第3章 分かち書き(4)

その4 方言・古文など

1.p97 1.方言の分かち書き

方言で、「オラに相談してきたんちゃうん?」という文があります。「ちゃうん」は続けて書きますか、区切って書きますか。

【A】

「オラニ■ソーダン■シテ■キタン■チャウン?」となります。
「ちゃう、ちゃうん」は「違う」が省略された言い方で、直訳すると「相談してきたのと違うの」となります。
「~んちゃうん」「~んちゃう」で「~じゃない」というような言い方にもなりますので、「ちゃう」の前で区切って書きます。
点訳フォーラムの語例集で「ちゃう」といれて検索をしてみてください。
ええんちゃう エエン■チャウ 方言(関西)いいんじゃない
出来るんちゃう デキルン■チャウ
出てくるんちゃう デテ■クルン■チャウ 方言(関西)出てくるんじゃない
やせたんちゃう ヤセタン■チャウ 方言(関西)やせたんじゃない
がヒットします。

2.p97 1.方言の分かち書き

「おてもやん」の歌詞のマスあけはどうなりますか。
「げんぱくなすびのいがいがどん」
「後はどうなっと きゃーなろたい。」

【A】

「玄白茄子のいがいがどん」は、見た目の悪い(できの悪い)茄子のようなとげとげした男達のことを表しているとのことで、「どん」は「西郷どん」とおなじ方言のようです。
ここから、ゲンパク■ナスビノ■イガイガドンと書いてよいと思います。
「後はどうなっと きゃーなろたい。」は、「あとはどうにでもなる」という意味とのことです。「きゃあ」は、強調の接頭語とのことです。
アトワ■ドーナット■キャーナロタイ

3.p97 1.方言の分かち書き

方言の切れ続きについて、津軽弁の以下の語はどのように書けばよいでしょうか。
1.「ないねばすげねすてな」と言った。(あなたがいないと寂しい)
2.「実はホレ…急に…おけてまてな」(急にいなくなっちゃった)
3.「ああ、あがかちゃくちゃねなでまて…」(私は無性にイライラしたので)
また、長崎弁の「長崎に帰っとんなったとですか?」はどう書きますか。

【A】

1.「ないねばすげねすてな」と言った。
青森弁では「わ、な、だ」がそれぞれ「わたし、あなた、だれ」に相当し、「すげねすてな」(「すげね」が「寂しい」)ですので、
⇒ ナ■イネバ■スゲネステナ
あなたがいないと寂しい
となります。
2.「実はホレ…急に…おけてまてな」
⇒オケテマテナ
「おけてしまって」の略
3.「ああ、あがかちゃくちゃねなでまて…」
⇒ アガ■カチャクチャネ■ナデマテ
あが(私が)「かちゃくちゃね」(かちゃくちゃに、いらいらして)なでまて(な ってしまって)
4.「長崎に帰っとんなったとですか?」
⇒ カエットンナッタトデスカ
「なった」は丁寧語ですが、前が「ん」で音韻変化していますので一続きに書いてよいと思います。

4.p97 1.方言の分かち書き

花魁言葉の「のう」で悩んでいます
「みられたくのうござりんす 」は、「ミラレタク■ノー■ゴザリンス」
「ごそんじのうござりんしたか」は、「ゴゾンジノー■ゴザリンシタカ」
でいいでしょうか。

【A】

花魁言葉のご質問の「のう」は、「ない」の変化した形です。
「みられたくのうござりんす」は「みられたくなくございます」の意味ですので、「ミラレタク■ノー■ゴザリンス」
「ごそんじのうござりんしたか」は「ごぞんじなくございましたか」の意味ですので、「ゴゾンジ■ノー■ゴザリンシタカ」となります。

5.p97 2.古文・漢文の分かち書き

古文の語の分かち書きについて、「てびき」p222で、敬意を表す補助動詞は、前を区切るとありますが、「答え申す、尋ね申す」などは「コタエ□モース、タズネ□モース」と区切るのでしょうか。

【A】

「てびき」p222【備考2】は、教科書・参考書などの学習書で、古文の文法や仕組みを理解することを目的に決められたルールです。
参考書の場合はこのルールに準じて点訳をしてください。
その場合は、コタヘ■マウス、タヅネ■マウスとなります。仮名遣いも古文の仮名遣いになります。
一般書の場合は、「てびき」p23 (8)、ならびにp97[参考]をご覧ください。現代の仮名遣いで点訳する場合は、「コタエモース」「タズネモース」となります。

6.p97 2.古文・漢文の分かち書き

古文を古文表記で点訳するときの「こころ」を含む語についてのマスあけに迷っています。現代語の「こころよわい」「こころにくい」「こころない」は、語例集で続いていますが、古文でも「こころよわく」「こころにくし」「こころなし」などは古語辞典に形容詞として見出し語にありますので一続きに書いてよいと思っています。「こころふかく」「こころふかし」は、どうなりますか。
古語辞典では形容詞として見出し語にあるのですが、判断基準を教えてください。

【A】

「点訳フォーラム」の語例集には、古文で書き表す場合の書き方は掲載していませんが、「心深し」も多くの「古語辞典」で形容詞とされていますので、古文を古文の点字表記で点訳する場合で、「心深し」が形容詞として用いられているときは、一続きに書いてよいと思います。
「日本点字表記法 2018年版」の「第6章古文の書き表し方」では、源氏物語の用例で「心深く」が一続きになっています。
古文では、現代文より形容詞とされる語が多く、そのすべてを一続きに書いてよいかどうか判断に迷う場面が多いのですが、中学・高校生が用いるような古語辞典の多くで形容詞と見なされているかどうかも判断の根拠となると思います。

7.p97 2.古文・漢文の分かち書き

候文において
1.「候」の前で区切るか、区切らないかは、基本的にどのように考えればよいのでしょうか。
2.「候」の前につく漢字で、次の例では如何すればよいのでしょうか。
・・可申候・被申付候・被成候。
3.「候」に接尾的に付く漢字のある時・・
候間・候由・候事・候段・候者也などとある時はどのように考えればよいのでしょうか。

【A】

1.「候」は「ある、いる、行く、来る」などの意を表す丁寧語、謙譲語の動詞ですので、独立した動詞、または補助動詞として用いられている場合は前を区切って書き、動詞の連用形に続いている場合は、前の語に続けて書きます。
形の上では、「~て候、~で候、~にて候」の場合は、前を区切って書きます。

