第3章 分かち書き
その1 自立語と付属語
1 基本的な分かち書き
1.p51 1.自立語
語例集の、「朝食べない派」を「アサ■タベナイ■ハ」と書く理由の説明ができません。「派」は続ける成分の名詞と考えました。「食べない派」は「タベナイハ」、「食べる派」は「タベルハ」と書くと思います。その前に「朝」が付くので、区切って書くのかとも考えました。複合名詞ではないと思いますし、そこをうまく説明できません。「食べたくない派」は、どうなりますか?
【A】
「派」は1拍ですが、名詞ですので、自立性が強い場合は区切って書きます。「仲間」を表して、「新しい派を立てる」とか、「主義」を表して「朝食は絶対取る派」などという場合は、1拍でも自立した意味のまとまりとなり、独立した名詞として用いることができます。
「朝食べる人」という場合に、「人」を含む複合名詞として、ヒトが2拍なので続ける成分だと考えるのではなく、文節分かち書きに従って「アサ■タベル■ヒト」とマスあけします。これと同様に、「朝食べる派」「食べたくない派」などは、「派」を修飾する連体修飾語の部分を文節分かち書きの考え方によって、「アサ■タベル■ハ」「タベタク■ナイ■ハ」のように区切って書きます。
ただ、「感覚派」「改革派」「慎重派」「印象派」など、前の語に接尾語的に付いている場合は、前の語と一続きに書くことになります。
2.p51 1.自立語
辞書で接尾辞とされている、「側」についてです。
フォーラムの中の点字表記の語例では、「ウチガワ」や「コチラガワ」「ハンタイガワ」のように前の語に続けるものと、「ヒノ■アタル■ガワ」や「ミル■ガワ」のように前で区切られたものがあります。「同じ側」は、どちらなのでしょうか?
また、この「側」のように接尾語として前に続ける場合と、独立した語と区切る場合もある語には他にどのようなものがあるでしょうか?
【A】
「側」は2拍の和語で、独立した名詞ですが、名詞のうしろについて接尾語的に用いられる場合があります。
「こちら側、使用者側、反対側」は名詞のうしろについて接尾語的に用いられていますので、続けて書きますが、「見る側」は、動詞のうしろにあって、独立した名詞として使用されていますので、前をあけます。
「同じ側」の「同じ」は形容動詞ですので、この場合も自立した名詞となります。オナジ■ガワとなります。
接尾語的に名詞の後ろに付く場合と、単独の名詞としても用いられる場合がある語は、数多くあります。
「派」 「印象派」「鷹派」「食べる■派」「かっちり■巻く■派」
「風」 「ロシア風」「中華風」「聞いた■風」「知らない■風」「こう■いう■風」
「度」 「幾たび」「三度(みたび)」、「見る■度」「動く■度」
「感」 「ボリューム感」「遅きに■失した■感」
「面」 「社会面」「ある■面」
「会」 「同窓会」「委員会」「~を■守る■会」「行動■する■会」
等々、「接尾語」とは厳密に言えば異なるかも知れませんが、名詞の後ろに付く場合と、単独の名詞として働く場合では、このように切れ続きが異なってきます。
「反対側」は続けて書きますが、「反対の側」のように助詞を入れたり、「反対■する■側」のように動詞にすると名詞用法になります。
3.p51 1.自立語
「同じ側」は、「同じ」が形容動詞なので区切り、「反対側」は続けるとのことですが、「反対」も大辞泉では形容動詞とされています。それなのに「反対側」を続けるのはどうしてでしょうか。
【A】
「形容動詞」は、紛らわしい品詞で、名詞の中にも、その下に「だ・な」を付けて形容動詞的に用いられる語が多くあります。辞書によっては、それらを「ダナ名詞」というように分類しているものもあります。
「反対」も「反対だ」と用いれば形容動詞的な働きになりますが、「反対意見」「反対方向」「反対語」などと用いられる場合は、名詞として複合名詞を作る働きをしています。大辞泉でも「反対」を引くと、品詞は【名・形動】と書かれています。「反対側」の「反対」は形容動詞の働きではなく名詞で、その下に、接尾語的な「側」がついているということになります。
それに対して、「同じ」は、品詞欄は【形動】だけで、「副詞」としての働きもありますが、名詞として複合名詞を作ることはありません。
「元気」「便利」「当然」なども、【名・形動】という扱いになっています。
4.p51 1.自立語
点訳フォーラムの語例に「気にしい」がありますが、「キニ■シイ」と「キニシイナ■ヒト」の違いがわかりません。どのようなときに「キニ■シイ」と切るのでしょうか。次の①~③の場合はどうでしょうか。「いらんことしい」「いらんことしいな人」の分かち書きも教えてください。
①A型の人はなにかと気にしいらしいで。
②あんたほんまに気にしいやなぁ。
③あの子気にしいやけどよう気ぃつくええ子やで。
【A】
「気にしい」の「しい」は「する」の活用形がもとになった語ですので、「気に■する」と同様に「気に■しい」と区切ります。
「気に■入る」がもとになっていても、「気に入り」は一語として熟した名詞になっていますので一続きにしますが、「気に■しい」は、使う地域が限られることもあり、一般に一語として熟しているとまでは言えないことから分節分かち書きに従うのがよいと判断しました。
ですから「気に■しい」に付属語が続いただけの場合の多くは区切って書きます。
①A型の人はなにかと気に■しいらしいで。
②あんたほんまに気に■しいやなぁ。
③あの子気に■しいやけどよう気ぃつくええ子やで。
けれども、「気にしいさん」や「気にしいな人」「気にしいな性格」などになると、助詞を含んだ短い語としての働きをしていると考えた方が自然で、読みやすいと思われますので、一続きに書いた方がよいと思います。
「いらん■こと■しい」も文節分かち書きに従って区切って書きます。そして、「いらんことしいな人」は、短い語でもなく、区切って書いて意味が伝わりにくいわけでもありませんので、「いらん■こと■しいな■人」と書きます。
5.p51 1.自立語
語例の中の「いい加減」について質問です。続いている3例と切れている2例の違いは「ちょうど」がついているかどうかということでしょうか。
「ちょうどいい加減な温度」、「ちょうどいい加減の味付け」の「ちょうど」がない「いい加減な温度」や「いい加減の味付け」ならば続けるのでしょうか。温度はともかく味付けは適当な味付けか本当においしい味付けかと意味も変わる気もしますが、意味まで考えていると混乱します。
【A】
「いい加減」は、「ほどほどに」「でたらめ」「かなり」などの意味の形容動詞や副詞の場合は、一続きに書きます
「イイカゲン■アタマニ■キタ」(かなり)、「イイカゲンナ■ヒト」(でたらめ)、「イイカゲンニ■シロ」(ほどほどに)
それに対して、「いい」が「よい」と言い換えられるような場合は区切って書きます。「チョード■イイ■カゲンナ■オンド」「チョード■イイ■カゲンノ■アジツケ」
語例集では、短い文でその違いを表すのに、「ちょうど」を付ければわかりやすいのでこのようになりました。
6.p51 1.自立語 2.付属語
「ならず」「ならぬ」がよくわかりません。
「強いアートとは、ぶっとんだものでなければならず」は、「なければ■ならず」でいいでしょうか。語例集に「忠ならんと■欲すれば■孝ならず」とありますが、「ならず、ならぬ」がわかりません。
【A】
「ならず」には二つあります。
一つは、「~なり」(「~である」)という助動詞の否定形。
もう一つは、「なる」(「成る」)という動詞の否定形。 これは「ならない」と言い換えることができます。
