと思われます。
1.現在では「他」は音読みが「タ」、訓読みが「ほか」となっていますが、常用漢字表が改定されるまでは、「他」の読みは「タ」だけで、「ほか」は仮名で書くか、「外」の漢字を当てていました。戦後、長くこの状態が続いていたので、現在でもこのような文字遣いになっている読み物が多いと思います。
2.「そのた」には、「その他」の漢字だけが当てられます。「そのほか」は仮名か、「その外」となります。
特徴的な使われ方としては
「ほか」 ほかでもない、~ほかない(驚くほかない)、ほかに~ない
~のほか(思いのほか、思案のほか、このほか)
~ほか何名
「た」 たを~(他を圧する、他を顧みない、他を犠牲にする・・・)
たに~(他に先駆ける、他に抜きんでる)
たと~(他と区別する、他と異なる)
たの~(他の追随を許さない、他の業者の手に渡る)
などがあります。
このように、「他」は、まず「た」と読み、文脈上「ほか」と読んだ方がふさわしい場合に「ほか」と読むようにするのがよいと思います。
10.p14 3.調査
「描く」は「えがく」「かく」をどのように読み分ければよいですか。
【A】
「描く」も「私」「他」と同様、常用漢字の改定のときに、「えがく」に「かく」の読みも加わった漢字です。
本来は「えがく」で、
①絵や図をかく
②様子を写し出す。表現する。描写する。「若い教師の生活を描いた作品」
③心に思い描く、創造する。「理想を描く」「勝利を胸に描く」「夢に描く」
④ものが動いた跡をある形に表す。「孤を描く」「トンビが輪を描いて飛ぶ」
などのような意味があります。(「大辞林」などから)
この中で、「かく」とも読めるのは、①と④の意味で文の流れから「えがく」と読むと不自然な場合や、「絵描き」(えかき)のような例になると思います。
「孫が幼稚園で絵を描いてきた」「出勤前にさっと眉を描く」のような場合は、「かいてきた、かく」のほうが自然に読めると思います。
しかし、「描写する、創造する」のような内容の場合は、「えがく」の方が自然に読めます。
「かく」には本来「書く」という漢字を当てていますので、「描く」は基本的には「えがく」と読み、上記のように、絵や図、線などを(芸術的にではなく)書いているような場合で、「えがく」と読むと流れが不自然な場合にのみ「かく」と読むのがよいと思います。
11.p14 3.調査
「ちくまプリマー新書」を点訳中です。読者対象は中高生くらいだと思うのですが、「陽子の数」「原子の数」の「数」の読み方で迷っています。「スー」がいいのか、「カズ」がいいのか、どちらがいいでしょうか。
【A】
数学・理科の分野では、「すう」と読んだ方がよいと思います。
一般書や日常生活の場面では「かず」で構わないと思いますし、厳密な使い分けは困難ですので、読み分けに神経質にならなくてよいと思いますが、自然数を超える数字を扱う場面や数学・理科に関する本の場合は、「スー」と点訳することをお勧めします。
『点訳のてびき』の点字版でも「スーノ■カキカタ」「数4ケタマデノ■スー」「オオキイ■スー」「オヨソノ■スー」と書いています。
「ちくまプリマー新書」は、中高生向けの数学・理科、社会・政治などの分野の入門書的役割を果たしていますので、学校で学ぶように「スー」と書くことをお勧めします。
12.p14 3.調査
「あり得る」の読み方なのですが、「ありうる」と「ありえる」のどちらが点訳として正しいでしょうか。
【A】
「ありうる」と読みます。
「ありえる」という人も多くなりましたが、点訳では、本来の読みの「ありうる」を用います。
「得る」は、現代語では、「える」と読み、「え え える える えれ えよ(えろ)」と活用しますが、「ありうる」「かんがえうる」などのように動詞の連用形に続いて「~ことができる」の場合は、「うる」と読み、文語の形で活用します。
「え え うる うる うれ えよ」となります。
「ありうる、ありえない、考えうる限り、言いえて妙だ」のように用います。
13.p14 3.調査
[逝く」の読み方について「ゆく」と読みますが、
・苦しみながら逝くのでは~
・逝けたので~
・逝ってしもうたんや
・穏やかに逝った
など「いく」と読む箇所と「ゆく」と読む箇所が混じっている場合は、「いく」と読んでもいいのでしょうか。1タイトルで統一と考えていいのか、本来の読み方で「ゆく」と読む箇所は「ユク」と点訳するのでしょうか。
「あり得る」についても「Q&A」調査のなかで「本来の読みのありうると読みます」とありますが、「ありえない」があった場合でも「あり得る」は「ありうる」と点訳しますか。
【A】
ご質問の場合は、動詞の活用の変化になりますので、「ゆく」「いった」「ありうる」「ありえない」は、読みを統一していることになります。
「逝く」は「ゆく」と読みますが、連用形の音便の形になると「イッ」となります。「行く」も「ゆく」とも読みますが、連用形の音便では「ゆった、ゆって」とは言わず、「いった、いって」になります。
活用の形は「ゆか・ゆこ、ゆき・いっ、ゆく、ゆく、ゆけ」と変化します。
ですから、
・苦しみながら■ゆくのでは~
・ゆけたので~
・いって■しもうたんや
・穏やかに■いった
と読みます。国語辞典の後ろにある「動詞の活用表」をじっくり見ていただくと、※などのマークが付いて、説明があると思いますので、参照してください。
「Q&A」にも書きましたように「得る」は現代語では「える」と読みますが、「ありうる」「かんがえうる」などのように動詞の連用形に続いて「~ことができる」の意味で、「うる」と読んだときには、現代の口語の形ではなく、文語の形で活用します。「え え うる うる うれ えよ」となります。
「ありうる、ありえない、考えうる限り、言いえて妙だ」のように用います。
ですから、「ありうる、ありえない」と読みます。
14.p14 3.調査
「開く」で「あく」と「ひらく」の使い分け、読み分けはどうなりますか。
【A】
国語辞典で「開く(ひらく)」を引くと、辞典によっては15以上も語義が載っています。自動詞も他動詞もあり、どんな場合に読み分けるのか迷います。
そこで、「開く」(あく)の方を引いてみると、「明く」「空く」の漢字もあり、書き分けなども加味すると、どの辞書もおよそ次のような例が挙げられています。
自動詞
1.ぴったりとさえぎっていたものが、ずらされたり除かれたりする
「戸が開く、幕が開く、瓶の口が開く、蓋が固くて開かない」
2.合わさっていたものの間に隙間ができて中が見えるようになる
「口が開く、目が開く」
3.肌が広く出る 「背の開いた服」
4.穴ができる 「胃に穴が開く」
5.錠がはずれる 「かぎが開く」
6.営業が始まる 「店が開く、初日が開く」
7.開票になる 「票が開く」
他動詞
1.自然にあける 「口を開く、目を開く」
慣用句 「開いた口がふさがらない」
「あく」は、自動詞なので、目的語がある場合は「あける」になります。
ドアを開ける、カーテンを開ける、ジュースの栓を開ける、口を開ける、
目を開ける 本を開ける、かべに穴を開ける、カギを開ける、店を開ける、
票を開ける
ですから、目的語がある場合は、他動詞の「ひらく」と読みます。
ドアを開く、窓を開く、店を開く、心を開く、口を開く…いずれも「ひらく」になります。
辞書の説明によると、他動詞(目的語がある)で「開く」を「あく」と読むのは、意識的でなく、ぽかんとした状態の時だけという説明です。
これは、辞書による、およその使い分けで、特に1.や7.の意味の時には、「ひらく」とも読みます。ただ、「花のつぼみが開く、足が開く、実力の差が開く」などは「ひらく」としか読みません。
以上のことは、すべて、小型の国語辞典に書いてありますので、「開く」という簡単な語でも、国語辞典を引くと興味深く、いろいろな情報が得られます。
15.p14 3.調査
点訳している本の中に、意味合いが同じなのに「かつて」と「かって」が使われています。辞書で調べると、話し言葉では「かって」と言うこともあるとあります。しかし会話中の言葉でもありません。この様な時はどう点訳したらよいでしょうか。
【A】
数種の国語辞典や、文化庁「言葉に関する問答集」などを見てみると、「嘗て・曾て」は「カツテ」、「勝手」が「カッテ」の読みとなりますので、「てびき」p23(7)にあるように、この場合は「カツテ」と書いてよいと思います。
ただ、「かって」と発音する人もいることから、会話の中に出てきたときなどは、そのままでもよいと思います。
16.p14 3.調査
「かっこいい」を国語辞典で引くと、カナ書きで表記されます。「カッコウ」と引くと「格好」が表記されます。墨字で「格好良い」と書かれていると「カッコウヨイ」としか読めないと思います。
「格好良い」と墨字で書いてあり、ルビが「カッコヨイ」と書かれている場合のみ「カッコヨイ」と読むと思っていますが、この理解でいいでしょうか。
【A】
墨字で「格好・恰好」と書かれていれば、「かっこう」としか読めないとは言い切れません。もちろん「かっこう」が本来の読みですが、国語辞典でも「三省堂国語辞典(第7版)」では「かっこ」に「格好」の漢字があててありますし、「かっこいい」にも「格好いい」の漢字が、「かっこ悪い」に「格好悪い」の漢字があててあります。
「新明解国語辞典(第7版)」では、「格好良い」に〔口語では「かっこいい」とも〕と書かれています。「日本国語大辞典」は「かっこ」の見出しに「恰好」と書いてあります。
もちろん、地の文で「格好良い」と書かれていれば、「かっこうよい」または「かっこういい」と読むのが自然な読み方ですし、決して、「かっこいい」と読むことをお勧めしているわけではありません。
しかし、若者のくだけた会話文で、若者言葉が多用されているような場面などでは「かっこいい」と読む方が自然な場合もあると思います。
「格好・恰好」は「かっこ」と読むこともあることを念頭において、文脈にあった読み方をするのがよいと思います。
17.p14 3.調査
「中」を「ちゅう」と読むか「じゅう」と読むかの使い分けのルールはあるでしょうか。
「今週中に片付けます」
「締め切りが今週中で…」
「確かGW中にプロットをお作り頂くと…」
【A】
「中」についての国語辞典の説明から判断すると、「じゅう」は「中」のなかで、ある範囲の全体を表す時に用いる接尾語です。「一年中(じゅう)」「世界中(じゅう)」などになります。それに対して、ある時期の間、その範囲に含まれる場合は、「ちゅう」ということになります。
「今週中に片付けます」「締め切りが今週中で・・・」は、ともに、「今週のうちに片付ける」「今週のうちに応募する」のような意味だと思いますので、「コンシューチュー」がよいと思います。
「確かGW中にプロットをお作り頂くと…」、これも「ゴールデンウィークのうちに作っていただく」ですので、「外大大GW=チュー」がよいと思います。
「今週中ずっと忙しい」「GW中、観光地は人でいっぱいだった」なら、「じゅう」と読んでいいと思います。
ただ、語によっては、「ちゅう」とは発音しにくい語などもありますので、「ちゅう」か「じゅう」かは、迷ったときの参考にしてください。
参考までに国語辞典(『大辞林』)の「中(じゅう)」の項目を記します。
名詞についてその語の示す範囲全体にわたるという意を表す。
1.期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。一年中、一日中
2.空間や範囲を表す語に付いて、その区域全体、その範囲に含まれるものすべてなどの意を表す。世界中、町中
3 .集合体・集団を表す語に付いて、その成員のすべてという意を表す。学校中、親戚中
18.p14 3.調査
以下のような場合、「表面」「裏面」はどう読みますか。
民生委員が訪問時に持参するPRカード(表面)
カードやはがき等の表裏の面について、「おもてめん」「うらめん」と読んでいましたが、「裏面」を「うらめん」 と読むのは間違いで正しくは「リメン」だと指摘を受けました。上記のように、カードとかはがきの「表面」「裏面」の読み方は、正しくは「ひょうめん」「りめん」で、点訳でも「ヒョーメン」「リメン」とし、「オメテメン」「ウラメン」とは読まないのでしょうか。
【A】
確かに多くの辞書には、「おもてめん」「うらめん」という見出し語はありませんが、中には、「もののおもてがわ」の意味の所に「おもてめん」と書いてあったり、「うらめん」の見出しがある辞典もあります。
実際には、硬貨のおもて・うらを指す場合には、財務省の発表でも
《2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会記念五百円貨幣の図柄(表面)について(報道発表 令和元年7月29日 財務省)》
この「表面」にわざわざ(おもてめん)とルビがふってあります。
また、『点訳のてびき第4版』第1章p9下から5行目の「裏面」を点字版では「ウラメン」と点訳しています。
葉書のおもて・うら、硬貨のおもて・うら、点字用紙のおもて・うらなどは、表面(ひょうめん)ではなく「おもての面」「うらの面」ですので、「おもてめん」「うらめん」と読んでよいと思います。
19.p14 3.調査
時代小説の「店」について、「たな」「みせ」どちらで読むか悩んでいます。
・大店の屋根屋根に降り積もった雪は今にも店を潰してしまいそうだった。
・「その店は、小間物屋の中ではかなりの大店です。・・・」
角川古語大辞典では、《大きなみせや問屋を「店」、それ以外を「見世」と使い分けることもあったという。「みせ」は、商家で道路に面して商品を並べて見世、客に応接する間》。岩波古語辞典では、《「たな」は小売店、「みせ」見せ棚》とあり、どのような種類のみせのことを、「店(たな)」と読むのでしょうか。
【A】
調査なさったとおりで、複数の辞典の語義を並べると
「たな」は、商品を並べる棚。そこから転じて商店、小売店、奉公人の奉公先の商家、職人の得意先の店、借家・貸家、日頃出入りしていて世話になっている店、主人として仕える人の店、職人の得意先
「みせ」は、商店、下級の遊女が客を招き寄せるための道路に面して格子を巡らせた座敷、遊女がそこで客を待つこと、客を呼ぶ下級の遊女、商家の商品などを積んで陳列してある場所
などとなります。
ただ、時代小説は、あくまで現代に書かれた読み物で、江戸時代の言葉を全てそのまま使用して表現しているわけではなく、その当時にはなかった言葉や言い回しを取入れながら、江戸時代の雰囲気を表現しているわけです。ですので、当時の言葉をそのまま使い分けするのには無理があったり、文章自体が不自然な表現になったりすることも考えられます。あまり使い分けを厳密に考えなくてよいと思います。
「たな」の読みで一語となっている「大店」(おおだな)、「店子」(たなこ)「店卸し」(たなおろし)、「お店」(おたな)などは、「たな」と読むことにし、それ以外は、不自然でなければどちらも可としてはどうでしょうか。
ご質問の文にある
・大店の屋根屋根に降り積もった雪は今にも店を潰してしまいそうだった。
・「その店は、小間物屋の中ではかなりの大店です。・・・」
も、
「おおだなのやねやね~、いまにもみせをつぶして~」
「そのみせは~おおだなです」
と読んでも不自然ではないと思います。
ただ、原本によって、地の文も会話文も、江戸時代の言葉遣いや表現にこだわって書かれている読み物の場合は、辞典の区別を採用した方がいい場合もあると思います。
20.p14 3.調査
この頃よく耳にする言葉に「盛り土」「手指」があります。
「盛り土」は「点字表記の語例」でも「モリツチ」とされており、「モリド」は建築用語と考えていましたが、毎日のようにテレビで「モリド」と言われていると「モリツチ」にと校正しても「なぜ?」ということもあります。今後は「モリド」が一般的になるのでしょうか?