2.漢文を書き下し文にして書くことになります。
「可」は「べし、べく、べき」と読む助動詞ですので
モースベク■ソーロー
「被」は「れる、られる」と読む助動詞で、この場合は、連用接続で後ろの語と続けて書きますので
モーシツケラレソーロー
ナラレソーロー

3.ソーロー■アイダ、ソーロー■ヨシ、ソーロー■コト、ソーロー■ダン、
ソーロー■モノナリなどとなります。
これらは、形式名詞となりますので、「ソーロー」との間を区切って書きます。

8.p97 2.古文・漢文の分かち書き

俳句のマスあけについて
1.「あらたうと青葉若葉の日の光」の「あらとうと」ですが、「あら」は感嘆詞、「たうと」は尊いの意として、「アラ■トート」としましたが、語例集で「あらかしこ」が続いています。同じような意の言葉ですが、「あらたうと」も続けた方がよいのでしょうか。
2「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」の「ふたみ」ですが、「ふたみ」は二見ケ浦の「二見」と「ふた身」、さらに蛤の「蓋と身」が掛けられています。私は「フタミ」と続けたいと思いますが、「フタ■ミ」と書いた方がよいでしょうか。

【A】

1.「あらたうと」は、お考えの通り、感嘆詞の「あら」に「貴い」の意味の「たうと」ですので、「アラ■トート」になります。
「あらかしこ」は、手紙の末尾などにも用いられるあいさつ言葉で、一語としての結びつきが強いと考えて一続きにしました。
2.続けて、「ハマグリノ■フタミニ■ワカレ~」と書くのがよいと思います。
「てびき」p220 5.にありますように、「掛詞は意味の理解や韻律を考慮して一通りのみを」示しますので、この場合は続けた方がよいと思います。

9.p97 2.古文・漢文の分かち書き

点訳書にいろは歌が出てきました。
老人が子どもにいろは歌で文字を教えるところです。

半紙を取り出して、筆先をゆるりと運ばせながら、片仮名を一文字ずつ書いていく。
イロハニホト、チリヌルヲ、ワカヨタレソ・・・・・。

ここの「イロハニホト、チリヌルヲ、ワカヨタレソ・・・」は、分かちをせず、また、現代仮名遣いにもせずそのまま書いてよいでしょうか。
また、この後にこのような部分が出てきます

「それでな、たつ丸殿。これに節をつけて、覚えるといい。いいか」
色はにほへど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ、有為の奥山今日超えて、浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず・・・・・・。
いろは歌には仏教の無常観が込められているが、覚えやすいように童歌の節にして歌うてみる。所々謡のウキや落としを入れてもみた。
「いーろはにおえどー、ちーりぃぬるをー」

先ほどの「イロハニホト、チリヌルヲ、ワカヨタレソ・・・」を受けての部分です。
ここの 「色はにほへど散りぬるを、~」は文意から分かちをするかと思いますが、
現代仮名遣いなのか、歴史的仮名遣いなのか迷います。
また、その後の「いーろはにおえどー、ちーりぃぬるをー」
は分かちをするのか、これも現代仮名遣いでいくのかどうか…。現代仮名遣いか歴史的仮名遣いかは揃えた方がよいかと思うのですが、それでいろは歌としては良いのかどうかも不安です。

【A】

初めの「イロハニホト、チリヌルヲ、ワカヨタレソ・・・」は、「いろはにほと」となっていて、意味のまとまりもありませんので、発音するとおりに、「イロハニホト、■チリヌルヲ、■ワカヨタレソ■・・・」と点訳してよいと思います。
次の、「色はにほへど散りぬるを、我が世たれぞ常ならむ、有為の奥山今日超えて、浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず」
これは、古文の読みで
イロハ■ニホヘド■チリヌルヲ、■ワガ■ヨ■タレゾ■ツネナラム、■ウヰノ■オクヤマ■ケフ■コエテ、■アサキ■ユメ■ミジ■ヱヒモ■セズ
第1カッコで囲んで、(イロワ■ニオエド■チリヌルヲ、■ワガ■ヨ■タレゾ■ツネナラン、■ウイノ■オクヤマ■キョー■コエテ、■アサキ■ユメ■ミジ■エイモ■セズ)と入れるのがよいのではないでしょうか。その都度、イロハ(イロワ)と入れていくと全体に読みにくくなると思います。
最後の、「いーろはにおえどー、ちーりぃぬるをー」は謳っているわけですので、現代仮名遣いで発音通りに書きます。
「イーロワ■ニオエドー、■チーリイヌルヲー」となります。

10.p97 2.古文・漢文の分かち書き

伊勢物語の歌の分かち書きを教えてください。
筒井筒 五つにかけし 井戸茶碗 咎をば我に 負ひにけらしな
筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に

【A】

筒井筒 五つにかけし 井戸茶碗 咎をば我に 負ひにけらしな
⇒ ツツイヅツ■イツツニ■カケシ■イドヂャワン■トガヲバ■ワレニ■オイニケラシナ
「井戸茶碗」は連濁にして続けた方がよいのではないでしょうか。「おいにけらしな」は「負う」が動詞で、その後ろは「に」「けらし」は助動詞、「な」は助詞

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に
⇒ ツツイツノ■イヅツニ■カケシ■マロガ■タケ■スギニケラシナ■イモ■ミザル■マニ
まろがたけは私の身長(丈)、「が」は、「の」の意味の格助詞、
「すぎにけらしな」は「過ぎ」が動詞で、その後ろは、上の「~にけらしな」と同じです。

11.p97 2.古文・漢文の分かち書き

原文「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花・・・」の歌なのですが、この「匂いおこせよ」の分かち書きについて教えてください。
点訳フォーラムの語例にのっている「思いおこす」は一続きになっています。これとは別と考え、「ニオイ■オコセヨ」となるのでしょうか。