「忠ならんと欲すれば孝ならず」は、「忠であろうとすれば孝であることができない」と言うことですから、助動詞の「なり」で続けて書きますが、
「~でなければならず」の方は、「~でなければならない」と言い直すことができますから「なければ■ならず」となります。
フォーラムの語例集では、「我慢■ならず」があります。これは、「我慢■ならない」と言い換えることができますので、「~でなければならず」と同じです。
7.p51 1.自立語 2.付属語
語例検索で、「ならぬ」を見ると「勘弁ならぬ」だけがならぬの前をマスあけしています。これはどのような理由でしょうか。
【A】
「ならぬ」には、
1.動詞「なる」の未然形+助動詞「ぬ」(ない・ず)
「ならない」と同じ。「いけません」「できない」の意味
2.助動詞「なり」の未然形+助動詞「ぬ」(ない・ず)
~でない ~にはない
の二つの形があります。
「神ならぬ身、定かならぬ世、常ならぬ人の命」などは、「神ではない」「定かでない」「常ではない」と言い換えることができますので、助動詞となり、前の語に続けて書きます。
「勘弁ならぬ」は、「勘弁できない」という意味ですし、「勘弁なり」とは言えませんので、区切って書きます。「我慢ならぬ」「容赦ならぬ」のように用います。
8.p51 1.自立語 2.付属語
次の文の中の「そうだ」について質問です。
女性たちがよくどんな目にあっているかを考えればなおさらそうだ。台所とリビングをあわただしく行き来して・・・
「そうだ」を助動詞と考えて前の語と続けて「ナオサラソーダ。」と、「そうだ」を副詞「そう」と考えて、「ナオサラ■ソーダ。」2つの意見が出ています。
私は、「そう」を副詞と考え「ナオサラ■ソーダ。」でいいのではないかと考えますがいかがでしょうか?
【A】
ナオサラ■ソーダ
となります。
「なおさら」は副詞ですので、独立して働きます。「なおさらだ」のような助動詞は付きますが、うしろに、伝聞や推定の助動詞は付かないと思います。
辞書によると、助動詞の「そうだ」は、動詞、形容詞、形容動詞やほとんどの助動詞に付きますが、副詞に付くという働きはありません。
9.p51 1.自立語 2.付属語
「なんだ」について質問します。
(1) それに服は、すぐ小さくなるから、それなりに追加しないと。うーん4、5000円くらいかな、まあ、毎月じゃないけど、靴だなんだとね。
(2) それから塾なんだけど、周りが皆行っているから、
(1) 靴だなんだとね。(2) 塾なんだけど、
は、どちらも一続きでしょうか。微妙に違うような気がします。
【A】
(2)の「塾なんだけど」の「なんだ」は「なのだ」のくだけた言い方で、「な」(助動詞「だ」の連体形)+助詞「の」+助動詞「だ」ですから、続けて書きます。
(1)の「靴だなんだ」は「靴だなのだ」と言い換えることはできません。「靴だ」と「何だ」(なにだ)を並べた言い方ですので、クツダ■ナンダとなります。
10.p51 2.付属語
「みたい」の使い方がわかりません。語例集も見ましたが、マスあけする場合と、続ける場合が、はっきりと分からないのです。考え方を教えてください。
【A】
「みたい」は、大きく二つに分けることが出来ます。
一つは、「見たようだ」から転成してできた助動詞「みたいだ」です。助動詞なので活用します。「みたいに、みたいで、みたいだ、みたいな、みたいなら」などの形で用いられます。助動詞ですから前の語に付けます。「~のようだ、~のようで」のように言い換えることができます。「フォーラム」の語例集にある以下の語は、助動詞「みたいだ」ですので前の語に続いています。
狐みたいな顔 キツネミタイナ■カオ (きつねのような顔)
嘘みたいな話 ウソミタイナ■ハナシ (嘘のような話)
夏みたいだ ナツミタイダ
夢みたいな事ばかり ユメミタイナ■コトバカリ
そうみたい ソーミタイ 「そのようだ」の意
雨が降っているみたい アメガ■フッテ■イルミタイ
帰ったみたいだ カエッタミタイダ
また、助動詞ですから、外字符を用いたアルファベットの後、外国語引用符の後ろは、区切って書きます。
SFみたいだ 外大大SF■ミタイダ
SFみたいな話 外大大SF■ミタイナ■ハナシ
もう一つは、動詞「見る」に、希望や願望を表す助動詞「たい」が付いた形です。動詞は自立語ですから、「見」の前はマスあけします。ほとんどの場合「~て■みたい」の形で用います。
行ってみたい;言ってみたい イッテ■ミタイ
してみたい シテ■ミタイ
振り返って見たい フリカエッテ■ミタイ
ただ、「きつね見たい」のように、「きつねを見たい」の「を」が省かれている場合もありますので、「~のようだ」が当てはまるのかどうかで、マスあけを判断しなければならない場合もあります。
11.p51 2.付属語
幼稚園に入学した写真やなんかを印刷した年賀状。
セキュリティの見直しやなんかで・・・。
この場合の「なんか」はどの様に考えればよいのでしょうか。写真なんか・見直しなんかでしたら前の言葉に続きますが、「何か」だとしたら切ると思います。
考え方や文法的なことを教えてください。
【A】
1.写真なんか撮らない、見直しなんかしない
⇒ この場合は、助詞「など」が変化した形
2.写真やなんか印刷した 見直しやなんか
⇒ この場合は、「代名詞(何)+助詞(か)」の「何か」(なにか)の音便形ですから自立語になります。
ご質問の二つの例は、いずれも2.に当てはまりますので、「写真や■なんかを」
「見直しや■なんかで」と区切って書きます。
なお、1.かどうかを判断するには「なんか」を「など」に言い換えてみると
分かりやすいと思います。
12.p51 2.付属語
「戯れならむ父母の」「これは人魚の恋ならむ」の「ならむ」はどうなりますか。
【A】
タワムレナラン■チチ■ハハノ
コレワ■ニンギョノ■コイナラン
古文の助動詞「なり」の未然形「なら」に助動詞の「む」がついて「(~なの)だろう」のような意味になります。
13.p51 2.付属語
「~でもって」のマスあけがよく分かりません。
「でいて」と言い換えれる場合は続け、「によって」と言い換えれる場合は切るでよいのでしょうか。
【A】
「以て」は、もともと「持つ」の意味があり、その意味が薄れて助詞的に用いられるようになったものです。本来の「持つ」の意味が残っていると思われる場合は、前を区切って書きますが、助詞的に用いられていると思われる場合は続けて書くことにしています。
「でもって」や「にもって」は、接続詞的、接続助詞的に用いられていて、「で(もって)」「に(もって)」と、「で」「に」だけで意味が通じることが多いので続けて書きます。
「をもって」は、「もって」を省略して「を」だけになると意味が通じません。助詞的ではなく本来の「持って」の意味が残っていますので、「を■もって」と区切って書くことにしています。
点訳フォーラムにある語例の
「真剣さで以て取り組んだ」は「真剣さを持って取り組んだ」と取れるので、区切って書く例として挙げています。
「それでもって遅れた」「利口でもって素直だ」は、接続助詞的な用法ですので続けて書くことにしています。
14.p53 2.付属語 【処理】
アルファベットで書かれた外国語に「な」や「だ」などが続く場合は、助詞 ・助動詞と同様区切って書くとあります。 これは形容動詞の場合のみですか。「らしい」には形容詞の一部(接尾語)の「らしい」もありますが、「らしい」は助動詞と接尾語で読み分けて表記しますか?