また「手指の消毒」を「テユビ」ということも多くなっていますが、個人差があるようです。「手指消毒」とあればやはり「シュシ■ショードク」だと思うのですが、新しい言葉の読みには迷います。
【A】
日本語としての自然な読みは、「もりつち」であり、「しゅし」だと思います。しかし、言葉は使われ方や時代によって変わったり、一部の業界の言葉が事件や事故によって急に多く使われ出したりすることは、よくあります。
それが、一過性のものか、定着するのかは、長い期間が経ってみないと分からないと言うこともあります。
「盛り土」も建築用語としては、「もりど」だという説と、建築関係でも「もりつち」であるという説もあるようです。
「てゆび」の言い方は、コロナの消毒の関係で、《「手」だけでなく「指」も》を強調したいためによく使われるようになったようです。
一般の図書を点訳する場合は、本来の自然な読みを採用するのがよいと思います。ただ、広報誌や時事性のあるものなどは、ニュースなどの読み方を用いて、「モリド」「テユビ」で読んでもよいと思います。
21.p14 3.調査
「牛」の読み方についてお尋ねします。松阪牛「まつさかうし」、米沢牛「よねざわぎゅう」などは、統一されているようですが、近江牛は「おうみうし」「おうみぎゅう」両方書かれています。神戸牛は「神戸ビーフ」と書かれています。点訳ではどちらにすればいいでしょうか。他の銘柄についてはどうでしょうか。
【A】
ブランド牛の呼び方について調べてみたところ、以下のような記載がありました。
松阪牛(三重)=まつさかうし(松阪牛協議会)
米沢牛(山形)=よねざわぎゅう(米沢牛銘柄推進協議会)
飛騨牛(岐阜)=ひだぎゅう(飛騨牛銘柄推進協議会)
近江牛(滋賀)=おうみうし(「近江牛」生産・流通推進協議会)
前沢牛(岩手)=まえさわぎゅう(前沢牛協会)
但馬牛(兵庫)=たじまぎゅう(神戸肉流通推進協議会)
佐賀牛(佐賀)=さがぎゅう(JAさが)
しかし、ブランド牛はこれだけではありませんし、三田牛、山形牛などもあり、また、調べると前沢牛(まえさわうし)の呼び名も出てきます。
ただ、食べ物としては「ぎゅう」のほうがより一般的のようです。
「生きもの」としてとらえるときと「食べもの」として扱うときで、単語を区別する場合があり、「鶏」は、動物としては「にわとり」ですが、食べるときには「とり」や「かしわ」、「鮭」は、生き物としては「さけ」ですが、食べるときは「しゃけ」のように呼び分けられます。「豚」も、東日本では、食べ物としては「トン」が多かったのですが、今はあまり区別されていないようです。
「牛」は、生き物としては「うし」、食べるときは「ぎゅう」が多いようです。
ブランド牛も、飼育している間は「うし」、食べ物としては「ぎゅう」のイメージがあるのだと思います。ステーキになったものを「うし」と呼ぶのには違和感があるのが一般的な感覚だと思います。
ブランド牛(ぎゅう)を食べ物として呼ぶときには、「ぎゅう」がよいのかもしれません。
一例として、《但馬牛(うし)を素牛(もとうし)として、三田近郊の農家が作り出した牛肉を三田牛(さんだぎゅう)という》という記述もネット上にありました。
22.p14 3.調査
「蝉の音」の「音」の読みについて教えてください。「セミノ■ネ」とするのか「セミノ■オト」とするのか。
辞書では、《「おと」が大きな音響を指したのに対し、「ね」は比較的小さな、人の感情に訴えかけるような音声をいう。》とあります。
人によって感じ方が違うと思うので、どちらでも正解ともいえそうですが、やかましい音だとすると「おと」、静かに聞こえるのは「ね」となりそうな気がします。
ミンミンゼミの集団の、蝉の音だと「セミノ■オト」
秋の訪れを知らせる、蝉の音だと「セミノ■ネ」
と考えましたが、どのような判断がよいでしょうか。
ほかに「鐘の音」は、
競輪場の最終周回を知らせる、鐘の音だと「カネノ■オト」
京都のお寺の鐘の音だと「カネノ■ネ」
京都という言葉があるだけで、すべてが「カネノ■ネ」となりそうなのは、私の思い込みかもしれませんが・・・
「琴の音」については、
名奏者のすばらしい琴の音は「コトノ■ネ」
初心者の下手くそな琴の音は「コトノ■オト」
となるでしょうか。
本文の状況等を勘案して判断してよい。と、思っていますが、点訳フォーラムの考えを教えてください。
【A】
現代では、厳密な使い分けはされておらず、現代の国語辞典では、聴覚的に引き起こされる響きを「おと」、情緒的な音声や快い響きを「ね」という程度の説明しかありません。
「古典基礎語辞典」を引いてみると
おと: 聞こえるものの響きや動物の発する音声。聴覚に届くことが意味の中心なので音量的には大きな音声であることが多い。おとはそれを発する本体の存在に関心を置く語で「波のおと」「風のおと」など音源となる波や風の激しさや強さを間接的に示したり、季節の到来を暗示する。
①ひびき 雨・風・波・滝・楫・鐘等の発する響き
秋きぬと目にはさやかにみえねども風のおとにぞおどろかれぬる
②遠くから聞こえる声。鳥や動物、特に鶯・ほととぎす・雁・鹿など
ね: 「鳴く・泣く」の語幹の「な」が転じた語。音声を情緒的に扱うときの語。人・鳥・獣・虫など生物が発し、聞く側に情意を感じさせる音声。無生物の発する音声でも聞く側の心に訴えるものとして耳に入る音を「ね」と扱う。
① 鳥獣虫などの情趣を感じさせる鳴き声
② 人の泣く声、すすり泣くような哀切な泣き声
③ 情感的に聞こえる物の音、楽器の音
※「おと」は音声としてはっきり聞こえる物の響きや生物の発する声、鳴き声をいい、音声をより物理的に扱う語である。「おと」というときには良く聞こえる音量的に大きな音声であるのに対し「ね」は小さな音、かすかな音声を扱うことが多い。
となっていますので、物や動物が発する大きな音声を「おと」、情緒的な心地よい、より小さな音声を「ね」として、考えてよいようです。
そうすると
例示してくださった
ミンミンゼミの集団の、蝉の音は、セミノ■オト
秋の訪れを知らせる、蝉の音は、セミノ■ネ
競輪場の最終周回を知らせる、鐘の音は、カネノ■オト
京都のお寺の、鐘の音は、 カネノ■ネ
という判断は、「京都」に「情緒的な、心地よい」という形容詞が当てはまるとすると、あっていると思います。
ただ、「ピアノの音」「ヴァイオリンの音」等になると、いくら心地よくても「ネ」とは言わないようです。「ピアノノ■オト」「ヴァイオリンノ■オト」のようになるようです。
日本の古典的な使い分けが、現代にぴったりとあてはまる訳ではないようです。
念のために申し添えますが、「点字表記の語例」では、「琴のね、鈴のね、虫のね、風のおと、水のおと」の語例がありますが、これは「音」を必ずこのように読まなければならないと言っているのではなく、「ね」「おと」を漢字で表すと「音」であることを示しています。
23.p14 3.調査
「後」の読みかたについて、文章によって読み方を変えるべきでしょうか。
追及をやめたわけじゃあない。後に回しただけよ。
私は聞いたことがある。というか後にその女性と、
後に父に対する隔意を持っても、
洗うのは後にするにしても
彼が後に続く気配を、
この後の彼は、母の故郷に戻ってのんびり畑でも
佐藤氏は後に証言する
【A】
「あと」と「のち」は、語源は異なるようですが、時間的なことを示す場合は、現代では、その使い分けが曖昧になってきていると思います。
「あと」は「あ(足)」と「と(所)」からできていて、足の踏んだところから、「跡」とも同じ意味で使われ、時間的・時期的な「あと」も、空間的、場所的な「あと」も示すのに対し、「のち」は線状に続く時間の末、先の方を示し、現在では、ほぼ時間的な意味で用いられます。しかも、文語的でかしこまった文章に用いられることが多いと思います。
慣用的な言い方でも「あとがない」「あとからあとから」「あとにも先にも」「あとのまつり」「あとは野となれ山となれ」「あとへはひかない」「あとをたたない」「あとをひく」など「あと」と読むことが多く、「のち」は「のちのよ」「のちのちまで」のように、かなり時間が経過した時点を差すときに用いられることが多いといえます。ただし「はれのちくもり」は「のち」です。
参考までに、「てにをは辞典」(三省堂)によると、後ろに続く助詞は、「あと」は「が、を、も、から、で、へも、まで、に、は、の」と表現の幅が広いのに対し、「のち」は「に、の、ほど」が挙げられているだけです。
ご質問の例は
追及をやめたわけじゃあない。後に回しただけよ。 ⇒ あと
私は聞いたことがある。というか後にその女性と、 ⇒ のち
後に父に対する隔意を持っても、 ⇒ のち、あと
洗うのは後にするにしても ⇒ あと
彼が後に続く気配を、⇒ あと
この後の彼は、母の故郷に戻ってのんびり畑でも ⇒ のち、あと
佐藤氏は後に証言する ⇒ のち、あと
以上のように考えられますが、どちらとも判断がつかないもの(原本全体の雰囲気や作者の表現の特徴など)が多いので、明らかな違和感がない限り、点訳者の判断に任せることは多いと思います。校正では、上に挙げたような慣用的な表現の誤りなどを指摘するに止めるか、あくまでも校正者の意見として参考的に付け加える程度にすることがよいと思います。
24.p14 3.調査
「息を吐く」で、「ツク」か「ハク」かで悩みます。
小さく息を吐いた
大きく息を吐いた
長い息を吐いた
で、「ため息をつく」「ちょっと一息つく」のように、少なめな息の場合は「つく」のイメージでしたが、広辞苑では
(慣)息をつく:ためていた息を吐いて大きく呼吸する。
とあります。どう考えたらよいでしょうか。
【A】
「つく」と「はく」は厳密な使い分けは難しいと思います。「吐く」は「はく」が本来の読みで、「つく」は「突く」から転じて、「細長いところをとおして強く出す」ところから、口・鼻からだすものに使うようになったようです。
「つく」には「悪たれ口をつく、悪口をつく、嘘をつく、陰口をつく、ため息をつく、嘆息をつく、吐息をつく、寝息をつく、一息つく、ひと呼吸つく、(肩で、はあはあ、ふうっと)息をつく」などの例がありました。
小さく息を吐いた
大きく息を吐いた
長い息を吐いた
は、「はいた、ついた」どちらも誤りとは言えないと思いますが、ニュアンスとしては、ただ体内のものを外へ出すだけでなく、「つく」方がよいような感じがします。
25.p14 3.調査
「良い」について、「よい」と「いい」の読みわけはどうなりますか。会話や対談では、くだけた雰囲気の「いい」、地の文では改まった感じの「よい」とはっきり区別が付けられればいいのですが。
【A】
数種の国語辞典を引いてみると一様に、「よい」は文語の「よし」からでた形容詞であり、望ましい状態を広くいう語で、口語、話し言葉の終止形・連体形では「いい」が用いられると、書いてあります。
「いい」は、「よい」のくだけた言い方で普通の会話や文章で使うという書き方もあります。
いくつかの資料を調べた結果をまとめてみると、
・動詞の連用形につくときは「よい」が使われる。
これには「住みよい」「書きよい」などが該当します。小説などでも「踊りよい」(谷崎潤一郎)「書きよい」(志賀直哉)などと使われているようです。
・終止形の場合は、両方使われるが、「いい」の方が話し言葉的である。
~するのがよい、~するのがいい
~した方がよい、~した方がいい
~すればよい、~すればいい
~してよい、~していい
~してもよい、~してもいい
今日は天気がよい、今日は天気がいい
・連体形の場合は、現在はあまり「よい」は使われない
いい男、いい女、いい顔、いい感じ、いい加減、いい気なもの、いい仲、いい迷惑だ、いい気味だ、いい薬になる、いい子になる、いいようになる、いい面の皮、いい年をして、いい恥さらし、いいざまだ、いい目が出る
ただ、「良い子」は「良い子の皆さん」もよく使われている。
・公用文では、ひらがなで書くときも「よい」と書く。
平成22年11月30日付け内閣訓令第1号「公用文における漢字使用について」には、「よい」の漢字表記は「良」「善」であり、平仮名表記は「よい」であるということです。そして「良」にも「善」にも「いい」という読みは認められていない。
以上のようなことが分かりましたが、点訳では、原文で漢字の「良い・善い・好い」が用いられていて、読み方に確信が持てない場合は、「よい」と点訳すればよいと思います。
26.p14 3.調査
「注ぐ」という漢字のルビについてお尋ねします。
その本の中では
・ワインを注ぐ
・カップに注いだ
・コーヒーを注ぎ始めた
・コーヒーを注ぐ これだけ「そそぐ」とルビがあります。
「てびき」では文脈から判断してとありますが 「注ぐ」のような簡単な言葉の方が難しいと思います。私はルビのある「コーヒーを注ぐ(そそぐ)」だけ「ソソグ」として、あとは「つぐ」と点訳しました。同じコーヒーという文なので 「コーヒーを注ぎ始めた」も 「ソソギハジメタ」とした方がよいでしょうか。
【A】
「注ぐ」は本来の読みは「そそぐ」で、「流れ込む、流し込む、ふりかける、流す、落とす、集中する」などの意味がありますが、「つぐ」との使い分けに悩むのは、「液体を容器などに流し込む、上からふりかける」の意味のときになります。