【A】

和歌は、「東風が吹いたら、匂いを送ってよこせ」という意味で、「おこす」は「遣す」ということですので、
ニオイ■オコセヨ
となります。

12.p97 2.古文・漢文の分かち書き

現代文で書かれた一般書の中に歴史的仮名遣いで書かれた和歌があり、現代文の仮名遣いで点訳した場合、「よう」「ほど」の分かち書きは現代文の考え方でいいのでしょうか。
ここの[参考]に「古文を現代仮名遣いで点訳……」とあり、「上の用例もそれに該当するので、前を区切って書きます。」とあったので、迷ってしまいました。
「現代文の中の歴史的仮名遣いを現代文の仮名遣いで書く」ということと「古文を現代仮名遣いで点訳」ということとはどのように異なるのでしょうか。また、古文を現代仮名遣いで点訳するのはどのような場合でしょうか。
現在点訳中の、紫式部、源氏物語を題材とした小説の中に和歌があります。この点訳について教えてください。
逢うまでの形見ばかりと見しほどに ひたすら袖の朽ちにけるかな
嵐吹くおのえの桜散らぬ間を 心とめけるほどのはかなさ

【A】

現代文で書かれた一般書に歴史的仮名遣いで書かれた語句や文(和歌も含みます)がある場合は、その語句や文を現代文の仮名遣いで書きます。そのとき、仮名遣いだけでなく、古文には現代の品詞と異なる場合がありますので、分かち書きにも注意が必要になります。
第2章(「てびき」p23)では現代文の仮名遣いにすることを述べていますが、第3章(「てびき」p97)は分かち書きの注意点を記しています。
古文の分かち書きは現代文とほぼ同じですが、特に「よう」「ほど」は、現代文と異なり、形式名詞の場合が多いので、注意が必要になります。
例えば、
翁いふやう「我朝ごと夕ごとにみる竹の中に~
⇒ オキナ■イウ■ヨー■「ワレ
この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる
⇒ コノ■チゴ、■ヤシナウ■ホドニ、■スクスクト■オオキニ■ナリマサル
「竹取物語」を現代文の表記に置き換えて書く場合は、上記のようになります。
この場合、「よう」「ほど」は名詞の働きをしているので、前を区切って書きます。ただ、「よう」「ほど」も助動詞として使われている場合もありますので、調査をすることが大事になります。
「てびき」p23の「現代文の中に歴史的仮名遣いの語句や文が挿入されているとき~」のなかには、現代の短歌や俳句も含まれますし、万葉集や百人一首などの和歌も、「竹取物語」「源氏物語」などの古典も、「歴史的仮名遣いで書かれている」すべての語句や文、作品を含みます。その中で、現代と分かち書きが異なってくるのは、江戸時代以前に書かれた古典(和歌も含む)になります。
ご質問の具体例は、二つとも「時間が経過する間(に、の)」の意味の名詞「ほど」ですので、
ミシ■ホドニ
トメケル■ホド
となります。平安時代の「ほど」はほとんど名詞と考えてよいようです。助詞として用いられるのは鎌倉時代(中世)以降と言われています。

13.p97 2.古文・漢文の分かち書き

「香子 紫式部2部」を点訳しています。
1.誰により世をうみやまに行きめぐり
絶えぬ涙に浮き沈む身で
上の歌の解説に《私は一体、誰のために、辛い・・・「海」に憂(う)みを掛けていて、・・・》とあります。
2.海松や時ぞともなき蔭にいて
何のあやめもいかにわくらん
上の歌の解説に《姫君はいつもひっそりと海辺で暮らし、今日が五十日の祝日で、菖蒲の節句の日であるのをわかっているだろうか、という言祝ぎで、「海松」は姫君を指し、「あやめ」に菖蒲と文目(あやめ)、「いか」に五十日を掛けており、・・・》とあります。
どのように点訳すればよいでしょうか。

【A】

1.2.ともに、二つの意味をかけた和歌ですが、「てびき」p220 5.にあるとおり、一通りのみの分かち書きで書きます。
1.
■■タレニ■ヨリ■ヨヲ■ウミヤマニ■ユキメグリ
■■■■タエヌ■ナミダニ■ウキシズム■ミデ
と点訳し、解説のところで「ウミ」ニ■「ウミ」(クルシミ)ヲ■カケ

2.
■■ウミマツヤ■トキゾトモ■ナキ■カゲニ■イテ
■■■■ナニノ■アヤメモ■イカニ■ワクラン
と点訳し、解説のところで
ウミマツワ■ヒメギミヲ■サシ、■「アヤメ」ニ■アヤメ(ショクブツ)ト■アヤメ(モノゴトノ■スジミチ)、■「イカ」ニ■イカ(数50ニチ)ヲ■カケテ■オリ、■・・・
と書いてはどうでしょうか。

14.p97 2.古文・漢文の分かち書き

古文を現代文の仮名遣いで点訳する場合、古語の動詞である「ものいふ」「こころす」「日並ぶ(ひならぶ・けならぶ)」などの切れ続きはどうなりますか。
枕詞「そらみつ」は「そらにみつ」からできているので、これも「そら■みつ」としてよいのか続けるべきなのか迷いました。

【A】

「ものいふ」は古語では、「口をきく、しゃれたことをいう、夫婦・恋人の関係になる」などの意味ですが、現代語では、「物言う」だけでそのような意味は無く、ことばそのまま「物を言う」意味です。「モノ■イウ■カブヌシ」のようになります。
ですので、「むかしものいひける女に」(伊勢物語)を現代文で書いた場合は「ムカシ■モノイイケル■オンナニ」となります。
「日並ぶ」は、古語的な表現で、現代語にはありませんので、古文での複合動詞の切れ続きに準じることになります。「馬ないたく打ちてな行きそけならべて~」(万葉集)の場合は「ケナラベテ」と続けて書きます。
「こころす」は古語でも現代語でもほぼ同じ意味で用いられていますので、古文を現代語で書き表すときには、「ココロ■ス」「ココロ■シテ」になると思います。
枕詞は現代でも用いられていますので、ほぼ現代に置き換えた分かち書きになると思いますが、「そらみつ」は、短いですし、一語としてのつながりが強いとして、現代でも続けて書くと思いますが、同じ「大和」に掛かる枕詞でも「そらにみつ」は間に助詞がはいり区切って書いた方が分かりやすいと思います。
ソラニ■ミツ■ヤマトヲ■オキテ(人麻呂)
ソラミツ■ヤマトノ■クニワ■オシナベテ(万葉集)
以上のように、古語だけにある表現や、現代とはまったく異なる意味で用いられている場合には、古文の表現を活かして切れ続きを考えるのがよいと思いますが、働きが同じ場合には、現代文の分かち書き、切れ続きで書くのがよいと思います。
「てびき」p211にあるように「分かち書きは現代文と同様に文の単位ごとにおこなうことを原則とする。文語文法の体系を踏まえ、時代による用法の変化や現代語にはない語法にも注意する必要がある。自立語の中の長い複合語や固有名詞も、現代文と同様に意味のまとまりごとに区切って書く」ことになります。