例:彼はM大のOBらしい。
彼は母校のOBらしい振る舞いをする。
【A】
この【処理】は、アルファベットの後ろに「な」「だ」等が続いて、形容動詞と考えられる場合に限定した処理です。外字符や外国語引用符を用いた語の後ろに助動詞の「らしい」が続く場合は「らしい」の前を一マスあけますが、「らしい」が接尾語(形容詞の一部)と考えられる場合は、「てびき」p45の 2.「一続きに書き表すべき1語中のアルファベットと仮名の間は、第1つなぎ符をはさんで続けて書く」のルールに従うことになります。 ですから
外大M=ダイノ■外大大OB■ラシイ
外大大OB=ラシイ■フルマイヲ■スル
となります。
2 注意すべき分かち書き
1.p53 1.形式名詞
朝日新聞4月5日付(18面)加藤登紀子の「ひらり一言」に、「・・・気持ちに力が入らないものよ。」と書いてあります。この「ものよ」は、マスあけにしていいですか? 点訳フォーラムには「よく■遊んだ■ものよ」とありますので、教えて下さい。
また、「やはり子どもの吸収力は大したもの。」の「もの」は、マスあけですか、それとも、一続きですか。点訳フォーラムの語例集に「ああ■した■もの」はマスあけしてあり、「強い子でしたもの」は一続きです。終助詞かどうかの判断を教えてください。
【A】
「・・・気持ちに力が入らないものよ。」は、マスあけしてよいと思います。
「もの」は形式名詞か、終助詞かを判断することがポイントになります。
理由や根拠を述べて「だって~もの」「でも~もの」のように用いられる場合や、理由を表す「~から」と言い換えられる場合は終助詞と判断できます。
だって、買いたいんだもの
でも、とても重いんだもの
そんなこと言うなんて思わないもんな
のような場合です。
ご質問の文は「人は手に何かつかんでいないと、気持ちに力が入らないものよ」というものですので、上に挙げた終助詞の使いかたとは異なります。
「人は~ものだ」という文で用いられていて、「気持ちに力が入らない」が「もの」の連体修飾語となりますので、形式名詞と判断してマスあけして書きます。
「やはり子どもの吸収力は大したもの。」の方は、「やはり■子どもの■吸収力は■大した■もの。」と区切って書きます。
「もの」は形式名詞になります。
この「もの」が無いと文がなりたちません。
「やはり■子どもの■吸収力は■大した」では、おかしいですね。
助詞の場合は、その「もの」がなくても意味は通じます。または、「から」「わ」などほかの助詞に変えることもできます。
「強い子でしたもの」の場合は「強い子でした」でも「つよい子でしたから」でも意味が通じます。このようなときは助詞になります。
「『点訳のてびき第3版』指導者ハンドブック 3章編」のp6~p7の「コラム」も参考にしてください。
2.p53 1.形式名詞 【備考】
「こと」について質問します。
「そのはやいこと」「気分のいいこと」
この語尾の「こと」は終助詞でしょうか。
【A】
終助詞の「こと」は、女性語として、活用語の終止形・連体形に付いて、やわらかに感動を表したり、疑問・質問したりするときに使います。
多くは文末にあり、「ことよ」「ことね」の形で用いられることもあります。
まあきれいな花だこと
それでいいこと
きれいだこと
見てもいいこと?
まあ立派だことね
ご質問の「そのはやいこと」「気分のいいこと」は、上の条件にはあっていないと思います。
形式名詞は「てびき」p54「コラム12」にあるように、前に連体修飾語を伴います。前後の文脈は分かりませんが、「そのはやいこと」「気分のいいこと」も
「その(はやい→こと)」「気分のいい → こと」と連体修飾語を伴っていますので、形式名詞となります。
形式名詞の中で、「形容詞連体形などを受け副詞的に使ってそれが表す状態・情況・物事が述語の指す動作などのしかたに関係する意を表す」用い方だと思います。
長いこと話す
うまいことやった
外国では知らぬこと我が国では~
などと同じ用い方です。
そのはやいこと(驚くばかりだ)
気分のいいこと(このうえない)
のような文脈が考えられます。
判断が難しい場合もありますが、終助詞の場合は、文末に用いられる女性語であること、形式名詞の場合は、前に「こと」を修飾する連体修飾語があることで判断すればよいと思います。
なお、終助詞には語尾に付ける「~わ」「~よ」「~ね」などがありますので、これらの語に置き換えても文として不自然でないかどうかを考えると分かりやすい場合もあります。
まあきれいな花だこと ⇒ まあきれいな花だわ
見てもいいこと? ⇒ みてもいいね?
まあ立派だこと ⇒ まあ立派だわね
のように、「こと」が終助詞の場合は、他の終助詞に置き換えることができます。
「その早いこと」、「気分のいいこと」は、「こと」の部分に「よ」「ね」など他の終助詞を入れると、自然な文が成立しません。
判断に困った場合には、このようなことも試してみてください。
3.p53 1.形式名詞
原文に「何時頃」とあるのを、点訳者は「ナンジゴロ」と読み、ナビでは「2014年頃」「6時頃」を「2014ネンコロ 2014ネン■コロも可」「6ジコロ 6ジ■コロも可」とあるから「コロ」の読みではないかと校正で指摘されました。相談され私なりにいろいろと調べましたが、はっきり答えきれずにいます。「てびき第3版 Q&A第2集」Q32では「2008ネンゴロ 2008ネンコロ 2008ネン■コロ」いずれも可とあります。この相違は、年々のことばの変化を取り入れてのことなのでしょうか?