「つぐ」は、「継ぐ」と同じ語源とのことです。「注ぐ(つぐ)」の語義を種々の辞典から抜き出してみると、「補充する、欠けたところを補って本来の状態にする」「水、酒、油などを加え添える、だんだんとさし加えていく」「あとからあとから加える、不足などを補う、液体を注ぎ入れる」「器にものを満たす」などとなります。
「そそぐ」も液体を容器に流し込むことですが、どちらかと言えば、お酒や飲み物をつぎ足すような意味合いの時は「つぐ」、コーヒーを煎れて器に注ぐときには「そそぐ」のようなニュアンスの違いはあるかもしれません。「宴席で酒をついでまわった」「コーヒーのおかわりをついだ」のような場合は、「つぐ」があっていると思います。
しかし、文脈や描写からそれを読み取ることが難しい場面も多いですし、個々人が感じるニュアンスの違いや、地域による違いも大きいようですので、はっきりと区別することは難しいと思われます。
ご質問の本で、「コーヒーを注ぐ」にだけ「そそぐ」とルビがあるのは、そこにこだわりがあるのかどうか分かりませんが、そこは「そそぐ」と読み、あとはお考えの通りでよいと思いますが、迷った場合は、「そそぐ」の方を選択してはいかがでしょうか。
27.p14 3.調査
『萬川集海』のマスあけについて、「細い川もたくさん集めれば海になる」という意味なので、「バンセン■シューカイ」と書いてよいという回答をいただきました。
私は、今までこういう語句を切る時、切る前後の語が辞書の見出しにあれば切り、なければ続けると判断してきました。
「萬川」も「集海」も辞書にはなく、ネットの検索ではどちらかの語を入れるだけで、「萬川集海」と出てきますので、一続きの語句と考えてしまいました。
「細い川もたくさん集めれば海になる」という意味だから区切るというように語句の意味を調査し、深く理解して処理するという事でしょうし、確かに拍数や発音の切れ目ということも考慮に入れて判断するとは聞いています。また、Q&Aにも「機械的に処理するだけでなく」という言葉は何度も出てきますが、とても難しいです。辞書に「ある」「なし」で判断するのは間違いでしょうか。
【A】
一般の国語辞典には、世の中の全ての語が掲載されている訳ではありませんので、辞書に載っているかどうかで切れ続きは決定できません。
もちろん辞典を引いて、読みや意味のまとまりの判断の助けとすることは必須のことですが、それを元に、点字のルールに当てはめたり、読みやすさを考慮したりして判断することになります。
一般的なことばでも「地産地消」は、ひとまとまりの語としては多くの辞書に載っていますが、「地産」だけ、「地消」だけが載っている国語辞典は殆ど無いのではないでしょうか。それでも点字では、意味のまとまりを考えて「チサン■チショー」と区切って書きます。「臥薪嘗胆」や、「冠婚葬祭」の「冠婚」なども同じような例といえます。
辞書で調べることは必須ですが、辞書を引いて分かったことを元に切れ続きを判断することになると思います。
28.p14 3.調査
観音堂巡りの本の校正を担当しています。原文中に十一面観世音菩薩立像や日光菩薩立像などの語が出てきます。
この場合の「立像」についてですが、「りゅうぞう」と読むと思っていましたが点訳書では「りつぞう」となっています。
改めて辞書で調べたところ、広辞苑も大辞林も「りつぞう」の読みだけでした。岩波国語辞典では「りつぞう」の説明の中に「仏像などでは“りゅうぞう”と言う。」とありました。これをもとに「リューゾー」と校正してもよいでしょうか。「りつぞう」も完全な誤りとは言えないので、点訳者の読みを尊重した方がよいでしょうか。
【A】
国語辞典では、「座像」に対して、立った像が「りつぞう」という読みがあり、読みとしては、「りつぞう」を掲げている辞書が多いようです。ですから国語辞典の範囲では、校正として指摘することは難しいと思います。
ただ、「日光菩薩立像」や「月光菩薩立像」「十一面観世音菩薩立像」は、その仏像がある寺院のホームページでは、「りゅうぞう」のルビのある寺院が多いようです。文化庁・宮内庁・読売新聞社が官民連携で取り組んでいる「紡ぐプロジェクト」のホームページでも「りゅうぞう」と読んでいます。
「NHKのことばのハンドブック」では《固有名称では「りゅうぞう」が多い》とも書かれていますので、「固有名称なので」と断って、校正で指摘するのがよいと思います。
29.p14 3.調査
「夜」について、どのような時に「よ」や「よる」になるのか、迷います。
「あの夜」、「事件の夜」、「悪夢の夜」、「寒い夜」、「昨日の夜」は、「よ」でよいのでしょうか。
「夜はたいてい」等、複合語にならない場合は「よる」となるのでしょうか。
【A】
「夜」は、「国語辞典」を引いても、同じ意味が書いてありますので、現在は、「よる」「よ」のどちらで読んでも間違いとはいえないと思います。
ただ、「日本国語大辞典」によると
1.「よ」が複合語を作るのに対し、「よる」は複合語を作らない。(並立的な「よるひる」は例外)
2.(上代の用い方の説明なので省略)
3.元来「よる」は、「ひる」に対して暗い時間帯全体をさすが、「よ」はその特定の一部分だけを取り出していう。従って、古くは連体修飾語が付くのは「よ」であり、「よる」には付かなかったとする考えが出されている。
とあります。
以上のことからすると、連体詞「ある」「その」「あの」などの後ろは、「よ」と読むのが自然ということになります。なお、「どの」の場合は、「よる」と読んだ方が自然かもしれません。
現在では、「あの夜」「その夜」などは「よ」と読む方がよいと思いますが、
「事件の夜」「悪夢の夜」「昨日の夜」「寒い夜」などは、「よ」「よる」どちらで読んでもよいと思います。
30.p14 3.調査
戦国時代の忍びのことが書かれた本です。
「印代の判官なれば、何か知っているやもしれぬ」
この場合の「判官」は「ハンガン」「ホーガン」どちらでしょうか。
【A】
一般には、ハンガン、ホーガンどちらでもよいと思いますが、判官は、「ジョー」とも読みますし、特定の人物を表す場合は、読みが決まっている場合もあるようです。
以下、「NHK放送文化研究所」の解説によると
「判官」は、武士の役職・官名のほか裁判官の古い言い方ともされ、「はんがん」「ほうがん」両方の読みがあります。歌舞伎や浄瑠璃に登場する「~判官」の読みは以下のとおりです。
[ハンカ゚ン]・・ 『仮名手本忠臣蔵』の「塩谷判官<えんやはんがん>」、『小栗判官車街道』、『オグリ』「小栗判官<おぐりはんがん>」
[ホーカ゚ン]・・ 『勧進帳』などの源「九郎判官<くろうほうがん>」義経
源義経を「判官<ほうがん>」というのは、義経が検非違使の「尉<じょう>」という職位にあり、「尉」の別称が「判官」だったためとされています。
「判官贔屓(ほうがんびいき)」ということばも、兄頼朝に冷たく扱われる悲運・薄命の武将義経への愛惜や同情・肩入れの気持ちを表し、転じて「弱者に対する第三者の同情や贔屓<ひいき>」(広辞苑)を意味するようになりました。また、浄瑠璃や歌舞伎で、義経に関する物語や伝説をもとにした作品を「判官物(ほうがんもの)」と言います。
と書いてありましたので、参考になさってください。(なお、[ハンカ゚ン][ホーカ゚ン]の「カ」に半濁点は鼻濁音を表します。)
31.p14 3.調査
広報誌の原稿に以下のようにあります。
『※各種手帳割引‥山麓駅窓口に手帳を提示大人890円・小人460円』
『大人』『小人』は辞書では、入場料・乗車賃などを示す場合に『だいにん』『しょうにん』とありましたが、『おとな』『こども』と点訳してよいでしょうか。
【A】
「大人・中人・小人」は「ダイニン・チューニン・ショーニン」となります。遊園地や展示館などの施設の料金は、単に「おとな」「こども」ではなく、都道府県などによって年齢区分も異なるようですので、「おとな」「こども」とすると分類上誤解をまねく恐れもあります。文脈にもよりますが、ご質問のような場合は、「ダイニン、ショーニン」と書いた方がよいと思います。
32. p14 3.調査
1タイトルの中に「目を真赤にして」「真黒になった紙を」「真白いご飯が」と「っ」のない漢字のことばがでてきます。1か所「まっ白な紙の上に」のところは「っ」があります。辞書で調べると「真赤」「真黒」「真白」もあるので、「マアカ」「マクロ」「マシロ」と点訳するべきでしょうか。「真中(道路の真中を歩く)(髪を真中から分けて)」も「マナカ」でしょうか。「マッカ マックロ マッシロ マンナカ」と点訳してもいいでしょうか。
【A】
「常用漢字表」や「送り仮名の付け方」のルールを厳密に用いると、「まあか」「まくろ」「ましろ」「まなか」と読むことになります。
一方、小型の国語辞典の中には、「まっか」「まっくろ」「まっしろ」「まんなか」を引くと、見出しの表記に「真(っ)赤」「真(っ)黒」「真(っ)白」「真(ん)中」と書いてある辞書があります。この(っ)(ん)は、送らないことが古い習慣である場合や送っても送らなくてもよい送り仮名であることを示します。いくつかの国語辞典で、このような表記を示しています。
また、文化庁の「言葉に関する問答集」では、「生粋」を例に挙げ、公用文や教科書では「生っ粋」と書くことになるが一般の人が書く場合には、どちらを選んでもどちらかに統一して用いればよいと書かれています。
このようなことから判断して、点訳にあたっては文脈上不自然でない読みを採用するのがよいと思います。現代の一般書でしたら「まっか、まっくろ、まっしろ、まんなか」と読むのが自然だと思います。
33. p14 3.調査
『国家と記録』2019年刊集英社新書、宮内庁の書陵部についての記述です。
(原文)
①宮内庁書陵部は1949年に、図書寮(ズショリョウ)を引き継いで発足した組織です。皇室に伝わる「図書」、「文書」などの管理や、実録(天皇や皇族の伝記)などの編纂、歴代天皇などの陵墓の管理や調和を担当しています。
②ただ、閲覧できる資料の内容の豊富さには圧倒されました。これほどまでに整然と「文書」が残っているものなのかと感心することが多かったのです。宮内庁は先例を重視するため、あとから編纂を行って資料をまとめなおしており、職員が参照しやすい形で「文書」が保存されていました。
「文書」2か所の読みです。
「ズショ」「モンジョ」とも国語辞典には規定はありません。ネット上ではズショは平安期の読み、モンジョは江戸期以前の慣例的な読みとあります。古文書、文書袋など特定の読みや、東大寺文書など固有名称、古文中の読み、のみをモンジョとし、ほかはブンショと読むことはできますか。
【A】
「文書」を「ブンショ」と読むか「モンジョ」と読むか、きちんと読み分けることはできませんので、お考えの点訳方法に賛成です。
古文書、文書袋など特定の読みや、東大寺文書など固有名称、古文中の読みを「モンジョ」とし、ほかは「ブンショ」と読むのがよいと思います。
34. p14 3.調査
「家」を「いえ」と読むか、「うち」と読むかの読みわけについてです。
「いえ」は「ハウス」、「うち」は「ホーム」の意味で使い分け、改まった言い方ではない会話文の時は「うち」と読んだ方がしっくりする事が多いように思っています。
よく店に来る廃品回収業の男性に、壊れた自転車を回収してもらえるかどうかを聞く会話文です。
「できるけど、どこにあります?」
「家なんですけど」
「家、どこです?」
という文で、私は単純に会話だからと考えて「うち」と点訳してしまいましたが、よく考えてみたら住所を訪ねている訳で、やはり「いえ」と読んだ方がいいのではと思い始めました。
また、家出をした人のことをいう時、
「息子は家にいないんです…」
「家を出たんです」
という文ですが、やはりこちらも「いえ」と読んだ方がいいでしょうか。
【A】
確かに、お考えの通り、「いえ」は「ハウス」、「うち」は「ホーム」の意味で使い分け、改まった言い方ではない会話文の時は「うち」と読んだ方がしっくりする事が多いと思います。
『NHKことばのハンドブック』にも《原則として「いえ」は建物を指す場合、家庭を指す場合は「うち」》と書かれています。
ただ、常用漢字表を見ると「家」は「カ・ケ・いえ・や」と読み、「うち」の読みは入っていません。国語辞典の中には、「内」の見出しに《自分の家・家庭を指す場合は「家」とも書く》とある辞典もありますし、ほとんどの辞典で「いえ」の項では、1番目は「人が住むための建物」の意味ですが、次に「我が家、家庭」の意味も入っています。
このようなことから、会話文かどうかや文脈によって、「家」を「うち」と読むこともありますが、明確な使い分けはできず、迷った場合は「家」本来の読みである「いえ」を選択するのがよいと思います。
35.p14 3.調査
「市場」の読み方についてお尋ねします。
「築地市場」は「つきじしじょう」と読むと思いますが、そのあと 市場に出入りする人たちが・・・。午前6時だったら市場ではちっとも早い時間ではない。といった文があります。この場合、「つきじしじょう」に合わせて「しじょう」と読んだ方がよいのでしょうか。それとも「いちば」でよいのでしょうか。
【A】
「いちば」は、毎日または定期的に多数の商人が集まって、商品売買を行うところ、「場所」を言い表す場合で、
「しじょう」は「経済的な機能」を言い表す場合に使うようです。
いちば・・・ 魚~ 青物~