15.p97 2.古文・漢文の分かち書き

「をんごく」という本を点訳しています。文中に物の怪のようなものが、死んで成仏できていない霊を追い払うために呪文のようなセリフを唱えます。
「カタシハヤヱガセセクリニカメルサケテヱヒアシヱヒワレヱヒニケリ」という呪文のようなセリフです。どこで切ったらよいでしょうか。

【A】

「カタシハヤヱガセセクリニカメルサケテヱヒアシヱヒワレヱヒニケリ」は、この呪文をとなえると、百鬼夜行の害を避けられると鎌倉時代以前から言われていたもののようです。
「カタシハヤ、エガセセクリニ、カメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレエヒニケリ」で、資料によって少しの違いはあるようですが、「難しはや 行か瀬 庫裏に貯める酒、手酔い足酔い我し来にけり」となるようです。中で少し異なる部分もありますが、「カタシハヤ■エガセセ■クリニ■カメル■サケ■テエヒ■アシエヒ■ワレ■エヒニケリ」と書くとよいのではないでしょうか。

16.p97 2.古文・漢文の分かち書き

小説に出てくるはがきの文面ですが、どの様に点訳したらよいのか教えてください。
カギで囲んだのが小説の原文です。

「そこには漢字だけがずらずらとならんでいた。

子意遠可射
依依見其面
疑子在咫尺 」

漢詩の一部らしいのですが、どのように点訳すればわかりやすいのでしょうか。
漢字一文字ごとにマスあけし、それぞれの漢字を点訳挿入符で説明するのでしょうか。

【A】

漢文は、書き下し文で表すことになりますので、この場合も漢字だけを書いても文意が通じません。少なくとも、点訳挿入符で漢字5文字3行あることを断ります。
このあとの文脈によって、それだけでよい場合もあると思いますし、書き下し文が必要な場合もあると思います。
例として書いてみました。

点挿カンジ■数5ジズツ■数3ギョーノ■カンシ。■■カキクダシブンデ■オヨソノ■イミヲ■シメス。点挿
■■シ(キミ)ノ■ココロ■トオクシテ■イルベシ
■■イイトシテ■ソノ■オモテヲ■ミル
■■ウタガウラクワ■シノ■シセキ(チカク)ニ■アリヤト

17.p97 2.古文・漢文の分かち書き

原本に、「参考」として、郭璞(かくはく)という人の「郭璞江賦」の書き出し「咨五才之竝用寔水徳之霊長」という文が出ています。調べたのですが、書き下し文も見つからず、漢字を一文字ずつ提示するしかないのでしょうか。その時の漢字の説明はどのようにしたらよろしいでしょうか。

【A】

「郭璞江賦(カク■ハク■コーフ)」は長江を中心に中国江南の風景を読んだ詩のようです。
正確な読み下しは分からないのですが、この漢詩を現代語訳している中国語のサイト https://so.gushiwen.cn/mingju/juv_135bc4540109.aspx などを参考にすると、およその意味は

ああ、五才(天地の金・木・水・火・地)それぞれ有用であり
中でもまことに水の美徳は最も優れた霊妙な力を備えている

というような感じで、川の水の霊力を賛美する内容と思われます。
最初の「咨」は「はかる(諮と同義)」の意もありますが、「ああ」という感動詞としても使われるようです。
「竝」は「並」と同義です。
「寔」は「実」「宴」など、別の字とする説もあり、上記サイトでは「実」で記載されていますが、「寔」でも漢和辞典によると「まことに」と読むことができますので、
「実」と共通の意味を持つようです。
これらを踏まえて、以下のように読み下すと、だいたいの雰囲気が伝わるのではないかと思います。

アア■数5サイ■コレ■ナラビテ■モチウ■■
マコトニ■スイトクノ■レイチョーナリ

18.p97 2.古文・漢文の分かち書き

井上靖著の『敦煌』に出てくる以下の漢文は、どのように書いたらよいでしょうか。
維持景祐二年乙亥十二月十三日 大宋国潭州府挙人趙行徳 流歴河西 適寓沙州 今縁外賊掩襲 国土擾乱 大雲寺比丘等搬移聖教於莫高霊窟 而罩蔵壁中 於是発心敬写般若波羅蜜多心経経一巻 安置洞内已
伏願竜天八部 長為護助 城隍安泰 百姓康寧 次願甘州小娘子 承此善因 不溺幽冥 現世業障 並皆消滅 獲福無量 永充供養

【A】

この小説の主人公・趙行徳が経典を莫高窟へ収めた経緯などを書きつけた文書として出てくる漢文ですね。
細かいところは読み下し方も人によって異なると思いますが、大体以下のようになるのではないかと思います。
「乙亥」は和語では「キノト■イ」ですが、中国が舞台であることから、イツガイと読んでいます。

イジ■ケイユー■2ネン■イツガイ■12ガツ■13ニチ■
ダイソーコク■タンシューフ■キョジン■チョー■ギョートク■
カセイヲ■ルレキ■シ■サシューニ■テキグー■シ■イマ■ガイゾク■
エンシュー■コクド■ジョーランニ■ヨリ■ダイウンジ■
ビクラ■セイキョーヲ■バッコー■レイクツニ■ハコビウツシ■
シコーシテ■ヘキチューニ■シマイイレ■ココニ■オイテ■
ホッシン■シ■ハンニャ■ハラミタ■シンギョー■1カンヲ■
ウヤマイウツシ■ドーナイニ■アンチ■シオエヌ
フクガン■リューテン■8ブ■ナガク■ゴジョヲ■ナシ■
ジョーコー■アンタイ■ヒャクショー■コーネイ■ツギニ■
ネガウ■カンシュー■ショージョーシ■コノ■ゼンインヲ■ウケ■
ユーメイニ■オボレズ■ゲンセ■ゴーショー■ナラビテ■ミナ■
ショーメツ■シ■フクヲ■エル■コト■ムリョーニシテ■ナガク■
クヨーヲ■ミツルヲ