【A】
漢字の「頃」は、日時の後に付けば連濁することが多いですし、点訳する場合は、「ごろ」と読んで前に続けて書けばよいのですが、原文で「6時ころ」と仮名で書いてある場合の切れ続きについて、議論になりました。
「Q&A第2集」Q32にあるように、編集当時には、全体として意見の一致には至りませんでした。
ただ、点訳フォーラムとしては、名詞に続く「頃」は「ころ」と読んでも「ごろ」と読んでも接尾語的な働きをしていると考えていますので、続けて書く方をお勧めします。語例集の「注記」ではなく「点字表記」の方の書き方がよいと思います。
なお、点訳フォーラムの語例集の「読み」は、このように読んだ場合、このような点字表記になりますと言うことを示しています。
「漢字仮名交じり表記」の欄は、「読み」を漢字仮名交じりにすればこうなりますということを示しているので、「漢字仮名交じり表記」の漢字は、こう読まなければならないと言うことを示しているのではありません。
つまり「頃」と書いてあったら「ころ」と読まなければならないという訳ではありません。
最初に書きましたように、原文で「頃」とあったら、「ごろ」と読んでよいのです。紛らわしいのですが、ご注意ください。
4.p53 1.形式名詞
「限り」について教えてください。語例では、「今日限り」、「根限り」は続いて、「声限り」は切れています。拍数で考えるなら声限りも続いていいのではと思いますが、辞書の見出し語に今日限り、根限りはあるが、声限りはないからということでしょうか。ならば、「精限り、根限り」というときには「セイ■カギリ、コンカギリ」となるのでしょうか。精根尽くしてという意味で「精限り」「根限り」は同じ成り立ちの語だと思うのですが。
【A】
「限り」は「力の■限り」「できる■限り」のように単独の名詞としても用いられますし、「今日限り」「今月■限り」のように他の語について複合名詞を構成することもあります。「今日限り」のように期限や刻限を表す言い方はなじみ深い複合名詞として、相手の語が3拍以上や2字漢語であれば区切り、和語の2拍など複合名詞中で続ける性質の語であれば続けることになります。
「根限り」「精限り」「声■限り」などの「限り」は、「今日限り」と異なり前の語を受けて、その限界を意味しますので、単独の名詞としての性格も強くなります。ただ「根」や「精」は切り離すと意味が分かりにくく「根の限り」「精の限り」のような言い方はしませんが、「声」は単独でも意味の分かりやすい語で、「声を限りに」「声の限り」のように助詞を入れる表現も自然ですので、区切って書くのがよいと思います。
5.p54 1.形式名詞 【備考】
《次のような語は形式名詞ではなく、助詞や接尾語なので・・・・・》と記載されてありますが、【備考】の下線部分を辞書・文法書を見てもそれらしきものが載っておらず全く理解出来ません。できれば一つずつもう少し詳しく教えて頂けると助かります。
【A】
ここに示されている語は、辞典を引くと、その主な語義・用法は、名詞(形式名詞)ですが、中には助詞や接尾語的な用法もありますので、文の中での使われ方に注意が必要ですという語です。
「岩波国語辞典」「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」のいずれかをご覧ください。
たとえば、「当たり」をひくと
「岩波」では、二に《接尾語的に》・・・に対して 「一日当たり千円」「一アール当たりの収量」
「三省堂」では、二(造語)①・・・を単位とすること。「一日当たり一万円の日当」
「新明解」では、二(造語)①それを基準単位をすることを表す「一日一万円を支給する」
とあります。(造語)は、三省堂・新明解に独特の品詞の表し方で、接頭語・接尾語に近い語について定義しています。
このように、基本的な上記3辞典のいずれかを引くと、ここに掲載されている語は「接尾語」「接尾語的」「造語成分」に分類されています。
もっと大きな中型の辞典のうち、よく使われている「広辞苑」は、語数や語例が非常に多いので、助詞の用法が見つけにくかったり、品詞が書かれていないことも多く、このようなことを調べるには適していません。辞典の特徴については、「点訳フォーラム」の7月1日のブログも参考になさってください。
6.p55 2.補助動詞
語例集で、「君死に給う事勿れ、眠り給う」について「シニタマウ、ネムリタマウ」と続けています。
「給う」は敬う意味の補助動詞と思いますが、なぜ前を切らずに続けているのですか?
「てびき」p55、p219(古文)共に「補助動詞の前は切る」とありますが、どのように考えたらよいのでしょうか。
【A】
「給う」は、上代から使われている尊敬・謙譲を表す敬語で、動詞としても補助動詞としても使用されていますが、現代語では、動詞は「賜う・賜る」がもっぱら使われ、「給う」は補助動詞として、命令の形で「早くしたまえ」「帰りたまえ」などと使われるにとどまっています。
しかし、文語的な表現や古文の引用などで点訳する場合も多く、迷いやすい言葉です。
補助動詞として使われる場合は、「コラム13」にあるように前が「~て(で)」の場合は区切って書きますが、動詞の連用形に続く場合は複合動詞となり、続けて書きます。「死に給う」「眠り給う」「謝り給え」など、連用形接続ですので続けて書きます。
冒頭に書きましたように現代語では、「たまう」は「いただく・ください・いたします」などのように丁寧な言い方としては用いられていませんので、「コラム13」の③には入りません。
ただし、古文の教科書・学習書では、古文での敬語表現の学習・理解のために、「区切って書くことができる」としています。これはあくまでも生徒の学習のための方法ですので、一般書では、p222の【備考2】は用いないことをお勧めしています。
このことは「てびき」p97[参考]もご覧ください。
なお、p219の用例をご覧いただくと、すべて前に助詞・助動詞があるか、前が形容詞ですので、自立語である補助動詞は区切って書くことになります。
「いふべきにも■あらず」「書きて■候ふが」「ことに■侍らん」「清げに■おはする」「賢く■おはすれば」「深くも■なかりしか」「何とには■なけれども」となっています。
7.p57 3.「なさる・なさい」 【処理】
(1) 実家へ行った時、兄嫁が言った言葉
「市兵衛さん、おいでなさい」
(2) 城勤めの夫が帰った時の妻の言葉
「お戻りなされませ」
以上は挨拶言葉として、続けますか。
【A】
これらも広い意味では挨拶言葉かもしれませんが、「てびき」p57【処理】の挨拶言葉は、現代の「お休みなさい」「お帰りなさい」「ごめんなさい」に限られています。
それ以外は、3.の本則、【備考1】【備考2】に準じて書きます。
「おいでなさい」も「お戻りなされませ」も【備考2】に当てはまりますので「オイデ■ナサイ」「オモドリ■ナサレマセ」となります。
8.p57 4.「ない」
点訳ナビゲーターに収載の、「なし」を含む言葉についてお尋ねします。