しじょう・・・ 売手~ 買手~ 卸売~ 青果物~ ~価格 ~経済 ~調査
ただ、「場所」を表す場合にも固有名詞では「しじょう」と言うところもありますので、その読みに合わせることになります。
東京都のホームページでは、中央卸売市場にはすべて「しじょう」とルビがありますし、アルファベットで「sijou」と書いてありますので、築地市場や豊洲市場は、「ツキジ■シジョー」「トヨス■シジョー」のようです。
ただ、ネット販売のトヨスドットコムは、トヨス■イチバ、ツキジ■イチバとなっています。
ご質問の原文の場合、「市場に出入りする人たちが・・・。午前6時だったら市場ではちっとも早い時間ではない」は「シジョー」と点訳してよいと思います。
36.p14 3.調査
「乳母」は、一般的には「うば」と読みますが、時代物は「めのと」と読んでもいます。今、点訳中の本では「乳母夫」にルビが「めのと」と出ていて女性の乳母にはルビはありません。女性の乳母に「めのと」、夫の乳母夫に「めのとぶ」と読んでよろしいでしょうか。「乳母夫」のルビを「めのと」と読むなら女性の乳母は「うば」ですか。迷っています。
【A】
「乳母」も「乳母夫」も「めのと」と読みます。
殆どの場合、それでよいと思いますが、前後の文脈で判断できなくて、しかも、判断しなければならない場合には、(オット)(オトコ)などと補足するのがよいと思います。
「父子」「母娘」「父娘」などを、すべて「オヤコ」と読むのと同様の処理になります。
37.p14 3.調査
「方」の読みで「カタ」か「ガタ」で迷っています。「役目は公用方」はコーヨーガタでしょうか。
【A】
「方」は「かた」とも「がた」とも読みますが、接尾語的に用いる場合で連濁しても用いられることもあるのは
(1) 数量や時を表す名詞について、それくらい・そのころを示す。「暮れ方」「朝方」「5割方増し」
(2) 動詞の連用形や名詞に付いて、必ず相手方があると予想される場合の一方の側を表す。「母方」「敵方」
のようです。
組織内の係や担当を表す場合は連濁しないようです。「囃子方」「道具方」「公用方」は「ハヤシカタ」「ドーグカタ」「コーヨーカタ」と読んでよいと思います。
38.p14 3.調査
「瞬く」の読み方について
・堀田は眼を、瞬かせて俯いてしまう。
・人の数倍は瞬きをした。
「瞬く」は辞書をみると「マバタク・シバタタク・マタタク」と色々な読み方が載っています。例文の時、私は「マバタク」と読みました。
しかし、この本はシリーズもので次の本には「眼を瞬(しばたた)かせてから~」とルビ付きの文が出ています。合わせた方がいいでしょうか。
読み方のルールがあるのかも知りたいです。
【A】
「瞬く」の読みのうち「またたく・まばたく」と「しばたたく」は自動詞と他動詞の違いがありますので、用法も異なってきます。
「しばたたく」は他動詞ですので、目的語を必要とします。
シリーズものにルビがあったのは、「眼を瞬かせてから~」が、目的語(眼を)があるので、ここは「しばたたかせる」と読んでほしいということでルビがあったのだと思います。目的語がない場合、「星がしばたたく」「まぶしそうにしばたたく」は不自然な読み方になります。
また、「しばたたく」は、「しきりにまばたきする」「何度もまばたきする」という意味ですので、単に「まばたく」より激しい様子を示します。
「またたく」と「まばたく」については、古語では「またたく」だけだったのですが、発音の変化から「まだたく」「まばたく」などの言葉がうまれたようです。
どちらも同じ意味ですが、「まばたく」は「人間や動物だけ」と限定する立場をとる辞書も多くあり、「星がまばたく」とは、あまり言わないと思います。
これらから、
人間や動物には、「またたく・まばたく」どちらも用いる。
星や町の灯などは、「またたく」としたほうが自然である。
「しばたたく」は、「またたく・まばたく」より頻度が高い様子を表し、目的語があるときにのみ用いる。
とすれば、自然な読み方になると思います。
なお、目的語があっても「目をまばたかせる」などの言い方はあります。
39.p14 3.調査
料理に関する用語の読みについて
塩味(シオアジ、エンミ、シオミ)
甘味(カンミ、アマミ)
を、読み分けた方がいいでしょうか。
① 素材の味を活かした塩味の料理と合う。
② シラスの仄かな塩味。
③ 味噌や醤油と同じ発酵調味料で、塩味に発酵による甘味や旨味が加わっている。
④ 辛味と甘味で食べ飽きないようになってる。
【A】
しおあじか、えんみか、あまみか、かんみかについては、区別が難しいのですが、栄養学や生理学、家庭科などで、食材そのものが持っている味、「基本味」を指す場合は、「塩味(えんみ)」「甘味(かんみ)」「酸味(さんみ)」「苦味(にがみ)「辛味(からみ)」「旨味(うまみ)」と読み、中学・高校などの教科書でもそのように習います。
その影響もあってか、最近では、味付けの意の「しおあじ」のことも「えんみ」という言い方が広まってきたと言われています。
「甘み」の場合は、「み」をひらがなで書いたときに「あまみ」と読むのが本来の読み方のようです。
ただ、食材本来の味か、味付けの意味かの読み分けは難しく、実際にはどちらなのか判断が付かない場合も多いと思いますので、はっきり分からない場合は、1タイトルの中では読みを統一した方が読みやすいと思います。
①は「しおあじ」と思いますが、②~④は、すべて、えんみ、かんみ、うまみ、からみと読んでよいと思います。
40.p14 3.調査
「何」を「なに」と読むか「なん」と読むかの違いはどう考えればよいでしょうか。 例:「何に対して怒っているのか?」
この場合はどちらでしょうか。
【A】
国語辞典によると、《「ナン」は「ナニ」の音便形で、主に助詞・助動詞の「だ、で、と、の、なら、なり」に続くとき、そのほか「に、か」に続く時にも用いられ、多くは話し言葉で用いられます。》と説明があります。
音便ですので、後ろがタ行・ダ行・ナ行の助詞・助動詞が来るときに、話し言葉で用いられると考えてよいと思います。
ですが、最近では、「ナンカ」もよく使われます。
常用漢字表では、「ナニ、ナン」ともに「何」の訓読みとしてあげられていますので、どちらで読んでも間違いではないと思います。
ただ、「ナン」の例としては「何本、何十、何点」など「いくつ」の意味だけが挙げられています。
『NHK新用字用語辞典 第3版』には、「ナン」という読み方は「特別なものか、または用法のごく狭いものである」というふうに書かれています。
これらのことから、点訳では、「ナニ」を基本に、話し言葉、会話文の中で、音便として使われているような場合は、「ナン」の読みを用いるのがよいと思います。
また、接頭語として数量・時間・順序・程度などを表す場合は、「ナン」になります。
ご質問の例として挙げられた「何に対して怒っているのか?」は、
「ナニニ■タイシテ■オコッテ■イルノカ?」が基本的な点訳方法だと思いますが、辞典にもあるように、「ナンニ■~」の言い方もありますので、校正としては指摘の対象から外してよいと思います。
41.p14 3.調査
「一時」を「イチジ」と「イットキ」と読み分けるルールはありますか。
【A】
国語辞典によると、「いちじ」と「いっとき」は以下のように、ニュアンスが少し異なります。どちらにも読まれる場合もありますが、後ろに付く助詞も考慮して文脈にあう読みを選ぶことになると思います。
「いちじ」は
①ある限られた長さの時間、一定時間 「出発をいちじ見合わせる」「晴れいちじ曇り」「いちじ預かり」
②(何かが起こった途中の)ある時期、あるとき 「いちじはだめかと思った」「いちじはどうなることかと思った」
③そのときだけ、そのとき限り 「いちじの気の迷い」「いちじの間に合わせで乗り切る」「いちじのできごころ」
④一度、一回
一時金(いちじきん)、一時帰休(いちじききゅう)、一時しのぎ(いちじしのぎ)、一時的(いちじてき)、
一時払い(いちじばらい)、 一時逃れ(いちじのがれ)
「いっとき」は
①少しの間、しばらく、片時 「いっときも休めない」「いっときのひまも惜しむ」「いっときの辛抱だ」「いっとき逃れ」
②ある一時期 「いっときほどの元気はみられない」「いっとき流行っていた」
③昔の時間区分 一刻 約2時間のこと
なお、防災用語では、「一時避難場所」は「いっときひなんばしょ」(防災用語辞典、東京都のHP)と読む方が主のようです。「一次避難場所」との区別のためのようです。
42.p14 3.調査
「神宝」の読み方について
『知れば知るほどおもしろい「日本の神様」の秘密』の原本に以下のようにあります。
天皇は出雲の神宝を見てみたい、といい出した。そこで武諸隅なる人物を出雲に遣わし、神宝を献上させることにした。このとき神宝を管理していたのはイズモノオミ(出雲臣。)
弟のイイイリネ(飯入根)が、ヤマトのいうとおりに、神宝を差し出してしまった。
「ヒスイ」は・・・ワタツミの神宝と考えられたのである。
草薙剣は出雲からもたらされた神宝ということになるが・・・
最初《しんぽう》と読んでいましたが、ふと気になり、
【神宝】を調査すると、以下のようにありました。
①広辞苑第7版
「かむだから」も「しんぽう 」も見出し語にある
②三省堂国語辞典第八版
「しんぽう」のみ
③ネットでのgoo辞書
「神宝」で検索すると以下のような順序で出てきます
かむ‐だから【▽神宝】 の解説…《「かんだから」とも》
かん‐だから【神宝】 ⇒かむだから
しん‐ぽう【神宝】 の解説…
④明鏡国語辞典
「しんぽう」のみ
⑤ネットのコトバンク
「かむだから」も「しんぽう 」も「かんだから」「かんたから」もある
⑥旺文社古語辞典
「かむだから」
③の順序性を考慮すると《かむだから》と読むのがいいのかと迷っています。
【神宝】はどう考えたらよいでしょうか。
【A】
種々の国語辞典を調査してみますと、「しんぽう」が現代の基本的な国語辞典をはじめ、中型の辞典にも収載されています。そして、(~とも)の形で、「じんぽう」「じんぼう」「かんたから」「かんだから」「かむたから」「かむだから」などが紹介されています。
日本の国語辞典で最も大きい小学館の「日本国語大辞典」では、「かんたから」も見出し語として収載されています。
「日本国語大辞典」では、「しんぽう」の項には、延喜式をはじめ、800年代、900年代から1600年代、1700年代まで広い年代にわたる用例が挙げられています。
「かんたから」の項では、日本書紀、延喜式、源氏物語の3例で比較的古い時代の用例になっています。
「しんぽう」に対して「かんたから」は和語読みですので、源氏物語のように和語で文が構成されている読み物では用いられやすいと思います。
ご質問の文は、古典の引用部分ではなく現代語で書かれた文ですので、現代の多くの辞書で採用されている「しんぽう」の読みが適していると思います。
日本書紀などの引用文にある場合は、前後の文脈から、和語読みが適していると判断されるときは、「かんたから」と読む方がよい場合もあるかも知れません。
なお、ネットの辞書である「goo辞書」は国語辞典に関しては、「デジタル大辞泉」とほぼ同じです。
コトバンクはネットを横断検索してヒットした結果が書かれていますので、それぞれの出典の性格や信頼性などを確認の上、読みを選択する必要があります。
このような日本古来の語の読みに関しては冊子の、基本的な辞書(岩波・三省堂・新明解など)⇒ 中型辞書(広辞苑・大辞林・大辞泉など) ⇒大型辞書(日本国語大辞典)の順に、用例も読みながら調査するのがよいように思います。
43.p14 3.調査
言語の音、「はひふへほ」の音が
上のような場合は、「おと」「おん」どちらで読むのがよいのでしょうか。
【A】
「おと」「おん」の区別はあいまいですが、国語辞典には「人間が原語として使うために口で発するおと」は「おん」と読むと書かれていますので、ご質問のばあいは、「オン」と読むのがよいと思います。
44.p14 3.調査
「行き場」「行く先々」の読みについて
「てびき3版 指導者ハンドブック 第2章編」p10に《次のような語は常に「ゆく」が使われ、「いく」とは読まれませんので注意しましょう。国語辞典を見ても、「ゆく」が本来の読み方である》とあり、その中に「行き場(がない)」があります。点訳フォーラムの語例で調べると、「イキバガ■ナイ」となっていて注記として「ユキバとも」とあります。ハンドブックとの違いはなぜでしょうか。「イキバ」と読んでいいとしても、なぜ「ユキバ」の方が注記になるのでしょうか。
「行く先々」もなぜ「イク」も可になっているのでしょうか。
【A】
語例集の場合は「話の持って行き場がない」ですので、「持って行く」に「場」が付いた形です。この場合の「行き」は補助動詞ですので、単独の「行き場」と異なり、「いき」と発音することも多いと思います。そのために「読み」を「いきば」とし、注記に「ゆきば」を付けました。
「行く先々」も、「行く」という動詞の意味が強く、「行く■先々」とマスあけしますので、注記はそのままにしたいと思います。
45.p14 3.調査
アルコール依存症はフォーラムでは、「アルコール■イソンショー」となりますが、ほかで検索すると、「イゾンショー」とでます。NHKも読み方の優先順位を変えたそうですが、どちらがいいですか?