経典を収めた経緯の後は、写経の功徳により町も民も安らかで災厄に悩まされず平穏であるようにとの願いが記された文のようです。

19.p97 2.古文・漢文の分かち書き

漢文の書き方についてお尋ねいたします。

『鶡冠子(かつかんし)・世賢第16』の扁鵲三兄弟的故事の
「若扁鵲者、鑱血脈、 投毒薬、副肌膚、 聞而名出聞於諸侯」を引用したかと思われる。
という文があります。
「若扁鵲者~聞而名出聞於諸侯」はどのように書いたらよいでしょうか?
パソコンで調べますと原文は沢山出て来ますが、読み方、書下し文等は見つけられませんでした。どのように調べたらよいでしょうか。

【A】

扁鵲(ヘンジャク)は中国春秋戦国時代の伝説的な名医で、兄二人も医者だったとのことです。引用されている漢文は、魏の文王に、兄弟で誰が一番名医であるか尋ねられたのに対して、扁鵲自身が答えた言葉とされています。
ネット上に書き下し文が見当たりませんが、中国語のサイトには現代語訳とともに掲載されているケースがいくつかありましたので、現代語訳を参考に意味を確認しながら読み下すと、だいたい以下のようになるのではないかと思います。

若扁鵲者,鑱血脈,投毒藥,副肌膚間,而名出聞於諸侯。

ヘンジャクノゴトキ■モノ、■ケツミャクヲ■サシ、■
ドクヤクヲ■トージ、■ヒフノ■カンニ■ソエ、■
シカシテ■ショコーニ■オイテ■ナ■イデキコユ。

「血脈」の前、テキストデータでは文字化けしてしまう画数の多い漢字は鍼灸治療の鍼を刺すことを意味するようです。
「投毒薬」は激烈な薬を投与する
「副皮膚間」は皮膚に軟膏を用いる
「而名出聞於諸侯」はそれによって、諸侯の間に名が広まっている、というような意味のようです。

20.p97 2.古文・漢文の分かち書き

お経の書き方に関して、何か規則はありますか。
般若心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色

【A】

お経でも、基本的な分かち書きのルールに従って書くことになります。
般若心経の冒頭部は、
観自在菩薩  観音菩薩のこと
行深般若波羅蜜多時  深般若波羅蜜多を行ずる時
照見五蘊皆空  五蘊(または、五陰)皆 空なりと照見して
度一切苦厄   一切の苦厄を度した
舎利子  舎利弗(しゃりほつ)のこと
色不異空 空不異色  色は空に異ならず、空は色に異ならず
色即是空 空即是色  色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり

というような意味ですので、以下のように点訳の一例を示してみます。
五蘊(または、五陰)は、お経のルビが異なる場合もあります。ゴウンまたはゴオンとなります。

カンジザイ■ボサツ■■ギョー■ジン■ハンニャ■ハラミッタ■ジ■■
ショーケン■数5=オン■カイクー■■ド■イッサイ■クヤク■■
シャリシ■■シキ■フイ■クー■■クー■フイ■シキ■■
シキ■ソク■ゼ■クー■■クー■ソク■ゼ■シキ■■

21.p97 2.古文・漢文の分かち書き

「ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか はんにゃしんぎょう」
これはどう書いたらいいでしょうか。

【A】

「ぎゃていぎゃてい~」は般若心経の一部ですので、意味の区切り目で以下のように点訳することをお勧めします。宗派によっては、途中句点が入っていたり、空白があるところが異なるかも知れませんが、今回の原文の所で区切るのが一般的なようですので、そこを二マスあけにすればよいと思います。
ギャテイ■ギャテイ■■ハラ■ギャテイ■■
ハラ■ソーギャテイ■■ボジ■ソワカ■■ハンニャ■シンギョー

22.p97 2.古文や漢文の分かち書き

般若心経の経文の表記はどうなりますか?
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色~

【A】

般若心経の全文は以下の通りですが、原文によっては、漢字4文字ずつ空白を入れて書かれていたり、句点が付いていたり、行を替えるところも種々ありますので、そのような点は原文を尊重して書くことになります。また原文に従って、実際に唱えるように長音を入れて点訳する方法もあると思います。読みが少し異なる場合もあるかもしれません。
以下に点訳の一例を示しますが、他の解釈もあるかもしれませんので、参考としてお使いください。

観自在菩薩 行深般若 波羅蜜多時 照見五蘊 皆空 度一切苦厄
舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中
無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道
無智亦無得 以無所得故  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙
無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃  三世諸仏
依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経

カンジザイ■ボサツ■■ギョー■ジン■ハンニャ■ハラミッタ■ジ■■
ショーケン■数5=オン■カイクー■■ド■イッサイ■クヤク■■
シャリシ■■シキ■フイ■クー■■クー■フイ■シキ■■
シキ■ソク■ゼ■クー■■クー■ソク■ゼ■シキ■■
ジュ■ソー■ギョー■シキ■■ヤクブ■ニョゼ■■
シャリシ■■ゼ■ショホー■クーソー■■フショー■フメツ■■
フク■フジョー■■フゾー■フゲン■■ゼ■コ■クー■チュー■■
ム■シキ■ム■ジュ■ソー■ギョー■シキ■■
ム■ゲン■ニ■ビ■ゼツ■シン■イ■■
ム■シキ■ショー■コー■ミ■ソク■ホー■■
ム■ゲンカイ■ナイシ■ム■イシキカイ■■
ム■ムミョー■ヤク■ム■ムミョー■ジン■■
ナイシ■ム■ローシ■■ヤク■ム■ローシ■ジン■■
ム■ク■シュー■メツ■ドー■■ム■チ■ヤク■ム■トク■■
イ■ム■ショ■トク■コ■■ボダイ■サッタ■■
エ■ハンニャ■ハラミッタ■コ■■シン■ム■ケイゲ■■
ム■ケイゲ■コ■■ム■ウ■クフ■■
オンリ■イッサイ■テンドー■ムソー■■
クキョー■ネハン■■数3ゼ■ショブツ■■
エ■ハンニャ■ハラミッタ■コ■■
トク■アノク■タラ■数3ミャク■数3ボダイ■■
コ■チ■ハンニャ■ハラミッタ■■ゼ■ダイジンシュ■■
ゼ■ダイミョーシュ■■ゼ■ムジョーシュ■■
ゼ■ムトードーシュ■■ノー■ジョ■イッサイ■ク■■
シンジツ■フコ■■コ■セツ■ハンニャ■ハラミッタ■シュ■■
ソク■セツ■シュ■ワツ■■ギャテイ■ギャテイ■■
ハラ■ギャテイ■■ハラ■ソーギャテイ■■
ボジ■ソワカ■■ハンニャ■シンギョー