コンジョーナシ(あいつは根性無しだ)
フチナシ(縁無し眼鏡)
オカマイ■ナシ(一同お構い無し)
テキ■ナシ(敵無し)
「縁無し」は辞書にありますが、「敵無し」はありません。その違いでしょうか。しかし、「お構い無し」は辞書にあります(大辞林)が、区切っています。逆に「根性無し」は辞書にはありませんが、続けています。どのように考えればよいでしょうか。
【A】
4.【備考】の[参考]にありますように、7~8万語程度所収の小型の辞典に掲載されているかどうかを目安とします。「大辞林」や「広辞苑」のように中型以上の辞典は、掲載語が多いため、連語や慣用的な句も多く載っているので、切れ続きの判断には適さないと言えます。
ただ、「根性無し」は小型の辞典には載っていません。判断の難しいところですが、「あいつは根性無しだ」のように、「~無しな人(奴)」の意味合いを含み、非難する・ののしる意味合いが強い時には一続きに書いた方が自然だと考えられます。「甲斐性無し」も「(あなたは)甲斐性無し!」のように非難するときには一続きに書いた方がよいと思います。
これも、「根性(は)無し」「甲斐性(は)無し」の時には、区切って書きます。
「あいつに逆らうだけの根性■無し」「家族を養うだけの甲斐性■無し」
9.p57 4.「ない」
「差し支えない」について
点訳フォーラムの語例集で、備考欄に《動詞「差し支える」の否定形と判断すれば続けて書くことも可》とありました。
否定形と判断するというときは、どのような時でしょうか。
どのような場合に当てはまりますか。
【A】
動詞「差し支える」は「~に差し支える」という表現で使われます。
テレビは勉強に差し支えない。
連休の交通渋滞は輸送に差し支えない。
夜更かしは仕事に差し支えない。
のような文があった場合、
テレビは勉強に差し支える。
連休の交通渋滞は輸送に差し支える。
夜更かしは仕事に差し支える。
の否定形と判断すれば、続けて書くことも可となります。ただ、このような場合も
「サシツカエ■ナイ」と書くことができます。
動詞「差し支える」の否定形は「差し支えない」です。
夜更かしが仕事に差し支えるか差し支えないかは、仕事の内容と体調による。
のような場合は、「サシツカエナイ」と書いた方が自然でしょう。
10.p57 4.「ない」
思考は途切れなく続いている。
この「途切れなく」は、「も」を入れて「途切れもなく」で不自然になりません。
「なく」を助動詞「ず」に置き換えて「途切れず」でも不自然にならないように思います。
最初は「途切れ■なく」と迷いもしませんでしたが、動詞の否定形とも考えると怪しくなってきました。同様に考えられる他の言葉もあるでしょうか。
【A】
「途切れ」という名詞も、「途切れる」という動詞もありますから、文脈によってどちらの場合もあると思います。
「差し支えない」も「差し支え」(名詞)+「ない」(形容詞)の場合も、動詞「差し支える」の否定形の「差し支えない」の場合もあります。
「てびき」の立場では、「サシツカエ■ナイ」を主と考え、動詞の否定形でなければ文としてなり立たないような場合に続けて書くことをお勧めしています。
「差し支えない」については、このQ&Aの項をお読みください。
「途切れない」も「差し支えない」と同様に、「トギレ■ナイ」を主と考えて、
雷鳴が途切れるか、途切れないかの間に大雨が降り出した
のような場合には続けて書くとしたほうがよいのではないでしょうか。
11.p57 4.「ない」
「申し訳なさ」「気持ちよさ」のマスあけについて教えてください。
ますます申し訳なさが募ってしまい・・・
父親に背負われたことがある。その気持ちよさと言ったら、なかった。
というふうに書かれています。
切ればよいのか、続くのか分かりません。
【A】
「モーシワケ■ナサ、キモチ■ヨサ」となります。
「なさ」「よさ」は、「ない」「よい」の名詞形ですので、
もともと複合形容詞として続けて書く語が名詞に変化した場合は、続けて書きますが、そうでない場合は、「なさ」「よさ」を原則として区切って書きます。
覚束ない オボツカナイ ⇒ オボツカナサ
さり気ない サリゲナイ ⇒ サリゲナサ
頼りない タヨリナイ ⇒ タヨリナサ
いたたまれない イタタマレナイ ⇒ イタタマレナサ
申し訳ない モーシワケ■ナイ ⇒ モーシワケ■ナサ
意気地無い イクジ■ナイ ⇒ イクジ■ナサ
心地よい ココチヨイ ⇒ ココチヨサ
ほどよい ホドヨイ ⇒ ホドヨサ
小気味よい コキミ■ヨイ ⇒ コキミ■ヨサ
形よい カタチ■ヨイ ⇒ カタチ■ヨサ
「よい」が続く場合は「いい」の発音になることが多いので、「よさ」で続く例はあまり見当たりません。
上記の例は、「よさ」以外は、点訳フォーラムの「点字表記の語例」に掲載されていますので、参考にしてください。
12.p58 4.「ない」 【備考】
「発足間もなく」という場合、「ホッソク■マモ■ナク」でしょうか。それとも「ホッソク■マモナク」でしょうか。
【A】
「発足間もなく」という表現が、なめらかな日本語とは言えない感じがしますし、前後の文脈が分かりませんので、断定はできませんが、
発足■間も■なく■解散■した。
発足■間も■なく■起こった■出来事
発足後、■間もなく■解散■した。
発足■して■間もなく■解散■した。
発足■間もなくの■頃だった。
のようになると思います。
「間もなく」「間もない」は切れ続きの判断に迷うことが多い言葉です。
基本的には、「間もない」「間もなく」の「も」を格助詞の「が」に置き換えられる場合は、「マモ■ナク」「マモ■ナイ」と区切って書きます。
休む■間も■なく■働いた
また、「まもなく」が1語として「やがて」「すぐに」「ほどなく」の意で副詞的に使用されている場合は、一続きに書きます。判断の目安としては、「まもなく」を「やがて」「すぐに」「ほどなく」などの語に置き換えて文脈が通じるかどうかです。
間もなく■春が■来る
間もなく■電車が■来ます
のような場合です。
以上のことから考えると、
「発足後間もなく」「発足して間もなく」の形であれば、「間もなく」を「やがて」「すぐに」等の語に置き換えられますので副詞として続けて書きますが、「発足間もなく解散した」「発足間もなく起こったできごと」という場合は、1語の副詞と断定しにくい使われ方ですので、文節分かち書きの原則に従って「間も■なく」と区切って書くのがよいと思います。
ただし「発足まもなくの頃」のように後ろを助詞で受ける場合は続けて書きます。
13.p58 4.「ない」 【備考】
「途轍もない」の分かち書きについて教えて下さい。
点訳フォーラムの語例集では「トテツモ■ナイ」となってます。
「てびき」p58【備考】の[参考]では「ない・なく・なし」などが、前の語と複合して1語になっている場合は続けて書く(この場合の1語とは7~8万語記載の普通の辞書に「見出し語として掲載されているかどうかで判断する)とあります。「三省堂国語辞典第7版」では「途轍もない」(形容詞)とあります。だとすると、この場合は続くのではないでしょうか?通常「途轍がない」とは言わず「途轍もな・い」と慣用句として使われているように思いますが、いつもこの辺りで迷います。