【A】
「アルコール■イソンショー」が本来の読みですので、点字では「イソンショー」でよいと考えています。
NHKでは、話し言葉として、「いぞん」という人の割合が多くなったために、2014年以降、「依存、共存、現存、残存、併存」の読みの優先順位を「ぞん」を1.にし、「既存」は優先順位なしにしていますが、点訳では国語辞典を元に、これらの語は「そん」と読むことをお勧めしています。
ただ、言葉は時代と共に変わりますので、国語辞典でも「ぞん」が見出し語になれば、点訳でも変わっていくかもしれません。
46.p14 3.調査
「世論」の読み方について
・世論は「原発反対、放射能は危険だ」と身体の危険を心配してくれます。
・このような世論にも傷つき苦しんでいます。
この場合は「ヨロン」「セロン」どちらでしょうか。
「岩波国語辞典」は、「よろん(輿論・世論)」には「_調査・_に聞く・_に訴える・_が高まる」と語例があり、
「明鏡」は、「せろん(世論)」には「_の動向を調査する」がありました。
辞書の説明を読んでも違いがはっきりとしません。「世論」はどちらで読んだらいいでしょうか。
【A】
すでに調査されているように、「世論」は「せろん」としても「よろん」としても辞書に記載されています。そして、よく似た意味でどちらで読んでも間違いではないように思われます。
元々、「せろん」「せいろん」は「世論」、「よろん」は「輿論」と書いて、微妙に意味が異なっていたのが、「当用漢字表」が実施され「輿」の漢字が当用漢字表にないことから、「よろん」も「世論」と表記されるようになり、現在のような状況になったようです。
国語辞典によってはなかなか判断しにくいのですが、それでは、どちらで読むのが適切なのでしょうか。
平成15年度に文化庁が行った世論調査では「よろん」と読む人が73.8%、「せろん」と読む人が18.9%と、「よろん」の方が浸透していることが分かります。
また、『NHKことばのハンドブック第2版』では、「よろん」を○、「せろん」を×にしています。
これらのことから、一般的には「よろん」の読みが定着していると言えそうですので、現状では、「よろん」と読む方が、自然ではないかと思います。
47.p14 3.調査
芥川龍之介の「地獄変・偸盗」の中に、「青空の下、夜空の下、月の下」と出て来ます。ネットで調べると「青空の下」は、「もと」と分かりました。夜空と月は、「もと」と思うのですが確信が持てません。
【A】
「下」を「もと」と読む場合もあります。
「もと」と読む場合は、「上に広がるものに隠れる範囲、影響を受ける範囲」の意味になります。「白日の下にさらされる。」「教授の指導の下に研究を進める」「法の下に平等である」などと用います。
「青空の下」は必ず「もと」と読むわけではなく、「澄み切った青空の下、運動会が行われた」という場合は、「青空=好天」という恩恵に恵まれて「運動会」が無事に、中止にならずに開かれるという意味になります。
「彼は青空の下、高いところを悠々舞っている鳶の姿を仰ぎ、人間の考えた飛行機の醜さを思った」(暗夜行路)という場合は、単に位置関係の「した」を表しているので「した」と読みます。(文化庁『言葉に関する問答集』の例)
それによって、何らかの影響力、支配力を受けている場合は「もと」、位置関係の「した」の場合は「した」と読んでよいと思います。
これらのことから「偸盗」の、
「夜空の下」は「~大路小路の辻々にも、今はようやく灯影が絶えて、内裏といい、すすき原といい、町家といい、ことごとく、静かな夜空の下に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。」
「月の下」は、「が、周囲は、どこを見ても、むごたらしい生死の争いが、盗人と侍との間に戦われているばかり、静かな月の下ではあるが、はげしい太刀音と叫喚の声とが、一塊になった敵味方の中から、ひっきりなしにあがって来る。」
とあり、支配下、影響力の意味では無く、単に「そのしたで」という意味ですので、「した」と読んでよいと思います。
48.p14 3.調査
気色には「キショク」「ケシキ」と、二通りの読みがありますが微妙な違いがあるように思うのですが、次の場合点訳者はいずれも「キショク」と読んであります。
①殿は何をお考えかと訝る気色も見えまする
②汚れたまま駆け付けた振る舞いを衒って誇る気色もない
③城内に奇妙な気色が漂い、本当に喜んでいいものか…
【A】
基本的な小型の国語辞典を見てみると
「きしょく」は、
「心に思っていることが顔に表れた、その様子、顔色、気分」(岩波国語辞典)
「見たり触ったりしたときの鳥肌がたつような気持ち、気分」(三省堂国語辞典)
「(顔に表れている)快・不快の状態」(新明解国語辞典)
「けしき」は、
「何かしようとする、また、何か起ころうとする、(ほのかな)様子」(岩波)
「何かが起ころうとする気配 顔色や態度に表れる心の様子」(三省堂)
「その人の態度・表情などに現れる、そのときの心の状態」(新明解)
となっています。使用例としては
「きしょく」は、きしょくがいい、きしょくがわるい、きしょくを害する
「けしき」は、応じるけしきがない、雨があがるけしきがない、けしきを伺う、けしきを帯びる、けしきを見せる、けしきを見て取る
などとなっています。
以上のことから判断すると、①②③ともに「けしき」と読んだ方が適していると思われます。
49.p14 3.調査
「二十歳」の読み方について
「結婚した二十歳代初め頃から」の場合は「ハタチダイ■ハジメゴロカラ」なのか「数符20サイダイ■ハジメゴロカラ」なのか、
辞書に「はたち《二十》《二十歳》語法:二十歳そのものを言う語。年数の意のときは[はたち]を使うのではなく、『二十歳(にじっさい)も違う』『二十(にじゅう)代の若者』としたい。」とありましたが悩んでいます。
【A】
「二十歳・二十」を「はたち」と読むのは、常用漢字表に熟字訓として示されています。国語辞典では、「はたち」は「二十歳」を表すのが主な意味で、「二十」は雅語、昔の表現などと書かれていますので、現在では「二十歳」だけを「はたち」と読むのが適切ではないかと思います。
一方、「二十歳、20歳」と書いて、「にじっさい、にじゅっさい」と読むのも間違いではありません。
「二十歳代」の場合は、はたちだけでなく、21も22も29まで指しますので「数20サイダイ」と書いた方がよいと思います。
50.p14 3.調査
「難治」は点訳フォーラムで「なんち」となっています。一般の辞書をみると「なんじ」の方に語意が書いてあるのですが、この読み分けはあるのでしょうか。
【A】
国語辞典では、ほとんどすべての辞典で「なんじ」の読みに語義が載っていますが、医学的には「難治性~」の病名は、すべて「なんちせい~」で、医学辞典では「なんち」となっています。
「難治疾患研究所」も「なんち」の読みが示してあるサイトもあります。
これらのことから、医学分野では「なんち」と読むのがよいと思います。
ただ、「難治」には、「治めにくいこと」や「難しいこと、難題」などの意味もありますので、このような意味の時には「なんじ」の読みの方がよいと思います。
51.p14 3.調査
時代小説の中で、「帯陣が長引くようなら」と書かれているところの「帯陣」は何と読むのでしょうか。
【A】
「たいじん」と読んでよいと思います。
根拠としては、
1.国語辞典などを調査しても「帯陣」は見当たりません。が、「滞陣」(一定の所に陣をおいてとどまること)はあります。
文脈から、「滞陣」(たいじん)と同意ですので、この意味で「帯陣」が用いられたとも思われます。
2.ネットで調べてみると、
諸葛亮孔明 漢王朝の復興を目指し、魏に戦いを挑んだ蜀の宰相
劉備が夷陵で敗北する
帯陣が長引き、陣が長大になって防備が薄くなった隙を陸遜(りくそん)につかれ、大敗を喫します。
という表現がありました。「三国志」などの記述をもとにした読み物での表現のようです。中国文献の用語をそのまま用いている可能性もありますが、中国語の辞書(新華辞典第10版)で調べると、「帯」には「引率する」の意があり「領」と同義とあり、「領」を見ると「領陣」の用例がありましたので、「帯陣」で陣を引率するという意味のようです。
陣を引率することが長引き・・・であれば、結局意味は滞陣と同じことになります。
中国語から持ってきた表現であれば漢字音読みをするのが自然ですので、「たいじん」がよいと思います。
ご質問の時代小説が中国ものかどうかは不明ですが、同様の表現を日本の時代小説でも用いた可能性はあると思います。
52.p14 3.調査
一般書のエッセイなどに、「(笑)」という言葉が、文末によく出てきます。
ワラ、ワライ、カッコ■ワライ
など読み方はあると思うのですが、点訳での読み方統一はありますか。
とくにない場合、よく使われる読み方はあるでしょうか。その図書の中で読み方が統一されていたらよいのでしょうか。
【A】
「てびき」や点訳フォーラムでは「ワライ」としています。
原本に読みの指定がない場合や迷う場合は「ワライ」でよいと思います。
読みの指定がある場合は、あまり不自然でない限りそれに従ってよいと思います。
53.p14 3.調査
「いない間」を文脈によって、間(あいだ)と読んだり、(ま)と読んだりしてよいでしょうか。
・いない間(アイダ)に見舞いにきたこともあったようだ。
・櫂がいない間(マ)に店から抜け出している。
「シラヌ■マニ」や「ミテ■イル■マニ」などがありますが、見舞いの方は(ま)ではないような気がします。
【A】
「いない間」を文脈によって、「イナイ■アイダニ」と読んだり、「イナイ■マニ」と読んだり、自然な読みの方を採ってもよいと思いますし、校正でも指摘の対象とはならないと思います。
「ま」と「あいだ」は、語源的には、「ま」が、「時間的・空間的に持続・連続している中にある必要な欠落部分」を指し、関心の中心が一つの持続としてとらえられるのに対し、「あいだ」は二つの別のもののあいだ、原因と結果のように展開したあいだを示すのだそうです。また、「ま」は、雅語的であるのに対し、「あいだ」は漢文訓読的というイメージもあります。
現在では、このような使い分けは混乱していますので、神経質にならなくてよいと思います。慣用的な「しらぬまに」「まがわるい」などの使い方に注意すればよいと思います。
ただ、以上のことから考えると
・いない間(アイダ)に見舞いにきたこともあったようだ。
・櫂がいない間(マ)に店から抜け出している。
は、もともとの意味の読み分けに雰囲気的に合っているように思われます。
54.p14 3.調査
「人」の読みについて、「じん」と「にん」の読み分けについて教えてください。
また、「同一人」は「ドーイツニン」と読んでよいでしょうか。
【A】
「どういつにん」と読んでよいと思います。
「人」を「じん」と読むか「にん」と読むかについては、点訳フォーラムのブログ(2022年1月1日)「辞書を楽しむ」に記載しましたので、参考にしていただきたいと思います。この読み分けの基となった研究やその追跡研究で、「ニンは数詞と結合し、ジンは地名と結合する。その逆はない」と述べられています。
「同一人」は「どういつにん」と読むのが適切ということになります。
55.p14 3.調査
「憤怒」の読みについて、原本に以下の文があります。
「悲しみに浸る余裕もないほどに、憤怒に支配されているようだった。」
これは、普通の文章で、【ふんど】と点訳したところ、【ふんぬ】と校正がありました。複数の辞書で調査すると、【ふんぬ】に説明がある辞書のほうが多い状況でした。
このような場合は、【ふんど】は間違いで、多数決で多いほうの読み方を選んでよいでしょうか。
「開け放し」の読み方について、
「廊下の突き当りまで進んだところの部屋の扉が開け放しになっている。」
「そう思っていると、不意に、洋一郎がダイニングの開け放しの扉の前に現れた。」
調査すると【あけはなし】【あけっぱなし】と辞書によっても違いがありますし、個人によって違いがありました。このような場合はどう読んだらよいでしょうか。
【A】
「憤怒」は「ふんぬ」「ふんど」両方の読みがありますが、小型辞典では「ふんぬ」のほうに語義があり、現代では「ふんぬ」の読みの方が多いと思います。「ふんど」に語義が掲載されている辞典もありますので、「間違い」とは言えないと思いますが、選ぶのでしたら、「ふんぬ」の方がよいと思います。
「開け放し」は、原本にこのように書いてあれば、「あけはなし」と読むと思います。「あけっぱなし」と読ませたい場合は、「開けっ放し」となります。点訳フォーラムQ&A第1章その6の現在の31.に「真白」「生粋」などの例がありますが、これらは送り仮名の省略と解され、国語辞典にも、「真(っ)白」のように書いてあります。「開け放し」と「開けっ放し」は、送り仮名の問題ではありませんので、原本の通りに点訳するのがよいと思います。
56.p14 3.調査
「いとこ」の漢字を「従兄長男・従兄(次男)・従妹・従弟・従兄妹・従姉弟」と 書き分けています。
ジューケイ■チョーナン ジューケイ(ジナン) ジューマイ ジューテイ イトコ(アニ■イモ―ト) イトコ(アネ■オトート)
と書くべきでしょうか。
イトコ■チョーナン イトコ(ジナン) イトコ(イモ―ト) イトコ(オトート)
と書いてもいいのでしょうか。
前後の文章からきょうだい構成がわかるところ、わからないところ、入り交じっています。
【A】
文脈から兄弟関係が分かるところや、分からなくても文章を読むのに差し支えないところでは、すべて「いとこ」と読んでよいと思います。
どうしても、兄、弟、姉、妹などが必要な場合は、
イトコ(ジューケイ) イトコ(ジューテイ) イトコ(ジューシ) イトコ(ジューマイ) イトコ(ジューケイマイ) イトコ(ジューシテイ)のように第1カッコで補ってはどうでしょうか。
57.p14 3.調査
伯父と叔父の表記の仕方について質問します。
本文中に