23.p97 2.古文・漢文の分かち書き

中山七里著「死にゆく者の祈り」の作中に「四誓偈」の一節があります。経文の点訳方法・マスあけはどのようにしたらよいでしょうか。
——————————————–
我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚
がごんちょうせがん ひっしむじょうどう
しがんふまんぞく せいふじょうしょうがく

我於無量劫 不為大施主 普済諸貧苦 誓不成正覚
が お むりょうこう  ふ い だいせしゅ
ふ さいしょびんぐ せいふじょうしょうがく

我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚
がしじょうぶつどう みょうしょうちょうじっぽう
くきょうみしょうもん せいふじょうしょうがく

離欲深正念 浄慧修梵行 志求無上道 為諸天人師
りよくじんしょうねん じょうえしゅぼんぎょう
しぐむじょうどう いしょてんにんし

神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難
じんりきえんだいこう  ふしょうむさいど
しょうじょさんくみょう  こうさいしゅやくなん

開彼智慧眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門
かいひちえげん めっしこんもうあん
へいそくしょあくどう つうだつぜんじゅもん

功祚成満足 威曜朗十方 日月収重暉 天光隠不現
く そじょうまんぞく  いようろうじっぽう
にちがつしゅうじゅうき  てんこうおんぷげん

為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法師子吼
いしゅかいほうぞう  こうせ く どくほう
じょうおだいしゅじゅう  せっぽうし し く

供養一切仏 具足衆徳本 願慧悉成満 得為三界雄
くよういっさいぶつ  ぐ そくく どくほん
がんねしつじょうまん  とくいさんがいおう

如仏無礙智 通達靡不照 願我功慧力 等此最勝尊
にょぶつむ げ ち  つうだつみふしょう
がんがく え りき  とうしさいしょうそん

斯願若剋果 大千応感動 虚空諸天人 当雨珍妙華
しがんにゃっこっか  だいせんおうかんどう
こくうしょてんにん とううちんみょうけ

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ

【A】

浄土宗の公式ホームページ(https://jodo.or.jp/)の和訳・現代語訳を参考に以下のように考えました。なお数カ所、読みの異なるところがありましたが、漢字から判断して書きました。
お経の3行目の「究竟靡不聞」は「 究竟靡所聞」のようです。ただ、ふりがなは間違っていませんでしたので、そのまま書きました。
原本をネット上で試し読みしてみますと、2~3行ずつ、お経として唱えていますので、書き下し文にするのではなく、このまま点訳するのがよいと思います。

我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚
ガ■ゴン■チョー■セガン■■ヒッシ■ムジョードー■■
シガン■フマンゾク■■セイ■フジョー■ショーガク

我於無量劫 不為大施主 普済諸貧苦 誓不成正覚
ガ■オ■ムリョーコー■■フ■イ■ダイセシュ■■
フ■サイ■ショビング■■セイ■フジョー■ショーガク

我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚
ガ■シ■ジョー■ブツドー■■ミョーショー■チョージッポー■■
クキョー■ミショーモン■■セイ■フジョー■ショーガク

離欲深正念 浄慧修梵行 志求無上道 為諸天人師
リヨク■ジンショーネン■■ジョーエ■シュ■ボンギョー■■
シグ■ムジョードー■■イ■ショテンニンシ

神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難
ジンリキ■エン■ダイコー■■フショー■ムサイド■■
ショージョ■数3クミョー■■コーサイ■シュ■ヤクナン

開彼智慧眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門
カイ■ヒ■チエゲン■■メッシ■コンモーアン■■
ヘイソク■ショアクドー■■ツーダツ■ゼンジュモン

功祚成満足 威曜朗十方 日月収重暉 天光隠不現
ク■ソ■ジョー■マンゾク■■イヨー■ロー■ジッポー■■
ニチガク■シュー■ジューキ■■テンコー■オンプゲン

為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法師子吼
イ■シュ■カイ■ホーゾー■■コー■セ■クドクホー■■
ジョー■オ■ダイシュジュー■■セッポー■シシク

供養一切仏 具足衆徳本 願慧悉成満 得為三界雄
クヨー■イッサイブツ■■グソク■シュトクホン■■
ガン■ネ■シツ■ジョーマン■■トクイ■数3ガイオー

如仏無礙智 通達靡不照 願我功慧力 等此最勝尊
ニョブツ■ム■ゲチ■■ツーダツ■ミ■フショー■■
ガン■ガ■クエリキ■■トーシ■サイショーソン

斯願若剋果 大千応感動 虚空諸天人 当雨珍妙華
シガン■ニャッコッカ■■ダイセン■オー■カンドー■■
コクー■ショテンニン■■トー■ウ■チンミョーゲ

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ナムアミダブツ■ナムアミダブツ■ナムアミダブツ

24.p97 2.古文・漢文の分かち書き

「讃仏偈」より下記の経文について、どのように点訳したらよいでしょうか。

光顔巍巍(こうげんぎぎ)  威神無極(いじんむごく)
如是焔明(にょぜえんみょう) 無与等者(むよとうしゃ)
日月摩尼(にちがつまに) 殊光焔耀(しゅこうえんにょう)
皆悉隠蔽(かいしつおんぺい) 猶若聚墨(ゆうにゃくじゅもく)
如来容顔(にょらいようげん) 超世無倫(ちょうせむりん)
正覚大音(しょうがくだいおん) 響流十方(こうるじっぽう)
戎聞精進(かいもんしょうじん) 三昧智慧(さんまいちえ)
威徳無侶(いとくむりょう) 殊勝希有(しゅしょうけう)
深諦善念(じんたいぜんねん) 諸仏法海(しょぶつほうかい)
窮深尽奥(ぐじんじんのう) 究其涯底(くごがいたい)
無明欲怒(むみょうよくぬ) 世尊永無(せそんようむ)
人雄師子(にんのしし) 神徳無量(じんとくむりょう)
功勲広大(くくんこうだい) 智慧深妙(ちえじんみょう)
光明威相(こうみょういそう) 震動大千(しんどうだいせん)
願我作仏(がんがさぶつ) 斉聖法王(さいしょうほうおう)
過度生死(かどしょうじ) 靡不解脱(みふげだつ)
布施調意(ふせじょうい) 戎忍精進(かいにんしょうじん)
如是三昧(にょぜさんまい) 智慧為上(ちえいじょう)
吾誓得仏(ごせいとくぶつ) 普行此願(ふぎょうしがん)
一切恐懼(いっさいくく) 為作大安(いっさだいあん)