【A】
「とてつもない」は確かに「三省堂国語辞典」では、形容詞とされていますが、「岩波国語辞典」では、形容詞ではなく「成句」という判断になっていますし、「新明解国語辞典」でも形容詞とは扱われていません。「基本的な国語辞典の多くに見出し語として掲載されている」とまでは言えないと思います。
また、「とてつもない」は「とてつ」と「ない」の間に助詞の「も」が入っていますので、文節分かち書きの原則に従うと、区切って書くことになります。
このようなことから、「点訳フォーラム」では、区切って書くとしています。
同じような語として「はてしない」があります。「はてしない」は形容詞と判断する辞典もありますが、「し」が強意の助詞ですので、文節分かち書きの原則に従って点訳フォーラムでは「ハテシ■ナイ」と区切って書くこととしています。
ただし、助詞が間に入っても、「見たくもない」が変化した「みっともない」、「途でもない」が変化した「とんでもない」などは、区切ると不自然になるので、一続きに書くことにしています。
14.p58 4.「ない」 【備考】
「無し」の切れ続きについて、
「シロップ無しモヒートを注文する」
「1泊食事無しプランを予約する」
は、「シロップナシ■モヒート」「ショクジナシ■プラン」でよいでしょうか。
【A】
「シロップナシ■モヒート」
「ショクジナシ■プラン」
と書いてよいと思います。
「なし」は、文語の形容詞から転じて、現代でも使われている言葉で、「てびき」の例にある「形なし、底なし、意気地なし、碌でなし」などのように一語になっている場合以外は基本的に前を区切って書きます。
「点訳フォーラム」の語例集にも「なし」の例が数多くありますが、この中で続く例は、多くの国語辞典で見出し語として掲載されている語です。
ただし、「足なしとかげ」「耳なし芳一」「アポなし訪問」「酒なしデー」「情なし■宿六」「父なし子」「底なし沼」などのように、動物名、人物名、固有名詞や複合語などの一部になっている場合は、区切って書いては不自然なので一続きに書いています。今回ご質問の語は、これに当てはまりますので、一続きに書きます。
なお、
このモヒートはシロップなしだ。
宿泊プランで食事なしを選ぶ。
のようになれば、一語とは言えないので、「シロップ■ナシダ」「ショクジ■ナシヲ」のように区切って書きます。
15.p59 5.なくなる (2)
ユーチューブに投稿されている料理動画を見て、その料理を再現しようとしている親子が、最初はそのレシピ通りにやっているのですが、二人で夢中で料理をするうちに「ユーチューバーのレシピなどもう関係なくなって、自分たちのやり方を追求し始めている私たちがいた」という文があります。
「関係がなくなる」と「が」を補って考えると、「なくなる」を続けることになりますが、どうしても「関係ない」という形容詞に「なる」が付いているように思えて「関係■なく■なって」としたくなるのです。
「仕方が■なく■なって」「どう■しようも■なく■なる」と同じ扱いにしたいのですが、やはり「が」を補って考えられるので「心配なくなる」と同様の扱いになるのでしょうか。
【A】
基本的な考え方としては「カンケイ■ナクナッテ」となります。
一語の「なくなる」は、消失を表す複合動詞ですが、辞書でもう少し詳しく意味を調べてみると、「それまであったものが無い状態になる」などと説明されていますので、ユーチューブのレシピの事例にあてはめてもとくに不自然ではないと思います。
「仕方」とか「しよう」という語は「関係」「興味」「必要」などと異なり、「仕方ある」「しようがある」などとはあまり言わず、「仕方ない」「しようがない」のような形だけで使うことが多いので、「あったものが無くなる」の意味にはあてはまらず、区切って書きます。
16.p59 5.なくなる [参考]
「新聞が必要なくなる」は、「新聞が必要でなくなる」あるいは「新聞が必要な状態でなくなる」という言い換えが可能なので、
シンブンガ■ヒツヨー■ナク■ナル
と分かち書きするのかと思ったのですが、
フォーラムのQ&Aをみると「ユーチューバーのレシピなどもう関係なくなって」という例文で、「関係」のほか「興味」「必要」も同様に、これらがない状態になるということで
カンケイ■ナクナル
と分かち書きするとあります。
ただこの場合、「…もう関係がなくなって」のように「が」を補なって読むと自然な文章となっています。
ところが、「新聞が…」の文章では「が」を補うと不自然です。
基本的に「で」で受けているときは「ナク■ナル」
「が」で受けているときは「ナクナル」
と分かち書きをすると思いますが、この場合、どう考えたら良いでしょうか。
【A】
お考えの通り、「なくなる」は、「が(は、も)」のあとにあって、主語を受けているときには続けて書き、「なくなる」が「~で(では、でも)」に続く時には区切って書きます。
ご質問の文は、「新聞が必要(で)なくなる」ので、「新聞がなくなる」わけではありませんので、「シンブンガ■ヒツヨー■ナク■ナル」となります。
17.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「それゆえ」の分かち書きについて
・政治に向かないというのもそれゆえだ。
・候補が乱立するのもそれゆえで…
上記のように接続詞として使われていない場合は分かちの原則に従い「それ■ゆえ」と区切るのでしょうか? それとも、「それゆえ」で一語と考えてよいのでしょうか?
【A】
「それゆえ」は接続詞的に使われる場合が多いのですが、一語としての結びつきが強く、区切って書いては不自然ですので、
・政治に向かないというのもそれゆえだ。
・候補が乱立するのもそれゆえで…
の場合も一続きに書いてよいと思います。
「てびき」p60【備考】にある「どうして」「どのみち」「そうして」「そのせつ」などは、一語になっている場合と、そうでない場合とで、用法も意味も明らかに異なりますので、マスあけも区別して書きます。
18.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「てびき」p60「こ・そ・あ・ど」の【備考】の用例、「そうして弟も劣らず、・・・」について《そしての意》は続けるとあります。辞書に「そして」は「そうして」に同じと書いてあるものもありますが、両者の違いを説明しているものもあり、「そうして」の点訳に悩みます。
以下の場合は、どうしたらよいでしょうか?
「試験前なのに遊んでばかりだった。そうして赤点を沢山とって補習を受ける事になった」
「突然空が暗くなり始めた。そうして雷も鳴りだした」
「冬が去り、そうして春が来る」
また、原本全体を見て、「そして」と「そうして」と2種類が使われている場合は、「そうして」を「ソー■シテ」としてよいでしょうか?