「両親の家の他に、伯父夫婦や叔母、叔父など、四軒の家があり。その家族が住んでいました。」 と言う文があり、その後も伯父、叔父は何度か出てきます。この様な場合、違いがわかる様に点訳挿入符を使って、その都度説明を入れた方がいいのでしょうか?漢字の説明だけで「はくふ」と「しゅくふ」と書く。それとも「自分の親の兄(または弟)」と説明を書く。
なお、その関係が物語中ではあまり重要ではありません。
【A】
両親の兄や弟であることが、とくに問題で無ければ
オジ■フーフヤ■オバ、■オジナド、■数4ケンノ
でよいと思います。
両親との関係が分からないと読み進められないような場合だけ、
オジ点挿チチノ■アニ点挿
のように断ります。
58.p14 3.調査
噺家さんが先輩たちを呼ぶときの兄さんについてお尋ねします。東京では「アニサン」関西では「ニイサン」と聞いたことがあるのですが「昇太兄さん」「志の輔兄さん」は、アニサンとした方がいいでしょうか。点訳者はニイサンとしているのですが、どちらでもいいのでしょうか。
【A】
「にいさん」「あにさん」は、どちらも「兄」を敬っていう語ですので、大きな違いはないと思いますが、「あにさん」の方には、「落語家など芸人が兄弟子や先輩を言う語」の意味が載っていて、「にいさん」の方にはその意味は載っていないようです。
「落語の用語」というサイトには、
《「兄さん」は、先輩の落語家に呼びかけるときに使われる言葉。「あにさん」と発音する。なお、「兄さん」は比較的、年齢や立場の近い先輩に用い、真打や大先輩の落語家には「師匠」と呼びかけることが多い。》
と書かれていました。
「にいさん」でも間違いではないかもしれませんが、校正者の意見として「あにさん」のほうがよいのではないかと書かれてはいかがでしょうか。
59.p14 3.調査
「執着」の読みは「しゅうちゃく」「しゅうじゃく」どちらが良いですか。一般的には「しゅうちゃく」だと思うのですが。
「重用」は「ちょうよう」「じゅうよう」どちらでしょうか。
【A】
「執着」は、本来は「しゅうじゃく」で広辞苑や岩波国語辞典などその語の伝統的な本来の読みを大切にする辞典では「しゅうじゃく」の方に語義が載っていますが、それ以外の多くの国語辞典では「しゅうちゃく」に語義説明が載っています。現代では「しゅうちゃく」の読みが多くなっている語です。
「重用」も、「じゅうよう」「ちょうよう」どちらの読みもありますが、伝統的な本来の読みは「じゅうよう」になります。「ちょうよう」は「重要」との混乱を避ける意味や「重宝」に引き摺られてなどから始まった慣用読みのようです。
「執着」も「重用」もどちらの読みもまちがいではありませんので、校正などでは指摘の対象としない方がよいと思います。
60.p14 3.調査
「仲間連中」「奥さん連中」の連中は「れんちゅう」、「れんじゅう」どちらでしょうか。
【A】
「連中」は
1.同じ(ような)ことをする人々。なかま
2.音曲などの芸能の一座の人々
の二つの意味があり、現在は、1.に「れんちゅう」、2.に「れんじゅう」の読みあてるのが一般的ですが、殆どの辞書で、「れんちゅう」には、1.2.の順で、「れんじゅう」には、2.1.の順で語義が書かれています。
ですから、どちらの読みも間違いではありません。原本の雰囲気や文脈で判断して書いてよいと思います。現代の読み物で、口語の中に用いられている場合は、1.の意味の場合は「オクサン■レンチュー」と読んだ方が自然だと思います。
61.p14 3.調査
「故郷」は、「こきょう」とも「ふるさと」とも読みますが、使い分けはあるのでしょうか。
【A】
「故郷」は、現在では、一般に「こきょう」とも「ふるさと」とも読みますので、どちらが間違いということはないと思います。
ただ、「故郷」を「ふるさと」と読むのは、常用漢字にはない読み方ですので、新聞では、「故郷」とあれば「こきょう」となります。新聞で「ふるさと」と読ませたいときには「古里」と書かれています。
また、「こきょう」は「生まれた土地」の意味しかありませんが、「ふるさと」は「その人にとって古くからゆかりの深いところ、生まれ育った土地、以前に住んだ土地、馴染んだ土地」「精神的なよりどころ」「かつて都や離宮のあった所」など広い意味を指します。このように少しニュアンスが異なってきますので、点訳の際にはこれらのことを考慮すればよいかもしれません。
文部省唱歌の「故郷」は「ふるさと」ですが、このような場合を除いては、一般にどちらで読んでも校正の対象にはならないと思います。
62.p14 3.調査
「情緒」の読み方について校正で指摘してよいか迷っています。点訳者は「ジョウショ」と点訳しています。慣用読みは「ジョウチョ」で今はこの読み方をする人がほとんどだと思いますが、広辞苑では「ジョウショ」の読み方が優先です。このような場合、明らかな間違いではありませんし点訳者の考えを優先するということで、校正はしない方が良いのでしょうか。
【A】
一般的な読み物として、「情緒豊かに」「異国情緒」などと用いられている場合は、「じょうしょ」と読んでも校正での指摘の対象にはならないと思いますが、心理学用語としては、「じょうちょ」ですので、「情緒障害」「情緒不安定」などは、「じょうしょ」と読まれていたら、校正では指摘した方がよいと思います。専門用語の場合は注意する必要があります。そのような意味も含めて、現在では「じょうちょ」と読んだ方がよいと思います。
63.p14 3.調査
「見出す」について「みだす」と「みいだす」の読み分けはどのように考えたらよいでしょうか。
また以下の「見出す」は、いかがでしょうか。
①私が人生を共にした私自身の「人生のロゴス」は、必ずや他の人々のロゴスとも成り得るものと信じている。是非にも、ここから自己のロゴスを見出してほしい。
②その噴煙が、私の魂を震撼させるのだ。噴煙の中に、紅蓮の炎が生み出す苦悩を見出すのは私だけではあるまい。
③私は特に、『どん底』を好んでいた。その舞台芸術の中に、自己生存の淵源を見出していたのだ。そして、その映画化の中に、私は青春の血の迸りを感じていた。
④折口はスサノヲの魂に、日本人の情熱とその溢れるような恋心を見ていた。何ものかを激しく恋するその純心を、スサノヲの神話に見出していたのだ。
⑤私はシェストフによって、ドストエフスキーの新しい地平線を見出したのである。
【A】
辞書によっては、違いが判然としないものもありますが、多くの辞書で、
見出す(みだす)は「見始める」
見出す(みいだす)は「見つけ出す、発見する」
の語義が記してあります。
「見出す(みだす)」は、「読書をやめてテレビを見出した」のような外面的な行動のときに用い、「見出す(みいだす)」は、より内面的な心の動きを差しているときに用いられると思います。
ご質問の①~⑤はすべて「みいだす」と読むのが適切だと思います。
64.p14 3.調査
「票」の読み方について教えてください。
「新明解国語辞典第8版」で、1票・6票・8票・10票は「ピョウ」、3票は「ビョウ」とあります。
94票を「数94ヒョー」
26票を「数26ピョー」
20票を「数20ピョー」
53票を「数53ビョー」
としましたが、ほかにも選挙得票の列記が多い本なので、「点字を読む場合はヒョーの方がわかりやすい」との意見もありました。読み方の変化はどのように判断したらよいでしょうか。
【A】
「新明解国語辞典第8版」にありますように
94票を「数94ヒョー」
26票を「数26ピョー」
20票を「数20ピョー」
53票を「数53ビョー」
と読むのがよいと思います。
数字の読み方は、「NHKことばのハンドブック第2版」に「数字の発音用例集」があります。点訳に際してもその読み方をお勧めしています。
「ヒョー」と書かなければ分かりにくいと言うことはありません。
65.p14 3.調査
漢字の読み方について、例えば、依存(いそん)・着替える(きかえる)などは、 以前はそのように辞書に載っていましたが、最近の辞書には、「いぞん・きがえる」と読み方が変わっているものもあるようです。そのようなときには、点訳も読み方を変えて読んだ方がよいでしょうか?
【A】
数多くの国語辞典が出版されていて、それぞれの国語辞典には特徴があります。改版の時に世相を反映した読みを取り入れる辞典もありますので、そのたびに点訳での読みに迷うこともあります。ただ、点訳では、最新の国語辞典が変化しても、多くの国語辞典が変わらないのであれば、従来の(本来の)読みを変えないという姿勢になると思います。国語辞典の中には、ある版で新たな読みを採用したのに、次の版で本来の読みに戻した例もありました。ですから「てびき」p15にもあるように基本的な複数の辞書を比較調査することが必要になります。
点訳は口語(話し言葉)ではなく、文語(書き言葉)ですので、できるだけ本来の読みを維持していくのがよいと思います。
放送で言葉の読みが変わっていくこともありますが、放送は話し言葉ですので、点訳ですぐに受け入れるのではなく、辞典などの動向を見ながら判断するべきと思っています。
文学作品は何年も前に書かれたものもあり、また今後何年も残っていくものですので、できるだけ本来の読みを採用していく姿勢が大事だと思います。
「依存」「着替える」については、「いそん」「きかえる」でよいと思います。
ただ、各辞典で語義の載っている読みが分かれている場合などは、校正では点訳者の読みを尊重することになります。
66.p14 3.調査
「上がる」「上る」の読み方についてお尋ねします。
松本清張の本です。送り仮名から言えば「上る」は「のぼる」ですが「アパートの3階に上ると」の場合は、「あがる」と読んでもよいでしょうか。
この本は「お上りあそばして」などと明らかに「あがる」を「上る」と書いてあるところもありますが、全て「あがる」を「上る」と表記しているわけではなく「上がる」と書いてあるところもあります。
送り仮名ではなく点訳者の判断で「あがる」と「のぼる」を読み分けてよいでしょうか。もし読み分けてよいのならその基準も教えてください。
【A】
送り仮名の付け方は文化庁が示しており、現在は、昭和48年6月18日の内閣告示の「送り仮名の付け方」に準じているのが一般的です。「あがる」「のぼる」の送り仮名がはっきり「上がる」「上る」と使い分けられるようになったのは、いつの内閣告示に依るのかは確認できませんでしたが、昭和40年代初期に発行の国語辞典では「上(が)る」となっていましたし、それ以前に発行された平凡社「大辞典」を見ると、「あがる」も「上る」になっています。
ですから、松本清張の作品も発表の時代によっては、現代の送り仮名と異なっていたことも考えられます。
作品全体で、明確に使い分けられてはいないのですから、文脈によって、「あがる」「のぼる」を読み分けてよいと思います。
「あがる」と「のぼる」の違いをはっきり述べることは難しいので、「日本国語大辞典」の記述を以下に引用します。
アガルとノボルは共に上への移動を表す類義語だが、アガルが到達点に焦点があり、そこに達することを表すのに対し、ノボルは経過・過程・経路に焦点があるという点で異なる。アガルは、基本的には初めの状態を離れること、ある段階から抜け出すことを表し、その経過・過程は問題にしない非移動である。そのため、アガルの場合、アガルものが物全体か一部かに関わらず、視点の向けられているものの移動ということが問題になる。それに対してノボルの場合は少しずつ移動する過程が明らかになるような、それ自体の全体的移動をあらわし、しかも自力で移動が可能な事物に限定される。
生徒の手がアガル(×ノボル)
ダムの水面がアガル(×ノボル)
湯からアガル(×ノボル)
いつのまにか血圧がアガッテいた(×ノボル)
湯から煙がノボル
興奮して頭に血がノボル
「アガッテイル」は完了を表し、「ノボッテイル」は現在進行形を表すことになる。
「上る(のぼる)」は「上方へ行く」、「登る」は「高いところに移動する」「一歩一歩地を踏みしめてあがる意が込められている。」
これらのことから、ご質問の場合は
「アパートの3階にアガルと」
「壁をつたわると3階のベランダまでノボレないことはない」
となると思います。
67.p14 3.調査
「何」の読み方について、「何の役にも たたない。」「何の手助けにも ならない。」は、「なん・なに」どちらの読みになるでしょうか。どちらでもよいのでしょうか。
【A】
「何」は、助詞・助動詞と複合した場合は「なん」と読むことが多くなります。「なんじゃ」「なんだ」「なんぞ」「なんと」「なんの」「なんて」「なんで」「なんらか」などとなります。口頭語としては現代では「なに」より「なん」の方が多く用いられますので、ご質問の場合はどちらも「ナン」と読んでよいと思います。
なお、後ろに助詞・助動詞が付いた場合以外については、NHK放送文化研究所「最近気になる放送用語」に以下のような記載がありますので、参考になさってください(一部引用します)
漢字「何」は、訓読みとしては「ナニ」「ナン」の2通りがあります。そして、『NHK新用字用語辞典 第3版』には、「ナン」という読み方は「特別なものか、または用法のごく狭いものである」と書かれています(p.612の「何」の項)。では、「ナン」はどのように「特別」なのでしょうか。「何」の読み方について、大まかな傾向を考えてみます。
まず「ナニ」と読む場合は、「どんな(もの)」(=what kind of、 which)という意味で用いられるのが一般的です(「質」にかかわる、と言えます)。何色(ナニイロ)、何部(ナニブ)、何県(ナニケン)
いっぽう「ナン」と読むことばには、「いくつ」(=how many)という意味のものが多いのです(「数」にかかわる、と言えます)。
何色(ナンショク)、何部(ナンブ)、何県(ナンケン)
ですから、たとえば「そのボールペンは何色ですか」という問いも、「ナニイロ」と読めば「赤/黒/…」という答えになるでしょうし、「ナンショク」であれば「3色/4色/…」ということになります。