讃仏偈自体には続きがありますが、小説の中での引用は以上までです。

【A】

「般若心経」「四誓偈」と異なり、漢字4文字ずつがきれいに並んでいます。YouTubeで読経を聞いてみても、すべて漢字2字のところで切れていました。
意味を詳しく見てみると、
「猶若聚墨」は「なお聚墨のごとし」
「願我作仏」は「ねがわくは、われも仏となり」
「普行此願」は「あまねくこの願を行い」
のように、返り点が入っていたり、最初の文字で区切ったりした方が意味としては正しいような所もありますが、お経として唱えているのだと思いますので、すべて2文字、2文字で区切り、その間は二マスあけるのがよいと思います。
なお、読みは、お書きになっているとおりでした。

光顔■巍巍■■威神■無極
如是■焔明■■無与■等者
日月■摩尼■■殊光■焔耀

のように.全ての行を書いてよいと思います。

25.p97 2.古文・漢文の分かち書き

法華経の経文があります。どのように点訳すればよいでしょうか。その後に、訓読みで文章が続きます。宜しくお願いします。
原文 「当知是処即是道場、諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩薩、諸仏於此転菟于法輪、諸仏於此而般涅槃」~
「まさに知るべし、この処は即ちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩薩を得、諸仏ここにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃したまふ」

【A】

お経を唱えている場面ではなく、地の文にこの経文だけが書いてある場合は、書き下し文だけを点訳し、その後に、点訳挿入符で「白文は省略」と書きます。
書き下し文は、
マサニ■シルベシ、■コノ■トコロワ■スナワチ■コレ■ドージョーナリ。■■ショブツ■ココニ■オイテ■アノクタラ■数3ミャク■数3ボサツヲ■エ、■ショブツ■ココニ■オイテ■ホーリンヲ■テンジ、■ショブツ■ココニ■オイテ■ハツ■ネハン■シタマウ
となります。
原文で、「当知是処即是道場、~」の読経が流れてきたのような場面でしたら
「トー■チ■ゼ■ショ■ソク■ゼ■ドージョー 、■ショブツ■オー■シー■トク■アノクタラ■数3ミャク■数3ボサツ~」など、切れ目の良いところまで点訳し、(白文は以下略)のように断る方法もあると思います。

26.p97 2.古文・漢文の分かち書き

いま、点訳中の本に「妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五」の一節、
龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没 或在須彌峯 為人所推堕 念彼観音力
如日虚空住 或被惡人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛 或値怨賊繞
各執刀加害 念彼観音力 或即起慈心 或遭王難苦 臨刑欲壽終 念彼観音力
刀尋段段壊 或囚禁枷鎖 手足被?械 念彼観音力 釋然得解脱 呪詛諸毒薬
所欲害身者 念彼観音力 還着於本人
「佛説聖不動経」の一節、
爾時大会 有一明王 是大明王 有大威力 大悲徳故 現青黒形 大定徳故
座金剛石 大智慧故 現大火炎 執大智剣 害貧瞋癡 持三昧索 縛難伏者
無相法身 虚空同体 無其住処 但住衆生 心想之中 衆生意想 各各不同
隋衆生意 而作利益 所求円満 爾時大会 聞説是経 皆大歓喜 信受奉行
があります。マスあけ等々、どのように点訳すればよいでしょうか。

【A】

この経文が、原文でどのように扱われているかによって、点訳の仕方も変わってきます。
お経として唱えているのであれば、リューゴ■ショキナン・・・のように白文を読むとおりに点訳することになりますし、このあとに書き下し文があって、お経の内容を説明しているのでしたら、この白文は省略します。また、このすべてが必要かどうかも検討した方がよいと思います。これをすべて点訳すると長くなる場合、原文での文脈に影響がない場合は、途中まで点訳して、点訳挿入符で、《以下、省略》のほうがよいこともあるかもしれません。それらをお考えの上、以下を参考になさってください。
「妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五」の一節の場合、5文字ずつの句になっており、「或 ワク」から始まる災いがたとえおきても、「念彼観音力」(観音菩薩の力を念ずれば)災いは去る(または解決する)という成り立ちになっていますので、すべて行頭3マス目から、ワク の行を書き、行替えして行頭3マス目から「ネンピ■カンノンリキ」の行を書けばよいと思います。ただ1行目だけは、途中から始まっていますので、龍魚諸鬼難だけを書き、次行に「ネンピ~」を書きます。

お経として唱えている場合
リューゴ■ショキナン
龍魚諸鬼難
ネンピ■カンノンリキ■■ハロー■フノーモツ
念彼観音力 波浪不能没
ワク■ザイ■シュミブ■■イニン■ショ■スイダ
或在須彌峯 為人所推堕
ネンピ■カンノンリキ■■ニョニチ■コクージュー
念彼観音力 如日虚空住
ワク■ヒ■アクニンチク■■ダラク■コンゴーセン
或被惡人逐 堕落金剛山
ネンピ■カンノンリキ■■フノーソン■イチモー
念彼観音力 不能損一毛
ワク■チオン■ゾクニョー■■カク■シュートー■カガイ
或値怨賊繞 各執刀加害
ネンピ■カンノンリキ■■ゲン■ソク■キジシン
念彼観音力 減即起慈心
ワク■ソー■オー■ナンク■■リンギョーヨク■ジューシュー
或遭王難苦 臨刑欲壽終
ネンピ■カンノンリキ■■トージン■ダンダンネ
念彼観音力 刀尋段段壊
ワク■シューキン■カサ■■シュソク■ヒチューカイ
或囚禁枷鎖 手足被?械
ネンピ■カンノンリキ■■シャクネン■トク■ゲダツ
念彼観音力 釋然得解脱
ジュソ■ショドクヤク■■ショヨク■ガイシンジャ
呪詛諸毒薬 所欲害身者
ネンピ■カンノンリキ■■ゲンジャク■オ■ホンニン
念彼観音力 還着於本人