【A】
「そうして」が接続詞として用いられているかどうか、迷うことが多くあります。ただ、点訳では、「そう+して」(そうやって、そのようにして)と解釈できる場合は、文頭にあっても本則に従って区切って書くことにしています。
「てびき3版」の【備考】の例文にあった「そうして二人は結ばれた」は「そうやって」とも解釈できるので、4版では例文を変更しました。
ご質問の文例では、すべて、接続詞とも解釈できますが、最初の例は「そうやって、そのようにして」ともとれますので、最初の文は「ソー■シテ」でよいと思います。
第2文、3文は、「そうやって」とはとれませんので、「ソーシテ」と続けてよいと思います。
原文で2種類が使われている場合でも、「そうして」については、上に書いた判断基準で「ソーシテ」「ソー■シテ」のどちらであるかを見極める必要があります。
19.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「あのまま」は区切って書きますか。「そのまま」、「このまま」は一語として一続きに書くようですが、どう違うのでしょうか。
【A】
点字表記の語例にもありますように「あのまま」は「アノ■ママ」と区切って書きます。
「この」「その」「あの」「どの」は連体詞ですので、後ろの語との間を区切って書くことが原則ですが、後ろに続く語との組み合わせによって、一語としての意味のまとまりが強いと判断すれば続けて書くことになります。
たとえば、「そのまま」「このまま」は、多くの辞書で一語として扱っていますが、「あのまま」「どのまま」は、一語として扱っている辞書は見当たりません。ですから一語として熟しているとは言えないと判断し、原則通り区切って書きます。
また、「このたびは」とか「・・・そのもの」の「この・その」も後ろの語と続けて書きます。このように、「この・その」は比較的、後ろの語と続いて用いられることが多いのですが、「あの・どの」は、少しニュアンスが異なり、指し示す対象物と離れた感じがしますので、原則通りに区切って書くことが多くなります。
語例を考えても、「その後(ご)、この後(ご)」とは言いますが、「あの後(ご)、どの後(ご)」とは言いませんし、「そのうえ、このうえ」(副詞・接続詞)とは言いますが、同じような表現で「あのうえ、どのうえ」とは言わないなどの違いがあります。
したがって、「この」「その」「あの」「どの」がすべて同じ扱いとはなりません。
このように、原則を押さえたうえで、辞書を参考にしながら1語かどうかの判断をすることになります。
20.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「この際」について、語例集に「コノサイ■ヒトコト■イイタイ」と「シンセイワ■デキマスガ■コノ■サイ■リョーキンワ■ジコ■フタンデ」とありますが、この違いがよくわかりません。
原本に、「毒物のような男だが、この際は妙薬になる。」という文があるのですが、この場合は「コノサイワ」と、続けていいでしょうか。
【A】
「この際」は多くの場合、「この際一言言いたい」や「この際ハッキリさせよう」のように、一語として副詞的にも用いられます。殆どの場合続けて書きますが、点訳フォーラムの語例「申請出来ますがこの際料金は自己負担です」のように、前に条件が書かれていて、それを「この」で受けているような場合は、区切って書くことになります。「その際」に置き換えられるような場合です。
ご質問の文をネットで検索してみました。司馬遼太郎『燃えよ剣』にある土方歳三の言葉のようで、前の文は以下のようになっていました。
「つまりは、こうか。新党結成のねがいを、芹沢を通じて京都守護職さまに働きかけさせるのか」
「そうだ。芹沢は毒物のような男だが、この際は妙薬になる。」
これを見ると「新党結成のようなことを起こす際は~」という意味のようにとれます。このように、前の文脈に「この際」を表す具体的な記述がある場合は、文節分かち書きに従って区切って書いてよいと思います。
「コノ■サイワ■ミョーヤクニ■ナル」となります。
21.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「この先」について、語例集をみますと「今後」に置き換えられるときは続けるように思います。「この先に」「この先も」と、に・もが続くときは区切るでよいでしょうか。次の場合です。
1.おかしいなと思いながらも我慢したり、合わないなと思いながら仲良くしなければと無理をしたり。
この先に、報われたあなたは本当にいるのでしょうか。
2.大切なのは、本当にそれがいい努力なのかを疑うこと。
がんばりやのあなたですから、この先もがんばっているのに報われないと感じることはあるでしょう。
【A】
後ろに「に、も」などの助詞が付いても時間的に現在よりあとのことを指す場合は一続きに書いてよいと思います。
語例集でも
此の先の見通しがたたない コノサキノ■ミトオシガ■タタナイ
此の先を悲観しても仕方ない コノサキヲ■ヒカン■シテモ■シカタナイ
の例があります。
ご質問の「この先に」「この先も」も続けて書いてよいと思います。
22.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「そうして」の切れ続きについて教えてください。
《「そして」の意の場合には続けて書き、「そのようにして」とも解釈できる場合は切ってよい。》とありますが、「そして」は「そうして」の口頭語的表現と記載されている辞書もあり、その区別が難しいです。
現在点訳中の本の中から6例示しますので、判断とその根拠を教えてください。
①「……ひんやりした風の流れをとらえ、ニシンの群れに向かって急降下した。百二十羽のカモメたちが、矢のように海を貫く。そうして再び姿を現したときには、どのカモメのくちばしにも、ニシンがきらめいていた。」
②「そのとき突然、子猫のゾルバは、足がふわっと地面から離れるのを感じた。そうして次の瞬間、わけもわからないまま、宙に放り出されていたのだ。」
③「……ゾルバは、気を失ったカモメのそばへ寄った。
そうして汚れたカモメの頭を、思いきってなめてやった。」
④「毎朝、その人が来る時間になると、ゾルバはバルコニーにある花の植木鉢の間に、卵をかくしていた。そうして、トイレの掃除をし、えさの箱を開けてくれるこの人に、何分かおつき合いをした。」
⑤「……一生懸命りんごのところまで来た。そうして小さな黄色いくちばしでつついてみたが、りんごはまるでゴムでできているように……」
⑥「なんだかお腹がくすぐったくて、ゾルバは目をさました。そうして、卵に割れ目ができ、そこから小さく小さくとがった黄色いものが見えかくれしているのを見つけて、飛び上がった。」
【A】
「そうして」は、続けるか、区切って書くかの判断にとても迷う語ですが、点字では、「こう・そう・ああ・どう」は、副詞としてとらえることを基本としていますので、わずかでも「そうやって」「そのようにして」と考えることができれば区切って書きます。
例として挙げてくださった、①~⑥は、すべて前の文に原因・根拠となるような事柄や動きがあって、それを受けての、「そう■して、そう■やって」と考えられるので区切って書くと思います。