同じように、「何人」については、「ナニジン」だと「どんな民族・国籍なのか」、「ナンニン」では「人数はどのくらいなのか」、を尋ねていることになります。
68.p14 3.調査
「夜警の老男がジューナのために開けてくれたドアだ。」
老男は辞書に《およしお》と出ていますがこのまま読んで特に点挿などの必要はいらないでしょうか。
【A】
老男を「およしお」と読むのは古典的な言い方で、古語辞典には載っていますが、現代語の国語辞典では中型以上の辞典にしか載っていません。辞典の用例を見てもすべて万葉集の用例ですので、現代語の中に出てきた場合何かしら工夫が必要だと思います。
オヨシオと書いて点訳挿入符で《オイタ■オトコ》とするか、初めから「ローオトコ」と書いてもいいように思います。ロージョはありますが、ローダンではわかりにくいと思います。
69.p14 3.調査
「彼は赤迷路に出入りしている。命令を無視して出入りしている。」とある場合、「出入り」の読み方は、「デイリ」でしょうか「デハイリ」でしょうか。
【A】
「出入り」(でいり)には多くの意味がありますが、「ではいり」はその中の限られた意味だけに用いられます。
ご質問の場合は、「ではいり」とも「でいり」とも読める用法ですので、どちらで読んでも間違いではありません。「でたりはいったり」している動作を強調したい場合は「ではいり」と読んでよいと思います。
でいり
① でることと はいること 「車が出入りする」
② その家を度々訪れて親しく付き合っていること、贔屓になっていること「出入りの骨董屋」
③ 数量の増減、過不足 「30人の予定だが多少の出入りはある」
④ けんか、もめ事 「やくざの出入り」
⑤ 勘定 「金の出入りを済ませて」
⑥ 訴訟
⑦ 囲碁の用語
ではいり
① でることと はいること
② 数量の過不足
70.p14 3.調査
「来し方」「免れる」を「こしかた」「きしかた」「まぬかれる」「まぬがれる」と最近はどちらかといえば後の方が使われるようですが、どちらでも統一されていればいいという解釈でいいのでしょうか。広辞苑など見ますと「とも読む」のように書かれていますが。校正者によって解釈が分かれます。点訳者はどちらにすればいいか迷います。
【A】
「免れる」は、「まぬかれる」に語義がある辞典の方が多いのですが、「まぬがれる」とする辞典も複数あります。常用漢字表では、「まぬかれる」と書いてあり、備考に《「まぬがれる」とも》とあります。文化庁の「言葉に関する問答集」によると、古くは「まぬかれる」ということです。
これらのことから、「まぬかれる」が本来の読みになると思います。
ただ、「まぬがれる」と点訳してあっても、校正の指摘対象にはならないと思います。「来し方」は雅語に分類される古い言葉で、「こ」は「来(く)」の未然形、「き」は連用形です。現代の国語辞典では違いがはっきりしませんが、古語辞典でみると《平安時代までは「こしかた」は「空間的に通り過ぎてきた方向」、「きしかた」は「時間的に過ぎてきた過去」と使い分けられていたが、平安時代末期以降は使い分けが乱れ、鎌倉時代以降は、多く「こしかた」が用いられるようになった》と書かれています。現代の国語辞典でもよく読むと、意味が二つ書いてあり、「こしかた」と「きしかた」ではその順序が逆になっています。ただ、現在では使い分けが困難ですので、どちらで読んでも校正の対象にはならないと思います。
短歌では「こしかた」の読みが多く用いられるようです。
71.p14 3.調査
司馬遼太郎「私の小説作法」というタイトルを調べると「サクホウ」「サホウ」とCiNii、国立国会図書館でも違いますが、どちらでも間違いではないと捉えていいでしょうか。
【A】
一般的な意味では、「さくほう」が作り方ですので、司馬遼太郎に限らず多くの作家が「小説作法」を書いていますが、「さくほう」ではないかと思います。
CiNiiでは「小説作法」は「さくほう」になっていますし、国立国会図書館の「読みの基準」(2021年1月版)を見ると、「作法」には「さくほう」「さほう」二つの読みがあって、例として、「さほう」は「行儀作法、礼儀作法」、「さくほう」は「文章作法」が挙げてありますし、典拠データ検索でも、「小説 さくほう」になっていますので、「しょうせつ さくほう」のほうが適しているのではないかと思います。
72.p14 3.調査
規約等で、「役員が次の各号の一に該当するに至ったとき・・・」の「一」は「イツ」と読みますが
カク■ゴーノ■イツニ
カク■ゴーノ■数1(イツ)ニ
どちらがよいでしょうか。
【A】
このような場合の「一」は、法律家は「いつ」と読みますが、官僚は「いち」と読むそうで、どちらも読み慣わされている言い方なので、どちらでもよいとのことです。
点訳の場合は、「イツ」と読めば、カク■ゴーノ■イツニとなりますし、「イチ」と読めば、カク■ゴーノ■数1ニとなります。
数字で表した方が分かりやすいと思います。
73.p14 3.調査
8分を、はっぷんと読むか、はちふんと読むのか。
いろいろと調べても絶対というのがないので、各グループ内で決定すればいいのでしょうが、指針とすべき先があるならば、教えてください。
【A】
数8フンでも数8プンでも、どちらも間違いではありません。ですから、同一タイトル内で読みが統一されていればよいと思います。
ただ、グループ内で統一なさるということでしたら、「NHKことばのハンドブック第2版」では「ふん」の方が第1の読みになっているようですので、どちらかといえば、「数8フン」のほうがよいのではないかと思います。
74.p14 3.調査
「品」の読み(シナ・ヒン)についてです。
「サンドイッチとケーキ1品」「必ず二品注文する」「角煮を一品追加」「前菜三品」
といろいろ出てきます。
参考にしている「NHKことばのハンドブック」にはでてないのですが、先日NHKの番組でゲストが料理の紹介で「イッピン、サンピン」と言ったのを、アナウンサーが「ひとしな、さんしな」と言い換えていました、点訳ではどのようにすればよいでしょうか。
【A】
国語辞典に接尾語として掲載されているのは「ヒン」だけで、「シナ」にはそのような記載はありません。
しかし、実際には「ひとしな、ふたしな、・・・」という言い方も多く使用されていますし、NHKの読み方にも、どちらかにするという規則はないようです。
数1ピン 数2ヒン 数3ピン 数4ヒン・・・
ヒトシナ フタシナ 数3シナ 数4シナ・・・
1タイトルの中で、混乱していなければどちらで読んでもよいと思います。
75.p14 3.調査
およその数の場合の「人」の読み方について質問します。
2、3人は「数符2数符3ニン」ですが、1、2人の場合は、どのように書けばいいでしょうか。「ヒトリ、フタリ」でいいでしょうか。
【A】
数1数2ニン
となります。
「ヒトリ、フタリ」ではおよその数になりませんし、「2人」は、数2ニンと読むこともあります。「二人称」数2ニンショー、「二人組」数2ニングミ、(選挙の)「2人区」数2ニンクなどなど、
この場合も、数1数2ニンと読みます。
76.p14 3.調査
語例集では、保健所内は「ホケンジョナイ」となっていますが、保健所単独の場合の点訳は「ホケンジョ」、「ホケンショ」のどちらでもいいのでしょうか。
【A】
保健所は、ホケンショ、ホケンジョどちらで読んでもよいと思います。
「所」を「ショ」と読むか「ジョ」と読むかについては、どちらか一方に決められない語が多く、NHKでは、「ことばのハンドブック第2版」で、「ショ」の発音だけ認める語(14)、「ジョ」の発音だけ認める語(7)のほかの、多くの語をどちらの発音も認めるとしています。また文化庁の「言葉に関する問答集」でも、規則によってどちらと決めることはできないとしています。
ですから、1タイトル内で統一されていれば、どちらで読んでもよいと思います。
「NHKことばのハンドブック第2版」から
「ショ」の発音だけ認める語:区役所、市役所、刑務所、拘置所、工事所、港務所、碁会所、裁判所、事務所、社務所、宗務所、商工会議所、駐在所、登記所
「ジョ」の発音だけ認める語:試験所、授産所、出張所、紹介所、洗面所、送信所、放送所
77.p14 3.調査
「女官」は、「じょかん」「にょかん」どちらの読みでもよいでしょうか。
【A】
「女官」は「にょかん」「じょかん」どちらの読みもあります。律令制の下では「にょかん」または「にょうかん」ですので、江戸時代までは「にょかん」「にょうかん」と言います。明治時代以降の制度では、「じょかん」と言われたようですので、原本の時代によって、読み分ける必要があります。
78.p14 3.調査
「期日前投票」は、語例集には「きじつぜん」とあります。マスメディア等からの音声としては「きじつまえ」が多いです。一般的にも「きじつまえ」が多いと思います。法律用語として点訳するのであれば「きじつぜん」だとは思うのですが、生活の情報として、今回市議会だよりで点訳するにあたり、「きじつ■まえ」の方がわかりやすいのではないかと思いました。
【A】
点訳では「キジツゼン■トーヒョー」とします。
「きじつまえ」と発音するのは、テレビ、ラジオなど、音声で聞く場合のわかりやすさからの対応です。「NHKことばのハンドブック」でも、《選挙管理委員会などでは「きじつぜん」と読むが、放送ではわかりやすさから「まえ」と読む》と断っています。市議会だよりでしたら「きじつぜん」と読むことをお勧めします。
なお、「出生前診断」も「しゅっしょうぜん しんだん」です。
79.p14 3.調査
万年筆の各部の名称で「首軸」の読みは「シュジク」「クビジク」どちらでしょうか。
ネットの専門的なページには「しゅじく」のルビがありましたが、「主軸」と混同するせいでしょうか一般的には「くびじく」と呼んでいる人も多いようです。
【A】
万年筆の各部の名称を解説したページでは「しゅじく」とルビが振ってありました。
「しゅじく」は読み方として自然だと思います。
「しゅじく」か「くびじく」かについては、本来の読みをするという姿勢で点訳するのがよいと思います。たとえば、専門家が専門用語として読むような読み方であればそちらを選択することもあるかもしれませんが、俗称のような読み方よりは、本来の読みをした方がよいと思います。
行政の長を意味する「首長(しゅちょう)」を俗に「くびちょう」といったりしますが、点字では「シュチョー」と書きます。
80.p14 3.調査
「生者」の読み方についていつも悩みます。
「日本では死者と生者をきれいに断ち切る」という見出しがあります。
校正をしているのですが、点訳者は「しょうじゃ」と読んでいます。
辞書には「しょうじゃ」「せいじゃ」「せいしゃ」とありますが、どのように読むのが適切なのでしょうか。
書名などで「死者と生者」の文言が含まれているものを調べますと、「せいじゃ」または「せいしゃ」になっていますが、「しょうじゃ」も辞書に載っていますから校正で指摘しない方がよいのでしょうか。
【A】
「セイシャ」「セイジャ」「ショージャ」ともに同じ意味で用いられていますので、どれも間違いではないと思いますが、「ショージャ」は仏教用語になります。
一般的な文章の中では、セイジャ、セイシャと読むのがよいと思います。
「日本では死者と生者をきれいに断ち切る」のように「死」と対比させる場合は、「セイジャ」「セイシャ」の方が、あっていると思います
81.p14 3.調査
『枕草子 : 付現代語訳 下巻 新版』という書名があります。その「付・現代語訳」をどう書けばよいでしょうか。
『マクラノ■ソーシ■■フ■ゲンダイゴヤク■■ゲカン■■シンパン』
『マクラノ■ソーシ■■ゲンダイゴヤクツキ■■ゲカン■■シンパン』
【A】
一般に書名が、「鍼灸補瀉要穴の図説明書 附 取穴論」のような場合は、書名や書誌の書き方としては、「フ」と書きます。
ただ、この本は、表紙には「付現代語訳」と書いてありますが、出版社のホームページをみると、書名としては「現代語訳付き」と書いてあるようです。
ですからこの図書は「ゲンダイゴヤクツキ」と書いてよいと思います。
82.p14 3.調査
「乞食」の読みかたに関して伺います。
原本には『乞食の少女』、『乞食娘』とあります。この『乞食』は、「こつじき」=僧侶が修行のため、人家の門前に立って、食を請い求めること。また、その僧、の意味ではなく、「こじき」=食物や金銭を人から恵んでもらって生活すること。また、その人。ものもらい。の意味になります。
「放送注意用語」/「放送自粛用語」に「こじき」が示されているようです。
点訳において、「放送注意用語」/「放送自粛用語」を考慮した読み方を優先するべきでしょうか。どう読んだらよいでしょうか。
【A】
点訳は、原文の内容に忠実に点字に置き換えるものですので、「こじき」と書いてあれば、「こじき」と点訳します。
それが、「放送注意用語」「放送自粛用語」に入っていても、現在では「差別用語」とされる語でも、そのまま点訳します。
放送自粛用語などは、発信するメディアが自主的に規制しているものですので、すでに出版されている図書を点字に置き換える作業とは根本的に異なります。
一般に読まれる読み物、古典、出版されて書店に並ぶような本であれば、そのまま点訳し、原本で断られていなければ、点訳書凡例などで断る必要はありません。
83.p14 3.調査
点訳での「分かち書き」を考える判断の一つで紙の辞書に記載されていないものは分かちにしないという考えがあるようですが、点訳では辞書になくても二字漢字の判断で分かちができるような文章を読んだことがありました。どうなのでしょうか?
今、ライトノベルの本に出てきている「治療術師」という言葉で悩んでいます。 コトバンクの中で「術師」という言葉が『精製版日本国語辞典』から情報が記載されていますが、どうなのでしょうか?
又、コトバンクなどのネットでの事典は点訳では使えないとのことも言われます。
紙の辞典での情報でなければ点訳では使えませんか?