「佛説聖不動経」の一節は、4文字が一つの句になっているお経ですのでほとんど機械的に2字、2字でわけて点訳しますが、2字目と3字目に言葉がまたがっているときは意味によってマスあけを考慮します。

ニジ■ダイエ■■ウイツ■ミョーオー■■   爾時大会 有一明王
ゼ■ダイミョーオー■■ウ■ダイイリキ■■  是大明王 有大威力
ダイヒ■トクコ■■ゲン■ショーコクギョー  大悲徳故 現青黒形
ダイジョー■トクコ■■ザ■コンコーセキ   大定徳故 座金剛石
ダイチエコ■■ゲン■ダイカエン       大智慧故 現大火炎
シュー■ダイチケン■■ガイ■トンジンチ   執大智剣 害貧瞋癡
ジ■サンマイサク■■バク■ナンブクシャ   持三昧索 縛難伏者
ムソー■ホッシン■■コクー■ドータイ    無相法身 虚空同体
ム■ゴジューショ■■タンジュー■シュジョー 無其住処 但住衆生
シンソー■シチュー■■シュジョー■イソー  心想之中 衆生意想
カクカク■フドー■■ズイ■シュジョーイ   各各不同 隋衆生意
ニサ■リヤク■■ショグ■エンマン      而作利益 所求円満
ニジ■ダイエ■■モンセツ■ゼキョー     爾時大会 聞説是経
カイ■ダイカンキ■■シンジュ■ブギョー   皆大歓喜 信受奉行

書き下し文は以下のようになります。
その■時■大会に■一人の■明王■あり■■
この■大明王は■大威力■あり■
大悲の■徳の■故に■青黒の■形を■現じ■
大定の■徳の■故に■金剛石に■座し■
大智慧の■故に■大火焔を■現じ■
大智の■剣を■執って■貧瞋癡を■害し■
三昧の■索を■持して■難伏の■者を■縛す■■
無相の■法身は■虚空と■同体なれば■
その■住処■無し■■ただ■衆生の■
心想の■中に■住したもう■■衆生の■意想は■
おのおの■不同なれば■衆生の■心に■従って■
しかも■利益を■なし■求むる■所を■円満■せしめたまう■■
その■時■大会に■この■経を■説きたまえるを■聞き■
皆■大いに■歓喜■し■信受■奉行■しき

27.p97 2.古文・漢文の分かち書き

大祓祝詞はどう点訳すればよいでしょうか。
大祓祝詞
高天原爾 神留坐須 皇賀親 神漏岐 神漏美乃 命以知氏 八百萬神等乎
神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氏 我賀、皇御孫命波 豊葦原水穂国乎
安国登 平介久 知食世登 ――

【A】

書き下し文にして点訳することになります。
「大祓祝詞」については、以下のサイトに、全文の読みと現代語訳がありましたので、参考にして、分かち書きを記しました。
https://jpnculture.net/ooharaenokotoba/

オオハラエノ■ノリト
タカマノハラニ■カムヅマリマス■スメラガムツ■カムロギ■カムロミノ■ミコト■モチテ■ヤオヨロズノ■カミタチヲ■カムツドエニ■ツドエタマイ■カムハカリニ■ハカリタマイテ■アガ■スメミマノ■ミコトワ■トヨアシハラ■ミズホノ■クニヲ■ヤスクニト■タイラケク■シロシメセト■

28.p97 2.古文・漢文の分かち書き

日本の神様の名前の分かち書きについて質問します。
アメノ■ミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒ、ウマシアシカビヒコヂ、アメノトコタチ、クニノトコタチ、トヨクモノ、ウヒヂニ、スヒヂニ、ツノグヒ、イクグヒ、オホトノヂ、オホトノベ、オモダル、アヤカシコネ、イザナギ、イザナミ
一つだけ点訳表記の語例にあったのですが他のものが分かりません。

【A】

古事記などに登場する神の名は、漢字表記や意味を考慮し、また現代仮名遣いに代えて書きます。
タカミムスヒ ⇒「高御産巣日」と書き、「産巣日(むすひ・むすび)」に「高」と「御」が付いていますので一続きに書きます。⇒ タカミムスヒ
カムムスヒ ⇒ 「神産巣日」ですので、一続きに書きます。⇒ カムムスヒ
ウマシアシカビヒコヂ ⇒「宇摩志阿斯訶備比古遅」で、「宇摩志」は「旨し(すばらしい)」、「阿斯訶備」は「葦の芽」、「比古遅」は「男性」を表すとのことです ⇒ ウマシ■アシカビ■ヒコジ
アメノトコタチ ⇒ 「天之常立」⇒ アメノ■トコタチ
クニノトコタチ ⇒ 「国之常立」⇒ クニノ■トコタチ
トヨクモノ ⇒ 「豊雲野」 ⇒ トヨクモノ
ウヒヂニ・スヒヂニ ⇒『古事記』では兄を宇比地邇神、妹を須比智邇神、『日本書紀』では兄を埿土煮尊(ういじにのみこと)、妹を沙土煮尊(すいじにのみこと)というそうです。 ⇒ ウヒジニ、スヒジニ
ツノグヒ・イクグヒ ⇒ 『古事記』では兄を角杙、妹を活杙 ⇒ ツノグイ、イクグイ
オホトノヂ・オホトノベ ⇒『古事記』では兄を意富斗能地、妹を大斗乃弁 ⇒オオトノジ・オオトノベ
オモダル・アヤカシコネ ⇒『古事記』では「淤母陀琉・阿夜訶志古泥」と書き、オモダルは「面」が「足る」で「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したものです。 ⇒ オモダル、アヤ■カシコネ
イザナギ ⇒ イザナギ
イザナミ ⇒ イザナミ