「てびき」の例の場合は、前の「兄は勉強家だ」が後ろの文の原因や根拠になっておらず、単純に前の文と後ろの文をつないでいますので、続けて書いてよい例として挙げています。
「新明解国語辞典」の「そうして」の項をみますと
① そのような事をしたのに引き続いて(手段や方法をとって)以下の事が行われることを表す。〔「そして」に比べ、前述の事柄が後述する事柄の原因・理由であることを明示しようとする気持ちを含意することが多い〕
例 勤めの還りにデパートに寄った。そうしてこれをみつけたのです。
例 彼はまず相手の弱点を握った。そうして脅しにかかった。
② 前の表現を受けて、そのままそれに付け加えて述べようとする、話し手の意図を表す。
例 兄は特待生だった。そうして弟も劣らず秀才だ。
「大辞林」では
① 前に述べた事柄を受けてそれに引き続いて起こる事柄を述べる。それから
例 あたりが暗くなった。そうして大粒の雨が降り始めた。
② 前件に述べた事柄に後件を付け加える。その上、さらに
例 文学・歴史そうして教育と幅広く活躍する。
点字では、この二つの辞典の、①は区切って書き、②の場合は続けて書きます。
23.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など【備考】
「どうして」の分かち書きについて、英語の意味合いをベースにして考え、「How」(どうやって)の意味の時には「ドー■シテ」、「Why」(なぜ)の意味の時には「ドーシテ」と点訳しています。
「てびき」を見ますと、「ドー■シテ」と書く方が先に出ており、続けるのは補足として挙げられています。書き言葉の文章では、一般的に「なぜ」という意味に取れる表現のほうが多いと思いますが、区切って書く方が基準となる分かち書きと考えるのでしょうか。両方の意味合いを含んでいてどちらでも取れるという場合もあるかと思いますが、「なぜ」というニュアンスと「どうやって」というニュアンスを両方含むようにも思えるとき、どちらが優先されるのでしょうか。
参考例も教えていただければ助けになります。
①強い相手だったが、どうしてあなたは勝つことができたのか
②たくさん勉強したのに、どうしてこんな簡単な問題が解けないのか
③あの人が人の話を聞かないのはどうしてだろう
④楽しい仕事だったのに、どうして仕事をやめたのか
⑤最近連絡が無かった友達から連絡が来たのはどうしてだろう
⑥仲良くやっていると思ったのに、どうして彼女と別れてしまったのか
⑦大地震はどうして起こるのかについて、様々な研究が行われている
⑧その人がどうして皆の前で正しいとされるだろうか。どうして無罪とされるだろうか。
⑨自分の家族に降り掛かる災難をどうして見ていられるでしょうか。
【A】
「どうして」は、「どう」(副詞)に「する」(動詞)の活用形が付いた形ですので、区切って書くことが基本となります。迷った場合は区切って書きます。
「てびき」p60 6.は、原則に従う方を優先します。「なぜ」というニュアンスと「どうやって」というニュアンスを両方含むように考えられる場合は、区切って書く方を優先します。
ただ、「なかなかどうして」「どうして~だろうか(いや、~ではない)」のような反語的な表現の場合は、続けて書きます。
「てびき」の第3章その1は文節分かち書きについての項目です。自立語は品詞に従って区切る方を原則としていますので、p60の「こ・そ・あ・ど」も副詞・連体詞として区切って書く方を規則としてあげています。
そのなかで、後ろの語と結びついて1語になっていれば続けて書くという【備考】を設けています。
①強い相手だったが、ドー■シテあなたは勝つことができたのか(方法・理由)
②たくさん勉強したのに、ドーシテこんな簡単な問題が解けないのか(理由)
③あの人が人の話を聞かないのはドーシテだろう(理由)
④楽しい仕事だったのに、ドーシテ仕事をやめたのか(理由)
⑤最近連絡が無かった友達から連絡が来たのはドーシテだろう(理由)
⑥仲良くやっていると思ったのに、ドーシテ彼女と別れてしまったのか(理由)
⑦大地震はドー■シテ起こるのかについて、様々な研究が行われている(原因)
⑧その人がドーシテ皆の前で正しいとされるだろうか。ドーシテ無罪とされるだろうか(反語)
⑨自分の家族に降り掛かる災難をドーシテ見ていられるでしょうか(反語)
24.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
宇宙人に、戦争の原因になるような概念を奪ってもらったらいいじゃないか。~どうなるか分からないけど、ただ侵略されるよりはマシだろ、この際。
この場合の「この際」は続けますか。前の文脈に「この際」を表す具体的な記述がある時は切るとなっていますが、何度読んでもよくわかりません。
【A】
ご質問の文では、「コノサイ」と続けて書きます。
「コノサイ」は殆どの場合続けて書きます。副詞的に、区切りを付けるときに用い、「このような時」「現に今は」「このような事情(だから)」のように、まとめる意味で用います。
「この」の内容を前に具体的に説明していて、それを受けて「このときは~」というような場合、多くは「ソノ■サイ~」と言い換えられる場合は区切ってよいと思います。語例集の用例を参考になさってください。
25.p60 6.「こ・そ・あ・ど」など 【備考】
「私の職場は、各個人のデスクがその人そのものを表しているかのような・・・」の文章における「その人そのものを」の切れ続きについて、「その■ひと■そのものを」とすべきか、または、「そのひと■そのものを」かで意見が分かれました。どちらにしても適切な説明の仕方が思いつきません。
【A】
ソノ■ヒト■ソノモノ
となります。
「その人」を一続きに書くのは、語例集にある「そこに居たのはイチロー其の人だった ソコニ■イタノワ■イチロー■ソノヒトダッタ」のように前の特定の人物を強調する場合になります。
ご質問の場合は、直前に特定の人を指しているわけではありませんので、「ソノ■ヒト」になります。
26.p61 「コラム15」
「その後」の読み方として、「そのご」「そのあと」に明確な違いはありますか。
【A】
「その後」は「ソノゴ」「ソノ■アト」「ソノ■ノチ」の読み方がありますが、
微妙なニュアンスの違いはあるものの、明確な使い分けはできないと思います。
たとえば
「ソノゴ、いかがお過ごしですか」
「ソノ■アトデ■食事をした」
「ソノ■ノチニ■ローマ帝国は滅亡する」
などのように、文脈や後ろに続く付属語によって判断し、不自然でないように読むことになります。
「ソノゴ」には、ある時点以降ずっとというようなニュアンスがありますし、「ソノ■ノチ」は、時間的な「あと」だけを示し、三つの中では、もっとも文語的な、あらたまったニュアンスがあります。
後ろに付属語が付いていない「その後」だけの場合は、読み方を校正で指摘するのは難しいように思います。
27.p62 「コラム16」
「んもう。だからいったじゃない」という場合の「んもう」は続けるのでしょうか。
【A】
この「ん」は、女性語の「まあ」「もう」などを強めた形ですので、一語と考えて、「ンモー」と書いてよいと思います。