【A】
点字の分かち書きや複合語の切れ続きは拍数と語種(和語・漢語・外来語など)や意味のまとまり(自立性)で判断します。
拍数と語種で迷わずに分かち書きを決められる語が殆どなのですが、複合語の切れ続きに迷う場合、いくつかの国語辞典に見出し語として掲載されているかどうかも参考にします。
国語辞典は紙に印刷されたものでなければならないと言うことはありません。電子辞書でもネット上の辞典でも構わないのですが、普通名詞の切れ続きの判断は、基本的に「国語辞典」になります。
ネット上には、種々の辞典があり、それが国語辞典と言えるものか、百科事典的なものか、または個人の解釈か、判断が付かない場合がありますので、注意が必要になります。
コトバンクは、「出版社などが提供する辞書・辞典・データベースを横断して検索できるウェブサイト」ですので、コトバンクに収載されている典拠が国語辞典であれば、切れ続きの判断の参考にはなると思います。また、コトバンクは更新されますので、下調べ表に書く場合は《2024年5月16日、コトバンクの『精製版日本国語大辞典』より》と書けばよいと思います。「コトバンク」だけでは、典拠が分からないので不十分です。
「術師」は紙の日本国語大辞典にも載っています。そのほかの辞典には載っていないのですが、「⇒術者」とあり、術者を見ると「専門的技術に長じた人。また、魔術、忍術、あるいは占卜の術を行なう者」とあります。「術者」は大辞林にも載っていて、同様の意味が書いてあります。
治療術師は、治療術の師ではなく、治療の術師の意味と思いますので、チリョー■ジュツシと書いて良いと思います。
84.p14 3.調査
書物としての『孟子』はWikipediaによると「モウジ」と有ります。「モウシ」は校正した方がよいでしょうか。
【A】
人名も四書としての書名も、「もうし」の読みの方が多いようですので、モーシと点訳してあったら、校正の対象にはならないと思います。
たしかにWikipediaには、先に「もうじ」が書いてありますが、次に「もうし」もあります。Wikipediaだけでなく、他の書誌情報や辞典類も見てみると、「もうし」の方が圧倒的に多いようです。ですから「モーシ」でよいと思います。
「もうじ」は古い読みのようで、日本国語大辞典には、(古くは「もうじ」とも)とあります。
85.p14 3.調査
高田屋嘉兵衛の読み方についてお聞きします。
調べましたところ、大辞林、デジタル大辞泉、日本国語大辞典は「タカダヤ カヘイ」、広辞苑、Wikipedia、嘉兵衛の生まれ故郷などでは「タカタヤ カヘイ」。書誌などを調べても、両方がかなりの数で掲載されています。どちらで点訳したらよいでしょうか。
【A】
タカタヤ■カヘエ と書くのがよいのではないかと思います。
理由は、
生まれ故郷の兵庫県洲本市の高田屋顕彰館で「たかたや」の読みを採っていることです。
名字で、清音と濁音がある場合、「東日本では濁音が多く、西日本では清音が多く」なるようです。これは、民俗学や国語学でも根拠のある説らしく、清音が古く、後に連濁をおこした読みが生じることになります。《地名、名字ともに、西日本のほうは歴史が古いため、西日本では全般的に清音を使用し、一方、関東などの東国は歴史が新しいため地名、名字ともに連濁を起こしているものが多い。これは名字にもあてはまり、「山崎」の場合、西の方に多い「やまさき」が古く、東に多い「やまざき」は連濁を起こした「新しい読み」ということになるのです。》
高田屋嘉兵衛は淡路島の生まれですから、清音の方が可能性が高いと思います。
北海道にある資料館では「たかだや」の読みになっています。
書誌は、初出の資料を基に作られますから、書誌を根拠に連濁の方が正しいとはいえません。
なお、ご質問では、「カヘイ」になっていましたが、「カヘエ」となります。
86.p14 3.調査
シナリオ『人間の条件』第5部・第6部 完結編を点訳しています。
これまでは、ほとんどDVDなど映像があるものを点訳してきました。
そこでシナリオ点訳をする時の、台詞中の語句の読み方について質問します。カッコ内に映像での読みを記しました。
例1. 日本人避難民の老人の台詞
「その先に捕虜収容所(しゅうようしょ)がありますんじゃが・・・」
例2.
①主人公の上等兵の梶の台詞
「今日、明日(あす)で俺たちの運命も決まるだろう。」
②日本人老人の台詞
「ソ連軍が面倒みてくれるというても今日、明日(あした)の間に合いませんでな・・・」
例1は、国語辞典の読み方と違います。
例2の「今日、明日」の読みですが、「今日明日」と4文字の語句では国語辞典に「きょうあす」とでています。
1.今回は「今日、明日」と間に読点があり、また会話の中ですが、①②はどちらも「きょう、あす」と読むのが国語辞典に従った読みでしょうか。
2.映像での読み方に準じた場合、点訳書凡例で断っておけばいいでしょうか。今後のシナリオ点訳にも生かせるようお聞きします。
【A】
DVDや舞台で発音されたものを聞き取って点字に代える作業ではなく、書かれたシナリオを点訳するわけですから、逐一発音の通りに点訳する必要はありません。
シナリオとして書かれた文章を点字にする姿勢で点訳することが基本だと思います。
もちろん、読みの分からない言葉や固有名詞など、一般的に点訳にも必要なところは参考になると思います。
87.p14 3.調査
人名の読み方ですが、作中の登場人物でフリガナがなく調べてもわからない場合は人名辞典で一番多い読み方を採用し、下調べにあて読みと書く処理をしています。
今回は著者の「あとがきにかえて」という形でお世話になった編集者やライターの名前がフリガナなしで書かれています。実在の人物ですのであて読みという訳にはいかない場合どうしたらいいでしょうか。
【A】
編集者やライターも実在の人物ですので、調査して書きます。
ネットで調査できる場合も多いですし、音訳の部屋にも編集者の読み方辞典もあります。
https://hiramatu-hifuka.com/onyak/kotoba-1/henshu/index.html
調査しても分からない場合は、施設・団体として出版社に問い合わせるとよいと思います。問い合わせに対して返信がないなどの場合は、断って推定読みをすることになります。
88.p14 3.調査
著作の奥付や表紙に作家名のふりがながあれば、その読みを使っていいでしょうか。そのほか参考文献に出てくる現代の著者名は何で調査すればよいでしょうか。
【A】
著作の出版社の振り仮名であれば、著作者本人も承認されたものと思いますので、参考にしてよいと思います。そのほか、
Cinii https://ci.nii.ac.jp/books/?l=ja
Webcat http://webcatplus.nii.ac.jp/
サピエの書誌なども「読み」の調査には参考になります。
また、もうご存じかもしれませんが「音訳の部屋読み方辞典」にも多くの読み方辞書が載っています。
ウィキペディアは、固有名詞の読みが正しい場合もありますが、間違っている場合もありますので注意が必要です。
どの辞典もすべて正しいというわけではありませんし、複数の読みがある場合もありますので、一つだけを引いて終わるのではなく、少なくとも2~3比較して検討するのが望ましい姿勢となります。
また、この調査で分かるのは、あくまでも「読み」です。読みを調査した上で、正しい点字表記で点訳しなければなりません。
このQ&Aの第2章「p28 4.固有名詞の仮名遣い」の上野千鶴子の質問にある「国立国会図書館読みの基準」(2021年1月版)の抜粋の部分をお読みください。
89.p14 3.調査
例文に書かれている名前の点訳について伺います。原本に財産目録や遺言書について、書き方の書式と例文が記載されています。その例文の氏名は、「山田一郎」や「吉田次郎」など一般的なものが書かれているのが多い状況です。しかし、「田中幸子」や「佐藤正太郎」の記載があります。
名前の読み方のネット検索を行い、「さちこ」か「ゆきこ」か、「せいたろう」か「まさたろう」にするか、と悩んでいます。
このような場合、どうしたらよいでしょうか、点訳書凡例は必要でしょうか。
【A】
あくまでも例文でしたら、一般的と思われる読み方でよいと思いますし、例文と理解して読むものでしたら、点訳書凡例は必要ないと思います。
任意の名前であることが分からない恐れがある場合は、点訳書凡例で「例文の中の名前の漢字は、一般的と思われる読みとした」のように断ってもよいと思います。
「田中幸子」は「たなか さちこ」、「佐藤正太郎」は「さとう しょうたろう」が最も多い読み方のようです。
90.p14 3.調査
著者名の読みについて質問します。
日頃、著者名は「Web NDL Authorities」「CiNii 著者検索」で調査しています。
原本で『飢餓海峡』の作者として「水上勉」に仮名で「みずかみ つとむ」と併記されています。
上記サイトでは「みなかみ つとむ」、別名「みずかみ つとむ」とあります。
このような場合、原本にあるのなら「別名」のまま点訳してもよいのでしょうか。それとも、調査のとおりに「みなかみ」と直すべきでしょうか。
【A】
水上勉については、原本に「みずかみつとむ」とルビがあるのでしたら、「みずかみつとむ」と読んでよいと思います。
水上勉の書誌上の読みが「みなかみ つとむ」となっていることが多いのは、「その著者の作品を最初に目録に記録するときに確定」しているからです。たとえば、国立国会図書館では1979年4月1日に「みなかみつとむ」と確定しています。
ただ、「図書」1987年2月号に、水上勉自身が「姓名のこと」(p2~3)という文章で、「東京の友人や出版社の人々にはミナカミと呼ばれている、ミズカミと呼ぶのは出生地若狭の役場と村の人々であり、人が呼ぶのだからいちいちミズカミと反論するのもひかえ、姓などといってもどちらでもいいような気がしていた」が、「ミズカミツトムでゆきたいと思う」と書いています。 本名は、「ミズカミツトム」だそうです。
現在は、たとえば「サピエ図書館」でも、著者名の欄に仮名で「みなかみ」といれても「みずかみ」と入れても、水上勉の作品が同じようにヒットしますので、著者名をどちらで読んでも差し支えはないと思います。
91.p14 3.調査
著者名等の読みの表示に違いがある場合についておたずねします。
国立国会図書館では榊原洋一を「さかきばら よういち」としていますが、Ciniibooksやアマゾンの著者紹介では「さかきはら よういち」になっています。
こういう場合、どちらを優先して考えたらいいのでしょうか。
山田風太郎は、Ciniibooksでは「やまだ ふうたろう」で、国立国会図書館では「やまだ かぜたろう(著書によりふうたろう)」になっていますが、「山田風太郎賞」という場合は、「ヤマダ■フータローショー」としてよいでしょうか。
【A】
榊原洋一の場合は、「サカキハラ■ヨーイチ」と書いてよいと思います。
サピエの書誌の元になっているTRCも「サカキハラ」になっていますし、ご本人が所長を務めているCRNのブログでも「サカキハラ」になっています。また国立国会図書館の書誌の別読みにも「サカキハラ」と書かれています。国立国会図書館は最初に登録した読みを採っていて、その後の読みは別読みの形で示されています。
サピエでは、「サカキハラ」の読みが殆どですが、「サカキハラ」「サカキバラ」どちらで検索しても同じ件数がヒットします。
山田風太郎賞の公式ホームページで、「やまだふうたろう」とありますので、ヤマダ■フータローショーと書いてよいと思います。
なお、国立国会図書館でも、別読みで「ふうたろう」も書かれています。
92.p14 3.調査
「全視情協点字情報便 第17号」(2020.3.28発行)にて、点訳ナビゲーターの変更点についてお知らせがありましたが、「菊花賞(キッカショー)、三方良し(数3ポーヨシ)、国公立」は、点訳フォーラムでも変更しますか?
特に、点訳ナビゲーターで削除となった「国公立」の点字表記について、掲示板747(2017.3.18)で納得しているので今まで通り「コクコーリツ」で統一するか、1タイトル中で統一していれば「コッコーリツ」も指摘しないことにするか、など自施設の方針を決めかねております。
【A】
「菊花賞、三方良し、国公立」は、点訳フォーラムでは変更しません。
いずれも「てびき」第1章 その6「3.調査」(p14~p15)、第2章 その1 1 4.(2)(p20)に従った読みですので、「キクカショー」「数3ボーヨシ」「コクコーリツ」の変更はありません。
「き・く・つ」については、点字では促音化しない方が意味を理解しやすいとして、これまで長く踏襲されてきたルールです。
また、「三方」もいずれの国語辞典でも「さんぼう」に語義がありますし、「三方良し」もその慣用句として掲載されています。すでに広く使われている語ですので「方言」の読みを採るのは、根拠として弱いと思います。
ルール・原則に従っている読みを、「これは特別」という形で崩していくと、しだいに全体としての判断が曖昧になってきます。これまで通りの方針で行かれることをお勧めします。
93.p14 3.調査
点訳中の本に「エルムノンヴィル」と「アルム=ノンヴィル」という地名が出てきます。両方とも同じ場所の地名で、土地に住む人はエルムノンヴィルを「アルム=ノンヴィル」と呼ぶ…ということなのですが、エルム■ノンヴィル、アルム■ノンヴィル・・・と区切って書いてよいでしょうか。調べてみましたが分かりませんでしたので、調べ方についても教えてください。
【A】
「エルムノンヴィル」をネットで見ますと、フランス語で、綴りは「Ermenonville」のようです。
仏和辞典で確認したところ、「ville」は、「村、村より小さい区域」、「on」は接尾辞らしいことがわかりました。
またWikipediaの原語版で、村の歴史、名前の由来の所を読みましたところ、村の由来はエルミンまたはイエルミノンという農場の所有者の名前であることが書いてありました。「エルミン(ゲルマン系の男の子の名前)の村(コミューン)」だそうで、区切りは「Ermenon ville」ということになります。
歴史あるコミューンで、900年代に作られたエルムノンヴィル城やエルムノンヴィル子爵がいたという記述もありますので、一続きに書いた方がよい地名だと思います。
その「エルム」の部分を地元の人は「アルム」と発音するとのことで「=」が使われているのだと思いますが、「=」があっても、第1つなぎ符は用いず、一続きでよいのではないかと思います。